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■■■ 「古事記」解釈 [2022.5.18] ■■■
[502]「古事記」がお届けする"曾臭話歌"
"ソ"と云う日本語の音は、ローマ字表記のSoの撥音とほぼ同じなので、子音言語たる英語を習っていることから、ソは真の音素でなく、子音sと母音oの2音素と勘違いしがちである。
おそらく、それを聞いて"エ〜!"とならないのは一部の人だけ。(ソ=s+ о は常識中の常識とでも云うべき見方であるから、日本語母語社会の一員である以上、それを受け入れるのは当たり前。)

日本語は母音言語(子音で終わる言葉は発声でき無い。大陸系の言語ではないのは端から自明。)であり、本来的には、ソを2音素に分割できない。
しかし、それでは世界標準に合わせることが不可能になってしまうから、便宜的に50音図化<母音x子音行>しているに過ぎない。致し方ないことではあるものの、現代人発音感性は古代の日本語音感とは大きく外れてしまっていることだけは覚えておく必要があろう。
・・・と、書くと、いかにも西欧言語学を取り入れたからと思いがちだが、その嚆矢は太安万侶と見るべき。「古事記」は明らかに、サンスクリット言語学をベースにした、倭語の漢字表記であるからだ。漢文は、その観点では音声上では出鱈目であることにいち早く気付いていたことを意味する。ここで、面白いのは、言語を理屈から、ドグマ的に縛ってしまうことを嫌っていた雰囲気が濃厚である点。(将来的には、漢字を廃止しアルファベット表記が望ましいと発言したのは毛沢東。)

その辺りが、味わえるのが<ソ>音の表記である。音素文字としては曾が選ばれているというか、多用される助詞の表記への全面的使用を決めたということでもある。誤解を生むこともなさそうだから、汎用音素表記にも用いてかまわぬという評価だろう。以後、後世の人々もこの評価を受け入れて来たようだ。・・・
  +田+日 片仮名
  平仮名
  「古事記」乙類so表記文字

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<ソ>乙
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≪曽/曾[八/丷+田+日]
 [語源]已経的語気⇒重畳/重層:@親族表現 @副詞(actually/then) @動詞(増加)
  [呉音]ソ/ソウ/ソゥ ゾ/ゾウ/ゾゥ
  [漢音]ソウ/ソゥ
  [訓]かつ-て すなわ-ち ひい
[人名等]
山田之曾富騰  奧津余曾  余曾多本毘賣  宇知能阿曾[内の朝臣@歌]=建内宿禰  熊曾建  曾婆訶理/曽婆加里  夜麻登登母母曾毘賣命
[地名]"波布理曾能"@相楽郡精華祝園出森

[歌3]那志勢多麻比曾[な殺せ給ひそ]…終助詞(な〜そ)
曾許そこ
曾許爾淤母比傳
曾能その
[歌1]曾能夜幣賀岐袁[その八重垣を]
[歌32]曾能古[その子]
[歌34]曾能多知波夜[その太刀はや]
[歌41]曾能都豆美[その鼓]
[歌43]曾能那迦都爾袁[その中つ土を]
[歌61]曾能多迦紀那流[その高城なる]
[歌91]曾能淤母比豆麻[其の思ひ妻]
[歌97]曾能阿牟袁[其の虻を]
[歌101]曾能波那能[其の花の]
許曾こそ
醉而吐散"登許曾"・・・地矣"阿多良斯登許曾"
我御世之事能"許曾"神習

[歌3]伊麻許曾婆[今こそば]
[歌6]那許曾波[汝こそは]
[歌62]麻迦受祁婆許曾[枕かずけばこ]
[歌64]那賀伊幣勢許曾[汝が云へせこそ]
[歌65]許登袁許曾[言をこそ]
[歌72]那許曾波[汝こそは]
[歌73]宇倍志許曾[諾こそ]・・・麻許曾邇[真こそに]・・・阿禮許曾波[吾こそは]
[歌79]許存許曾婆[今夜こそは]
[歌86]許登袁許曾[殊をこそ]
[歌90]阿理登伊波婆許曾爾[有りと言はばこそに]
[歌107]袁遲那美許曾[拙みこそ]
【音素:淤曾押そ
[歌4]淤曾夫良比[押そぶらひ]
【音素:余曾比装ひ
[歌9]岐美何余曾比斯[君が装ひし]
【音素:曾米染め
[歌6]曾米紀賀斯流邇[染め木が汁に]
【音素:曾曾久注く
[歌103]美那曾曾久[水注く]
⇒類縁文字…僧 増 憎

≪其≫
  [呉音]ギ ゴ
  [漢音]
  [訓]そ-れ そ-の
そ(の)
其地そこ
其地作宮坐 故 其地者於今云須賀也・・・自其地雲立騰  自其地遷移而  從其地廻幸/從其地幸行者  自其地蹈穿越  所忘其地御刀不失猶有  自其地幸  即匍匐廻其地之"那豆岐"田  然亦自其地更翔天以飛行  爾坐其地  採其地之菘菜時  故自其地逃亡  譽其不失見置知其地以
(地名譚系) 故號其地謂楯津  故其地謂宇陀之血原也  名其地謂美和也  故號其地  故號其地謂屎褌  號其地謂波布理曾能  故其地謂相津也  皆奪其地故諺曰不得地玉作也  故號其地謂懸木今云相樂  故號其地謂墮國今云弟國也  故其地者於今謂燒津也  故號其地謂當藝也自其地差少幸行  故號其地謂杖衝坂也  故號其地謂三重  故於其地作御陵  故號其地謂訶和羅前也  故號其地謂御津前也  故號其地謂近飛鳥也  故號其地謂遠飛鳥也  故號其地謂呉原也  故其地謂志米須也
其所そこ
其所隱立之天手力男神  故其所神避之伊邪那美神者  故其所謂黄泉比良坂者 今謂出雲國之伊賦夜坂也  拔其所御佩之十拳劔  其所寢大神  其所生子者  是以名其所產之御子謂天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命  其所以謂神御子者  即不見其所如而  其所妊之御子既産  故其所遣大碓命  故其所遣大碓命  爾太后問其所由之時  其所服之丹摺袖

≪彼[彳+皮]
 [語源]此 v.s. 那(that) ⇒ 他
  [呉音・漢音]
  [訓]か かれ
彼時所顕也

≪即/卽[皀+卩]
  [呉音]ソク
  [漢音]ショク
  [訓]つ-く/つ-ける すなわ-ち もし

≪所[戶+斤]
  [呉音]ショ
  [漢音]
  [訓]ところ/とこ (る ら-る ばか-り)

---訓仮名---
≪衣≫
📖衣の訓には、き(ぬ)・そ・けし、も

≪苑[艸/艹+夗] [呉音]ヲン [漢音]ヱン [訓]その う-つ あや
今葛城之五村苑人也

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<ソ>甲
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≪蘇[艹/艸+穌[魚+禾]/甦]
  [呉音]
  [漢音]
  [訓]よみがえ-る
[臣名]
阿蘇君  蘇賀石河宿禰/蘇我臣
[地文]
於天浮橋 "宇岐士摩理蘇理そり多多斯弖"
以"閇蘇へそ"紡麻貫針 
…綜麻
恐我天皇 猶"阿蘇婆勢あそばせ"其大御琴
故自其地逃亡 到宇陀之蘇邇そに時 
…@宇陀郡曽爾
[歌5]蘇邇杼理能[鴗鳥の]
[歌6]伊蘇能佐岐淤知受[磯の埼落ちず]
[歌28]意須比能須蘇爾[衣裾の裾に]
[歌29]意須比能須蘇爾[衣裾の裾に]
[歌36]蘇良波由賀受[虚空は行かず]
[歌38]伊蘇豆多布[磯伝ふ]
[歌43]伊蘇比袁流迦母[い副ひ居るかも]
[歌47]阿良蘇波受[争はず]
[歌72]蘇良美都[そらみつ]
[歌73]蘇良美都[そらみつ]
[歌97]蘇弖岐蘇那布[袖着(き)装束(そな)ふ]・・・蘇良美都[そらみつ]
[歌98]阿蘇婆志斯[遊ばしし]
[歌109]阿蘇毘久流[遊び来る]

≪宗[宀+示]
  [呉音]
  [漢音]ソウ/ソゥ
  [慣用音]シュウ/シュゥ
  [訓]むね/むな たっとぶ (もと ひろ のり とし たか そお よし かず)
[人名]針間阿宗君  宗賀之倉王  宗賀之稲目宿祢大臣
ソガは宗賀・蘇賀・蘇我と表記定番無しとしているようだが、宗を用いた場合、なんらかの祭祀権を有していることを意味していそう。

≪素[龶+糸]
  [呉音]
  [漢音]
  [訓]もと しろ/しろ-い きじ
[名称]稻羽之素菟  名卓素 又 呉服西素
[巻十四#3451]和波素登毛波自[我は"そ"とも追じ]…馬追声
兔は半島⇒隠岐⇒因幡の可能性があり、"素≒新羅"的なイメージが被さっていそう。

≪祖/祖≫
  [呉音・漢音]
  [訓]おや
「古事記」での読みは"おや"ということになろう。

---訓仮名---
≪10(十 拾)≫ 📖千五百や五十の意味
 []・・・五十[いと]
 []・・・五十[い-そ]・・・八十[や-そ]

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