→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.7.12] ■■■ [557]日下と帯の読み再考 於【姓】"日下" 謂 於【名】"帶"字 謂 如此之類隨本不改 <日下> 地文では生駒山地西麓扇状地帯の地名と見てよさそう。草香江港から大和に至る直越尾根道辺りを指すらしいが、現存表記は"孔舎衙"。(呉音表記なら衛だろう。) 日下楯津 日下之高津池 ⇒大日下王(波多眦能大郎子) 若日下部命(長目比売命) 【御名代】大日下部 若日下部 序文に<くさか>と読むように書いてしまった以上、太安万侶は一貫して<日下>表記にするしかなかろう。 「丹後國風土記(逸文)」與謝郡日置里にも"日下部首等先祖"との記載があるから官僚常用語彙だったと見てよさそう。漢字は縦書きなので、【国字】𬀧{日+下}が生まれているくらいだし。 ところが、「萬葉集」での表記は草香のみで、 [巻四#575]草香江之 入江二求食 蘆鶴乃 [巻八#1428]忍照 難波乎過而 打靡 草香乃山乎 合字の存在からすると、日は、人民の総称たる艸屮(草)の省略形の可能性も捨てたものではなさそうだ。 ついついそんなことをつい思ってしまうのは、「万葉用字格」の<草>収録は、 "草香"はあくまでも固有名詞であり、"孔舎衙"的な非倭語的臭いを感じ取っていたからかも知れぬ。そうだとすれば「古事記」音素表記漢字のイメージで無理にその線を追求するしかないが。 ≪日≫ 呉音:ニチ 漢音:ジツ <カの項> 正訓 日カ 將還来日カヘランヒ 義訓 春日カスガ 借訓 日カ <ヒの項> 正訓 日ヒ 日知ヒジリ 日女ヒルメ 義訓 日低ヒクレナバ 日之盡ヒノクルヽマデ 借訓 日ヒ 日晩ヒグラシ 日倉足ヒグラシ <ケの項> 正訓 今日ケフ 義訓 且今日且今日ケフケフト ≪下≫ 呉音:ゲ 漢音:カ <シの項> 正訓 下枝シヅエ 借訓 下シモ 非記載 吾下情[我が下心] 琴之下樋尓[琴の下樋に] <スの項> 義訓 下スソ <アの項> 戯書 山下アラシ 下風アラシ 阿下アラシ 非記載 天下[天の下] 樹下隠 <クの項> 義訓 更下クタチ [巻七#1075]夜者更下乍≠[夜は更けにつつ] -注意-<フの項> 正訓 深フケ [巻二#105]佐夜深而[さ夜更けて] 正訓 更深フケ[巻十二#2864]夜更深去者[夜の更けゆけば] 義訓 更降フケ[巻八#1544]夜之更降去者[夜の更けゆけば] <非記載> 神下 里尓下来流[里に下り来る] < " 「万葉用字格」には<お><た>項に<帯>文字は収録されていない。一般用語なので関心が払われなかったのと云うことか。(帶解替而 靭帶而 帶乎尚 帶尓為流・・・) 音素表示漢字のイメージからは、王権を示唆するような要素を見出すことはできそうにない。・・・ (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |