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■■■ 「古事記」解釈 [2022.8.3] ■■■
[579]「古事記」で考えさせられる三人称の意味
人称代名詞の話を、1人称(我・吾)📖⇒2人称(汝)📖と進んでくれば、続いて3人称の話になるのが普通だが、その前に余計な話を挿入してしまった。
素人話だから、その中味はどうでもよいが、要は、倭語は他の言語とは違う点をしっかりおさえておく必要があると考えてのこと。

簡単に言えば、これだけ。
  1人称(我・吾)≠I
  2人称(汝)≠You

よくある解説は、日本語は人称代名詞の種類は身分等々で矢鱈多いという現象をもって、一大特徴とするもの。人称代名詞は固定化していないと云う訳である。
相対会話の話語の状況を考えなければ、それでかまわぬが、本質を見えなくする説明になってはいないか。
我・吾⇔汝とは、基本、互いに見知っている状況での呼び方である。個人名は特別な時以外に他人には漏らさない社会習慣のなかで、名前を知っているという間柄。
もちろん知らない場合もあるが、名前を教えあう関係に持ち込むことを前提にしているか、互いにそのレベルということにしようとの暗黙の了解があることになろう。
(・・・素人からすれば当たり前のことを言っているに過ぎない。見知った親しい者同士なら、「味はどう?」「美味い!」が日本語の普通の会話。しかし、"わざわざ"、「自分では美味しく作ったつもりだけど、貴方の感想は?」と人称代名詞を使うこともある。親密だから簡素な表現で意思疎通を図るということでもなく、互いによく知る間柄だからこそ相互関係を打ち出す表現にしているのは明らか。
尚、話は違うが、主語省略と見るのは、学校文法を覚えさせるための方策。文語筆記を特殊技能化させないために、それはそれで絶対的に必要な教育との主張には一理ある。)


しかし、会話はそのような関係なき状況でも行われる訳で、その場合は我・吾⇔汝を避ける必要が生まれる。

このように考えれば、我・吾⇔汝を避ける文章には、暗黙の意味が存在していることになろう。例えば、この話は両者の親密な関係を前提とした会話とは考えて欲しくないので、注意して聞いてくれ給えといったように。
現代でも、会話とはそういう性情のもので、その程度は社会常識と違うか。

このように考えると、倭語は3人称が確立していないとの解説は、誤解を生むことになりかねないと思う。

非文字化話語の土台は、あくまでも、<我・吾⇔汝>。
第三人称はオマケというか"その他"であって、間には溝がある。並ぶような存在足り得ない筈。
相対会話者から見れば、第三者を話題にするなら、確定的な固有名詞にするか、現代用語的に話者の指示詞<こ・そ(・あ・ど)>で対応するのが基本と違うか。(<こなた・そなた(・あなた・どなた)>+<かなた>あるいは、<これ・それ(・あれ・どれ)>+<かれ>という系列が生まれることになる。)つまり人称の見かけ上は、<あ・わ>〜<な>〜<こ・そ・か>となる。

・・・これでは、なにを言っているのかわからぬか。
例を挙げてみるが、変わらぬかも。

夫と妻の会話で見てみれば、妻を表現する人称代名詞が極めて多いことが倭語の特徴と言うようなもの。(実際はどうなのか知らないが。)
「酉陽雑俎」著者のような人からすれば、そんなことは当たり前で、家庭毎に勝手に呼べばそうなる、と答えるだろう。しかし、それは精神的自由に価値を求めているインテリだから。儒教国では、こうした用語も規定され、公的用語に揃えることを半強要される。宗族尊崇の念を欠く家とされれば、どうされるかわかったものではないから結構大事。(身分階層毎に用語を規定することで、社会秩序を壊しかねない動きの芽を摘む仕掛け。
本朝でも、個人精神の領域まで国家管理を実現したい人は少なくない筈だが、儒教信仰は原理上受け入れがたいし、色恋沙汰を社会的に抑圧することを嫌う社会なので、全体主義国家化に歩を進めない限り、妻の人称代名詞の規格化はそうそう進むものではない。)

この様な違いがあるので、倭語では、どうしても用語の種類は多くなる。しかし、その理由は、家庭毎に勝手に使うからではなく、その用語を公的なものとしても用いられることを前提にするから。言うまでもないが、相対会話の話語から脱皮してしまったからである。(話語のみの時代、場は自明なので、奴隷は別だろうが、自称に身分・係累・地位名称を用いる必然性は全く無い。しかし文字文章語化されてくると、場は自明ではなくなるから、自称にも謙譲表現が必要とされることの方が多かろう。)

さらに一歩進めた話をすれば、我・吾⇔汝は、叙事詩に於いては、これが話し手⇔聴き手とされていると云えるのかはなんとも言い難いところがあろう。語り部からすれば、キャストのメインはあくまでも自己意志者であって、その行為の対象者はその他のなかの一員と言わざるを得ない。従って、二人称≒三人称(あるいは二人称⊂三人称)との観念が無かったとは言い切れない。
ここで止めずに語れば、人称という概念がそもそも成り立つのか考える必要があろう。主語が無くて当たり前の言語で、主語を基準にする人称を定義すること自体が自己矛盾そのものだからだ。倭語は、あくまでも話し手、聴き手という概念で成り立つ言語。この2者から外れれば、すべてその他である。

---<こ・そ>用例---
[歌5]【大国主命】嫡后の嫉妬の抑制
沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも <此れ>は相応はず
[歌91]【天皇】皇后との結婚
日下辺の <此方>の山と 畳薦 平群の山の 此方ごちの 山の峡に 立ち栄ゆる 葉広熊樫
[歌52]【宇遅能和紀郎子】反逆者大山守命討伐成功時
・・・妹を思ひ出 楚なけく <其処>に思ひ出 悲しけく・・・
[歌101]【大后】三重の采女に仕切り直しを勧める
・・・葉広 斎つ真椿 <其が>葉の 広り座し <其の>花の 照り座す・・・
【到坐須賀地】
詔之 吾來<此地> 我御心 須賀須賀斯而
<其地>作宮坐 故<其地>者 於今云須賀也・・・
【大~初作須賀宮之】
自<其地>雲立騰
【天皇登幸葛城山】
<彼時> 有 其自所向之山尾登山上人・・・故 是一言主之大~者<彼時>所顯也


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