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■■■ 「古事記」解釈 [2022.8.25] ■■■
[601]アンチ春秋判歌
「萬葉集」には額田王の春秋判歌が収録されている。
[巻一#16]近江大津宮御宇天皇代 [天命開別天皇謚曰天智天皇] 天皇詔内大臣藤原朝臣
  競憐"春山萬花之艶""秋山千葉之彩"時
  額田王以歌判之歌
  …内大臣藤原朝臣とは中臣鎌足[614年〜天智天皇8年/669年]のこと。
冬こもり <>さり来れば
 鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ
 咲かずありし 花も咲けれど
 山を茂み 入りても取らず
 草深み 取りても見ず
>山の 木の葉を見ては
 黄葉をば 取りてぞ偲ふ
 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし
秋山 吾は

712年成立の「古事記」はこれを踏まえて、春秋の競い合いを取り上げているのかも知れない。・・・

天智天皇([兄]中大兄皇子)の意向を踏まえた額田王は<>に軍配を上げた。
一方、両親を同じくする(舒明天皇+宝皇女-皇極天皇/斉明天皇)天武天皇([弟]大海人皇子)の命により作成された「古事記」15代天皇段に収録されている秋春の競い合いでは完璧に<>が勝利を収めている。
---兄 秋山之下氷壮夫・弟 春山之霞壮夫の
 伊豆志袁登売神婚姻競争譚---📖神"うれづく"とは何だろう
【粗筋】誰も、伊豆志袁登売神*とは結婚できそうになかった。そこで、弟 春山之霞壮夫に、手に入れることができたら饗応すると約束。弟は、母親の助を借りて成功するも、約束を反故にされてしまったので、兄 秋山之下氷壮夫を呪詛。📖竹具は海人が伝えたのだろうか罹病させられた兄は、赦しを乞うことに。
  *:伊豆志八前大神(渡来した、新羅の国主の子 天之日矛の持物)の娘
春秋対比に焦点を当てれば、大陸の思想的影響を感じさせる話。[「淮南子」巻五時則訓]
   孟春之月・・・以出春令 布コ施惠 行慶賞 省徭賦
   孟秋之月・・・以出秋令 
求不孝不悌 戮暴傲悍而罰之 以助損氣
兄弟の角逐に注目すれば、倭の母系制末子相続の雰囲気が色濃い話になっている。年長者絶対的優位のルールによる社会安定を図る儒教国の風土と、年少者は美麗・正直・冷静という評価になる倭国社会の違いは小さなものではないことを示しているようにも思える。

「古事記」成立の頃、仏教からすると、秋春をどう評価していたのかはよくわからないが、かなり後世の作である両部大経感得図1136年では桜・柳・鵜(善無畏@金粟塔) v.s. 紅葉・秋草(龍猛@南天鉄塔)という構図を使っているにすぎず、優劣とは無縁ということかも。

ところで、秋山之下氷壮夫と云う名前だが、「萬葉集」からすると、秋山の木葉の色づいた立派な男という意味のようである。
  [巻二#217]秋山の したへる妹[秋山下部留妹] なよ竹の
  [巻十#2239]秋山の したひが下に[金山舌日下] 鳴く鳥の
秋山ということになると、歌人にとっては収穫の季節というより、黄葉の景色の素晴らしさ一色だし。・・・秋山乃-木葉乎見而者 秋山之-樹下隠 秋山之-黄葉乎茂 秋山-黄葉_怜 秋山乃-始黄葉尓 秋山-黄葉片待 秋山之-木葉文未赤者 秋山の-黄葉をかざし[安伎也麻能-毛美知乎可射之] (秋山之色名付思吉)

春秋の対比歌で眺めると、必ずしもそれだけではなさそうだが、秋の主題としてはほぼ定番なのだろう。・・・
[巻一#36]春へは 花かざし持ち[春部者花挿頭持] 秋立てば 黄葉かざせり[秋立者黄葉頭]
[巻三#324]春の日は 山し見がほし[春日者山四見容之] 秋の夜は 川しさやけし[秋夜者河四清之]
[巻六#923]春へは 花咲きををり[春部者花咲乎遠里] 秋されば 霧立ちわたる[秋去者霧立渡]
[巻十三#2239]春山の しなひ栄えて[春山之四名比盛而] 秋山の 色なつかしき[秋山之色名付思吉]
[巻十三#3227]春されば 春霞立つ[春去者春霞立] 秋行けば 紅にほふ[秋徃者紅丹穂經]
[巻十三#3266]春されば 花咲ををり[春去者花咲乎呼里] 秋づけば 丹のほにもみつ[秋付者丹之穂尓黄色]
[巻十七#3907]春されば 花咲きををり[春佐礼播花咲乎々理] 秋されば 黄葉にほひ[秋左礼婆黄葉尓保比]
[巻十八#4111]春されば 孫枝萌いつつ[波流左礼婆 孫枝毛伊都追]・・・秋づけば しぐれの雨降り[秋豆氣婆 之具礼乃雨零]

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