→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.9.4] ■■■ [611]大御葬儀歌について 素人にとっては厄介過ぎる訳で、避けるのが無難だが、そうもいかない。 例えば、逆剥天斑馬にしても、馬そのものを投げ入れたと見なすテキストもあり、どうしてそう考えるのかは全くわからない。そのような状況で、速須佐之男命暴虐シーンから、蠶譚の意味とか、天津罪後世設定へと思いを巡らすことなど、ほぼ無理に近い。(南方熊樟が、当時の定番テキストを使うな、と言った気分はよくわかる。単に、編纂者の腐敗に憤慨しているのではなく、注の貧困性の伝統に気付いていたからだと思う。) この箇所より解釈が難しいのが≪大御葬歌≫。 詳細な注記なしには解釈などできようもない箇所だが、すでにそこらは書いてみた。📖[安万侶サロン]大御葬歌所収の意味 公式に≪大御葬歌≫とされている訳だが、「古事記」記載では、この歌の発祥は即位していない倭健命の崩での歌。しかも、朝廷とは無関係に御陵を作った倭健命の后と御子が歌ったのである。 どうしてそのような歌を、公式行事に登用できるのか、さっぱりわからぬ以上、勝手に解釈するしかなくなる。 ここらは、多分、詩人に読みを託してもなんの進展もあるまい。歌の内容自体が、これまた、≪大御葬歌≫にどうして合うのか、感覚的にわからないだろうから。📖中巻の倭建命関連所収歌15首検討 -----<大御葬儀歌>----- [_35]【倭建命后御子等】逝去悲嘆 水漬きの田の 稲柄に 稲柄に 匍匐廻ろふ 野老葛 なづきのたの___…6 いながらに____…5 いながらに____…5 はひもとほろふ__…7 ところづら____…5 [_36]【倭建命后御子等】倭建命白鳥に化身 浅小竹原 腰難む 虚空は行かず 足よ行くな あさじのはら___…6 こしなづむ____…5 そらはゆかず___…6 あしよゆくな___…6 [_37]【倭建命后御子等】白鳥追走@海辺 海処行けば 腰難む 大河原の植ゑ草 海処は猶予ふ うみがゆけば___…6 こしなづむ____…5 おほかはらの___…6 うゑぐさ_____…4 うみがはいさよふ_…8 [_38]【倭建命后御子等】白鳥飛翔@磯伝い 浜つ千鳥 浜由は行かず 磯伝ふ はまつちどり___…6 はまよはゆかず__…7 いそづたふ____…5 解釈としては、倭建命を悼む遺族が鳥と化した魂を追い求める情景に合わせたものにする以外に手はないが、そのシーンに合っていそうにない語彙が使用されているから、強引な理屈で解釈するしか手はない。流石にそれは無理と思う正直な方なら、素性が全く違う歌が紛れ込んだと見なすことにならざるを得ないが、そうだとすれば他の歌も同様と見なすしかないから、「古事記」の歌の検討にはなんの意味もないことになろう。 こうした驚くべき現実を押さえておかないと、素人は「古事記」解釈を読めば読むほど、太安万侶の考え方が見えなくなってくることになる。素人が先ず知りたいのは、野老葛がどのような植物かではなく、どうしてこの様な詞の歌が公的な崩御の歌として通用しているのかである。倭建命を偲ぶためと考える訳にもいかないだろうし、他の転用とするなら、それに何の意味があるのか、イの一番に問われる。 素人的に云えば、これは伝統的な大王の殯歌と見なすしかなかろう。意味がとてつもなくわからないのは、古い伝承を引きづっているからに過ぎないと見る。 意味的にそれほど難しい話ではなく、魄魂分離のための殯での歌の一つだろう。葬儀が行われ御陵に埋葬されたにもかかわらず、そこに落ち着くことなく、鳥になって飛び去ってしまったため、落ち着いてもらうため、この歌を誦みながら鳥を追って行ったと解釈すれば辻褄があう。殯は鳥式儀式で行われていそうだし。 魂が過去の地である、稲作水田・笹藪・河原・浜/磯で迷って残されていないようにと祈るだけのこと。言うまでもないが場を設定しての"呪"歌である。同時に、五体投地ならぬ、匍匐廻りや腰難み歩行を行うのだろう。 ・・・いかにも一方的な見解に思えてくるが、そうならざるを得ないのは、哀傷歌とされることが多いから。 倭健命の叙事詩としての文脈からすれば、その通りとなろうが、まともに歌を読んだだけでは、そう考える訳にはいくまい。歌を独立させると、意味がはっきりしない語彙はあるものの、哀傷感情は全く伝わってこないからだ。 ありそうな主題としては、恋歌・食獲得・武闘だが、寿ぎ・呪・記念といった視点で眺めてもさっぱりしっくりこない。致し方ないから、そう読めるよう、歌が描く情景を考え出すしかない。 それはいくらなんでも恣意的過ぎようとは正論。 しかし、歌だけ独立させてその情感を感じ取るとなると、これも又難し過ぎよう。4首に情景上の統一感などないから、さっぱりわからぬ、となる。 ・・・と云うことで、わからぬママ放置が気分悪しなら、どれでもよいから1つ選ぶしかない。 ただ、注意が必要。 歌そのものだけで見る限り哀傷歌と見なせないと云うのは、あくまでも現代人のセンスから。つまり、現代の風俗は伝統を踏まえており、そこには断続性はなさそうとしているからで、これを否定する理由もないので当然視しているが、それを取っ払えば全く別の状況が想定できる。 現代人がわからないだけで、これこそ愛が籠った哀傷歌と見なすべきかもしれないのである。 それこそ、この見方の方が説得力ありと感じてもなんらおかしなことではない。 失われてしまった殯の際の風習と見なすだけの話だからだ。遠くへ去ってしまった魂を取り戻そうと、親族はただならぬ路をマドルスルー的に追いかける必要があったと考えるだけのこと。 もちろん、これにはなんの証拠もないが、状況的には素直な見方。 伊邪那岐命が約束を守れば恋しい伊邪那美命を呼び戻すことも可能だったのだから、異界に繋がる路を追って行くのは愛する者にとっては当然の行為ということになろう。 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |