→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.9.18] ■■■ [625]「古事記序文講義」(4:皇后 or 帝王) と云っても、「古事記序文講義」を読んで突然気付いたという話ではない。 専門家はもともとそちらの説だが、「古事記」成立の712年頃の状況を想定するとそんな読み方があろう筈はなかろうとしただけ。 その箇所とは、・・・ 覺夢 而敬~祇 所以稱"賢后" 通説では、"賢后" とは[10代]御眞木入日子印恵命/崇神天皇《武田祐吉注釈校訂》である。しかし、本文に"賢后" と称されるとの記載はないので、はなはだ疑問とした。📖近淡海と遠飛鳥に注目する由縁 確かに、全体観からすれば、"初國之天皇"と下巻冒頭の"聖帝"の対比らしいとは誰でもそう思うだろう。それに覺夢譚もあるし。📖初代天皇と聖帝間は賢后のみが見所さらに、序文では、軒后[黄帝]を賛美語として使っているから、皇后でなくとも構わないと云えるし。 しかし、倭語の表記では、嫡后 大后 賢后と並べたら、どれも皇后を指す単語としか思えまい。天皇への正式な上奏文である序文にフェイクなどあれば文字通り首が飛ぶだろうから、"賢后" と"稱"されていたことになるが、そんなことがあり得るのだろうか。 確かに、漢語では古代の王は、軒后の様に姓に后をつける称号が通用しているものの、姓に皇でもよいし、"后"文字は帝王ではなく皇后の用例だらけ。しかも、賢后とされるよく知られている皇帝が存在していたとも思えまい。(但し、唐代、継承を語る時には皇帝を"先后"としているので、何とも言い難いが。)にもかかわらず、古代の純漢語語彙を朝廷が普通に使っていたと見なしてよいのだろうか。 皇后ということなら、時代順逆転だが、国家としての大祓を挙行したのだから、神功皇后と見なすことになる。今一歩確信は持てないものの、それしかあるまいと見ていた。 しかし、「古事記序文講義」を読んでいると、神功皇后との判定はどうも読み違い臭い気がして来る。 太安万侶の漢文の出来栄えからみて、朝廷ではすでに十分過ぎるほどの、漢文教育がほどこされており、漢文至上主義の奔流が出来上がっていた可能性が断然高そうだから。 中華帝国の故事を太安万侶がよくご存じという訳ではなく、その程度は皆知っていたことになろう。熱狂的な中華帝国文化の学びが発生していたと見なすことになろう。そんなことはまずなかろうと考えていたが、文明開化や信長の時代から類推するに、あり得ないことではないし。 そんな状況だとすれば、天武天皇の危惧の念はよくわかる。 中華帝国とは宗族社会の文化であり、皆、宗族に都合のよいように動く。モラルや規律は、プラスに働く時だけ守っているだけ。宗族第一主義は信仰ではあるものの、冷徹な合理主義に貫かれている訳だ。当然、自分達の位置付けも勝手に決めていくことになる。 中華帝国の文化模倣が流行しているのだから、祭祀関連氏族は勝手気ままに由緒を語り始めることになろう。そこに歯止めは一切無くなる。 う〜む。 "賢后"という語彙を、"初國之天皇"に用いていたとすれば、実は「古事記」の構成は極めて合点がいくものになる。 朝廷の祭祀に係る話が、天武天皇流に再編されたと解釈することになるからだ。もちろん、その話とは叙事詩。 そして、唯一無二の書とされる。 と云っても、漢文一色の世界なので、倭語本の出番は祭祀の由来が気になる時のみ。そうは言っても、皇族の必読書とされるだろうが。 しかし、太安万侶の眼は鋭く、「古事記」それだけの存在では終わらなかった。・・・ 「古事記」を読めば、漢語の倭語読みが全面的に可能であることがわかってしまうし、歌の方は、叙事詩から独立させて表現しても構わないことに気付かされるからだ。 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |