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■■■ 「古事記」解釈 [2023.4.25] ■■■
[671] ユーラシア古代文明の残渣[1]中華文明は現存
<「古事記」本文のプレ道教性>と云うことで書いて来たが、要するに、「記紀」読みをする限りなにも読み取れないという話をしつこく繰り返しているようなもの。小生には、そんな分析をいくら繰り返したところで、太安万侶の主張が読み取れるとはとうてい思えないが、そう考える方は滅多にいないようだ。
同様に、道教的漢籍文章と似ている点をいくら探っても、なんの結論も出しようがないと思う。漢文序文の粗筋と倭語本文のストーリー記述が明らかに異なっており、その本文は、倭語に一番近そうな漢語を適宜翻訳語彙として使っているのだから、類似語が使われているとの指摘だけでは、So, what? の世界ではあるまいか。

さて、そろそろ<「古事記」本文のプレ道教性>をまとめるべき段階だが、簡単に書くとこうなろう。・・・

「古事記」記述で、道教に一番近い点と言えば、<徳>の馬鹿々々しさを打ち出したということでは。勿論、大ぴらに言えるようなことではないが。

道教も、儒教模倣の倫理を教義的に打ち出してはいるものの、現実には誰もそんな文言無視だろう。だからこそ道教に人気があるのだと思う。
その辺りは、「抱朴子」がいみじくも語っている通り。
ヒトの<道>とは、
<甘くて旨い物を食べ 軽くて暖かい服を着て 性行為に通じ 任官俸禄に処され 耳目は聡明で 骨太かつ節々強健にして 顔色は喜び満たされており 老いても衰えを知らず 延命も長久に渡り 出処進退は自由気まま 寒さ暑さ風や湿気で体を痛めることもなく 死霊や衆勢から犯されることもなく 武器や毒薬にやられることもなく 毀誉褒貶に煩わされることもない。>なのだから。📖

そんなこと、考えてみれば当たり前と違うか、と云うのが太安万侶の考え方では。

要するに、太安万侶の書きっぷりは、芥川龍之介そっくりと云うこと。
道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。
道徳の与へたる恩恵は時間と労力との節約である。道徳の与へる損害は完全なる良心の麻痺である。・・・一国民の九割強は一生良心を持たぬものである。・・・良心は厳粛なる趣味である。・・・良心もあらゆる趣味のやうに、病的なる愛好者を持つてゐる。さう云ふ愛好者は十中八九、聡明なる貴族か富豪かである。


古代社会は聖人だらけの訳がないし、実際、皇位継承権簒奪や、従わぬ勢力の雄殺害に、倫理が無縁なのは「古事記」譚がしつこく示す通り。そもそも、いつ何時死ぬ破目に陥るかわからない古代の環境で<徳>でもなかろう。そうした現実を直視した観念から生まれた信仰は、どの様になっているか思い描きながら、様々な伝承譚を編纂して結実したのが「古事記」ということになろう。

こんな、わかりきったことを書いたところで、さっぱり面白くもなかろうし、中味もスカスカなので、繰り返しになるが、"百花斉放百家争鳴"の往き付く先は≪墨 v.s. 儒≫📖という話を一歩進めておこう。
ここでの百花斉放の本質だが、儒教国であるからして、<古人は民衆を愚にすることを治国の大道に数へてゐた。>ということに尽きる。両者大論争と言っても、所詮は天帝-天子信仰の土俵内であり、その点での違いは何もないのである。
つまり、中華帝国支配層(官でないのが被支配層)にしてみれば、統治システム=儒教であるから、見かけは違っていても、帝国の国教は儒教以外にありえない。儒教は他の宗教を越えた存在たるべしなのだ。
従って、≪墨 v.s. 儒≫の延長戦として≪道 v.s. 儒≫が表面化したところで、実態的には世俗的な利権争いでしかない。祭祀行儀を鬼~呪術型とするか宗族供犠型のどちらを優先すべきか程度の権益対立と云うこと。

太安万侶はそこらを肌で感じ取っていた可能性があるが、現代人のここらの感受性はおそらくとてつもなく鈍い。簡単にご説明しておこう。・・・

かつて本サイトでも取り上げたことがあるが(PewRC 2013年のリポート)、世界の抑圧政治国家の筆頭は中華人民共和国。日本のマスコミは率先してそう受け取られない様に報道することになっているようで、(e.g. 外人の安全確保が素晴らしいとか。)それは日本のすべての政党の基本政治姿勢でもありそうだから、イメージが湧かないのも致し方ないが、これこそが中華帝国の一貫した姿そのもの。

ここらは、大笑いさせて頂いたエピソードが一番解り易いか。(交歓で両首脳の意気が通じ合った様子として報道されたお話。)
習近平:「四大文明の中で中華文明だけが中断なく続いている。」ーーーこの言葉にトランプ感嘆とか。冗談や皮肉の一つも言えぬ無能さをさらけだした訳で、ついに米国没落を大衆に見せつけた画期と言えよう。(儒教国発想では朝貢的訪問者のおもてなしの図そのもの。そんなことも知らぬ、無知な政治屋が跋扈する時代に入った訳である。換言すれば、米国の文化力の零落と言う事。もともと、実権では大統領に次ぐポジションの米国国務長官を呼びつけ、対等の政治局員は会わずに、外務事務方官僚とだけ交渉させ、実質的内容ゼロで表敬訪問然とした様を示すことで威信発揮してきたのだが、思惑通り、帝国人民に天子としての威容を示すことができたことになる。毛沢東への米国大統領の天子朝敬訪問以来の快挙とされている筈。すでに、外務省の率先したお膳立てもあり、成功裏に同様なシーンを日本国で実現しているので、これで世界の頂点に君臨したことになる。当然ながら、ヒラ外務官僚は天子直属の政治局員に栄進。)

この発言での四大文明論は間違いだから、早晩葬り去られる見方だが(小中華思想国ではもちろんも一本の川を入れて5大文明となる。黄河より古い揚子江を入れて6大としないところが秀逸。)、それはどうでもよい。儒教帝国(天子独裁-官僚統制)が世界の中心との中華思想が中断なく続いて来たのは、習近平の言う通り。中国共産党のかつてのドンが言い放った、日本国もいい加減社会主義を止めれば停滞から抜け出せるという真っ当なアドバイスにも恐れ入ったが、自称共産党員が臆面もなく言い放ったところが秀逸。
要するに、中国共産党とは、儒教型帝国主義(天子独裁-官僚統制)を信奉しており、憲法に於ける信教の自由とは、この国体護持という枠組みのなかでの話になる。信仰上、儒教的統治に真っ向から敵対的にならざるを得ないチベット仏教とイスラム教の帝国圏内からの一掃は第一義的な課題になるのは当然のこと。
"共産党"という名称なので、間違えた解説が見受けられるが、無神論の広宣も、天子の存在を否定するのでとっくに実質的禁止である。(わざわざ、憲法から無神論宣伝自由を削除。ケ小平が復活させた"お仲間族"の現代版宗族長たる習仲勲の一大成果。それを引き継いだのが息子の近平。)
父の威光を脊にした施策の核は、土着型宗教勢力(呪術型道教・地域観光兼業中国仏教・各地区の宗族祭祀儒教)を纏めあげて国教化し、愛国主義(天子)一色に染めることにある。初めて共産党組織と宗教界の融合が図られたことになる。(言うまでもないが、宗教勢力管理は政府でなく党直轄にして愛国[=天子敬愛]勢力化に邁進する訳だ。先ずは、党・軍あげての反愛国勢力の撲滅路線に踏み込むことになる。前主席の胡錦濤は宗教を経済発展に利用するとの姿勢だったので180度転換したことになる。軍絶対優遇策で権力を握った江沢民の場合は反共産党的動きに危機感があったようで、宗教勢力の活動禁止策を積極的に進めたが、政府組織を活用したにすぎない。)
これにより、習近平軍事独裁体制が確立したことになろう。
と言うのは、人民解放軍は国軍ではなく独自の経済活動を行う独立社会でもある上に、毛沢東時代に生まれた高官の血縁関係も絡んでおり、地域軍閥色が遺ったまま。首領による統率が難しかったが、この施策で軍人も天子に愛国心を見せることが最重要課題となったため、一気に絶対的首領として動けるようになった。(各宗族派遣軍人が愛国心を発揮するシーンを見せないと宗族全体が一気に沈没することになるので、軍隊内の功争いが熾烈化し、残虐な攻撃型組織が出来上がる伝統的仕組みと全く同じ。)

長々説明してみたが、マスコミの"お話"とは異なる、この手の見方をする人は滅多にいないのかも。日本のマスコミは、毛沢東のクーデターに踊らされているだけの手兵でしかない紅衛兵を称賛するような体質だが、経済的な実利を考えれば、それで結構ということなのだろう。
・・・「古事記」とは全く無縁な、えらく個人的な、政治的見解を披歴したくて書いているように見えるかもしれないが、逆である。太安万侶の天武天皇讃は巧言の類に映るが、それはインテリの安堵感を公式文書として表現したと見た方が当たっていることを理解するには、これしかなかろうということで書いているだけ。
(上記の日本の対応はオバマ政権の姿勢に合わせただけと言えないでもない。[国際通貨圏も無いのにそのつもりで政策を推進し、エネルギー政策は放棄し、IT産業は質をできるだけ下げて生産性低下方向に誘導し雇用源産業化させ、経済構造が変わっているのに円安で競争力を失った企業を生かす政治なのだから。国内インフラ維持さえ難しい財政状況にあるというにバラまき続行。しかもこの状態で、八方美人外交最優先なのだから驚かされるが、それこそが全国民的に支持される方向なのだから致し方あるまい。]・・・解放軍の太平洋米中2分割提案や、地域米軍の力量を凌駕する軍備増強路線を目にしておきながら、市民運動家然として、単に"反対です。"と語っただけ。パワーバランス復活のための策を打つ姿勢を全くみせないままで、地域米軍はその反対意思表示の示威だけさせられたのだから、外交的には提案100%了承を意味する。それ以後、日本の軍備についても、実態を無視した兵器販売に徹しており、自衛隊のアップアップ化が避けられない筈で、見せかけとは真逆の、軍事力弱体化かまわず路線に入り込んだのが実情である。トランプ後に方向転換を図ったがすでに遅すぎ。東アジアでは彼我の力関係が逆転しまったから、後の祭り。
尚、日本のマスコミだが、どの様な意見を述べていようが、記者クラブの存在でわかるように、根っからの国家主義者の巣窟。政治家や企業家の腐敗を叩くと称し常に選別的であり、反知性精神主義の大日本帝国陸軍を賛美した時代からその体質が変わったことは一度もない。ついでながら書いておくが、儒教国の官僚からすれば、対日政治工作の中心に、政権奪取の見込みが無い反政権勢力内のシンパ応援を設定する訳がない。政権内勢力と相互利益の絆を構築し、切ることを困難にさせることに全精力が注がれる筈である。それが儒教国で出世する当たり前の手なのだから。但し、軍事独裁が命なので、それは被支配層の帝国民意識に反しないように行われる必要があり、安定的という訳ではなく、君子豹変も又鉄則。その様な合理主義が貫徹されて来たからこそ、"中華文明だけが中断なく続いている"と誇れるのである。「古事記」成立時には、すでに、その様な仕組みが出来て長い年月が経っていたのである。太安万侶や知的レベルの高い仏僧や皇族は間違いなくそのことを心得ていたと見てよいだろう。言うまでもないが、2択を迫られれば、半島の様に属国化/国家消滅必至の天智天皇路線から、自由度は劇的に落ちるものの儒教的統制国家化は防げる天武天皇路線への転換止む無しとなろう。)


  -- 続く --

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