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■■■ 「古事記」解釈 [2023.6.8] ■■■
[712] <見>で見える記述方法
「古事記」文字表記方法は混沌としているが、それは倭語そのものが雑炊言語的で、それを反映しているに過ぎず、編纂方法が定まっていないからではなさそう。<見>用法を例にとって眺めてみたが📖熟慮の上で決定したように思えてくる。
少なくとも、万葉仮名的に歌には使っていない。・・・
音読み漢字表音文(「古事記」仮名@歌)
 "知婆能 加豆怒袁美禮婆":千葉の葛野をれば
 "能知母登理美流":後も取り
 "美延受加母阿良牟":えずかもあらむ
仮名の≪ミ[甲]≫はあくまでも<美>であるべきということになろう。📖

仮名に使われていないが、<見>文字は結構使われており、とりあえず、倭文的疑似漢文と音表記の倭語を含む漢文的倭文としたが、意味が薄い分類である。
要するに、倭語〜日本語を貫くセントラルドグマたる述部最重視=文末設定でなく、語順が漢語のV⇒Оとなっているので、そんな用語にせざるを得ないだけだからだ。
ここらの見方は、「古事記」が倭語記述なのか否かであり、漢文の雑な訓読みと見なしてよいのかは、結構、本質に係ること。・・・例えば、お気軽に疑似漢文と書いたが、漢文を目指して記述している訳ではないから、この表現も本当は避けるべきである。あくまでも漢文を読める人達向けに工夫された漢字表記の倭文なのだと思う。

そういうことで、<見>用法をもう少し見ておこうと思う。

どう考えても、名詞転用は難しいし、形容詞にはならないだろうし、動詞しかあり得なそうで、しかも必ず見る対象があるから他動詞に成らざるを得まい。従って、SVО言語では主語と目的語を明確にすることが求められる。特別な計らいでもしない限り、滅多なことでは省略などできないし、語順は絶対的なものだと思われる。
これに対して倭語は、流石に、述部の後に主語を置くことはしないだけで、語順など実は自由自在。漢文型のVОであっても、レ点で読まずに語ることも可能。特に"者"をわざわざ挿入すれば、"〜は"という意味だから、それに応じた読み方をすればよいだけのこと。(但し、倭の叙事的口誦で、"〜者=〜は"とは限らないと思う。)いかにも、倭語的な雰囲気を醸し出すだけに、"見者"用例は多い。
  見其腹悉常血爛:其の腹を見れば、悉く常に血爛る。
        :見たのは其の腹だが、悉く常に血爛っていた。
VО型は、自動詞は別だが、目的語を省略するなどありえまい。倭語は相対話語であるから、自明ならわざわざくどくど説明する意味はなく、単に"見る"としたくなる筈。
相対話語の世界であるから、"相見あいみる"はよく使う言葉になろう。倭語では"る"は、そういう観点では倭熟語の重動詞を形成し易いといえよう。この様な表現は漢語では好かれないと思う。"見立 見畏 見感 見辱 見驚畏 見行 見問 見送"は目で見る行為を示している訳で、の代替文字という訳ではなかろう。<見>が必要なのか疑問を感じる箇所もあるので、小生など、まな-ismの文化を感じてしまう。
それに、未だにその言葉は現代でも好んで使われているし。・・・"見立て"(意味は違う。) "見送る" "見果てぬ(夢)"

注目すべきは、"見殺しにされた。"的な受動態表現が記載されていること。<汝者><我><見欺>との語順であれば<О><S><V>なのだから。

但し、漢字文章にしているからといって、漢文語順を採用したということではなかろう。
<見>ではないが、"此子應降也"という、天孫降臨で誰を降ろすかの意思決定に係る重要な箇所の記述があるからだ。語順は漢文では使えないО⇒Vと言うことになる。まさか、これは自動詞で、子が自分で降りて行くと解釈する訳にはいくまい。肝心要の記載では漢文語順を採用していないことになる。
"伊奢沙和氣大神之命見於夜夢"も同様で、漢文とは言い難かろう。

--- <見>用例 ---
-序-
卽 辭理叵見以注明公式漢文
     :辞理見るに叵しは注を以て明らかとなし
-㊤-
見立天之御柱見立八尋殿倭文的疑似漢文
     :〜を見立て
"美蕃登"見炙而病臥在混淆倭文
於是欲相見其妹伊邪那美命倭文的疑似漢文
     :其の妹、伊邪那美命に相見むとおもほして
燭一火入見之時漢文的倭文
伊邪那岐命見畏
其妹伊邪那美命言令見辱
天衣織女見驚
天照大御神見畏
見其腹者悉常血爛倭文的疑似漢文
     :其の腹を見れば、悉く常に血爛る
如此言者見欺
吾云汝者我見欺倭文的疑似漢文・・・【受動形的】
刺割而 見者在都牟刈之大刀漢文的倭文
其身皮悉風見吹倭文的疑似漢文・・・【受動形的】
見其菟言何由汝泣伏倭文的疑似漢文
     :其の菟を見て言ひしく
如此言者見欺
於是八十神見爾亦其御祖命哭乍求者得見
其女須勢理毘賣出見爲目合
爾其大神出見
故爾見其頭者呉公多在
取其矢見者血著其矢羽
於"比良夫"貝其手見咋合
故爾其姉者因甚凶醜見畏而返送
其海神之女見相議者也
於井有光仰見者有麗"壯夫"混淆倭文
爾火遠理命見其婢
爾見其璵問婢曰
爾豐玉毘賣命思奇出見乃見感目合
爾海神自出見
故妾今以本身爲產願勿見妾
見驚畏
爾豐玉毘賣命知其伺見之事以爲心恥
然伺見吾形
-㊥-
旦見己倉者信有横刀
乃己所作押見打而死
故美和之大物主神見感
見其伊須氣余理比賣
乃天皇見其媛女等
詔其伊須氣余理比賣之時見其大久米命黥利目
於河内之美努村見得其人貢進
旦時見者所著針麻者自戸之鉤穴控通而出
唯爲詠歌耳即不見其所如而忽失倭文的疑似漢文【否定形】
吾見異夢
詔之吾殆見欺乎
亦見其鳥者於思物言
是於河下如青葉山者見山非山
爾所遣御伴王等聞歡見喜
見畏遁逃
故益見畏以自山"多和"引越御船逃上行也
故到于熊曾建之家見者於其家邊
爾熊曾建兄弟二人見感其孃子
其弟建見畏逃出
故知見欺
解開其姨倭比賣命之所給嚢口而見者火打有其嚢
故見其月經
因言擧見惑
登高地見西方者不見國土倭文的疑似漢文【否定形】
     :国の土を見みず
即擧火見者既崩訖
伊奢沙和氣大神之命見於夜夢
其太子大雀命見其孃子
-㊦-
登高山見四方之國
後見國中
欺大后曰欲見淡道嶋
然者吾思奇異故欲見行
爾大后見知其玉釧
到於波邇賦坂望見難波宮
於是答曰吾先見問
媛女逢道即見幸行
其緒者載赤幡立赤幡見者五十隱山三尾之竹矣
召其老媼譽其不失見置知其地以賜名號置目老媼
天皇見送
故能見"志米岐"其老所在

-名称-
大綿津見神 底津綿津見神 中津綿津見神 上津綿津見神 綿津見大神(綿津見神之宮)  大山津見神 正鹿山津見神 淤縢山津見神 奧山津見神 闇山津見神 志藝山津見神 羽山津見神 原山津見神 戸山津見神  天津日高日子穗穗手見命   師木津日子玉手見命 葛城之垂見宿禰 沙本之大闇見戸賣 飯肩巣見命 (多遲摩之俣尾之女)前津見 酒見郎女
-地名-
美濃國藍見河之河上 菅原之伏見岡

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