→INDEX![]() ■■■ 「古事記」解釈 [2023.6.25] ■■■ [729] ㊈は𠔀で ㊉は丨 ![]() 大御所の見解は、"肘を曲げて一つに纏める様"で、白川的見方だと、"竜を象った文字(音仮借)"。ますます何だかネの境地に引き込まれる。(こうした説は資料と一致していない記述が含まれていたり根拠のない憶測に基づいていたりするためコンセンサスを得られていない、そうだ。) 証拠は示せないものの、素人なら、もう少し真面なお話を作り上げるぞ。 九という数字は後付けで登場したと考えれば、たいして頭を使わなくともすぐに想定がつくからだ。と言うか。対象はあくまでも数字の表現であり、1~9は指で数えることができる点で皆が納得して使っているのだから、その手でこの象形を考えれば答えは自明。 間違える人が多いが、指で数える場合、普通に行うのは自分用で他人に示す用途ではないことにご注意あれ。無文字社会では、数は指で示したに違いないのである。・・・ 一 人差し指だけ伸ばす。 二 グーチョキパーの鋏。 三 小指と親指を折り、他を伸ばす。 亖 両手でチョキ2つ。 五 片手の指を全て広げる。 六 両手で三三。 七 広げた手に、鋏を閉じて乗せる。 八 親指を折った両手を広げる。 𠔀 御仕舞。(肘でのゼスチャー) 倭語の1-2、3-6、4-8の発音が対になっているのは、上記の仕草を考えれば自明と思うが、どういう訳かその様な説を見かけない。こんな単純な話が存在していない訳がないから、指表現の時代があったと言われるのがお嫌いなのだろう。(十二進法は、指折り数えたり、解り易いゼスチャーはできないが、右手人差し指で、左手の4本の指の関節間を指定することで、表示することができる。分数を使うなら、12という数字は圧倒的に優れているが、ゼスチャー表示に向かないので、普及に難ありだったのでは。) ≪九≫[推定意義]≒𠔀…8の次の御仕舞、つまり、 [訓]こ(この-つ) [呉音]ク [漢音]キウ ---「古事記」用例---…偶々だろうが、予想より数が少ない。 [序] 九月十八日 ㊤ 九字 九神 ㊥ 九字 ~之子并九 五十九王 ㊦ 凡十九天皇 九尺二寸半 九柱 九王 十九王 [歌] 日々並べて 夜には 唐代は、単数最大ということで壽的数字として扱われたようである。九尺二寸半とか、九夜はその辺りの感覚かも。 九天:極高…8方+1だが、元は仏教の九曜(天体)や九品か。九星は無実体。 金鳥赦書鳴九夜 玉山壽酒舞千官[鮑溶「郊天回」@全唐詩486-14] そうはいっても東方に九夷(畎 于 方 黄 白 赤 玄 風 陽)との概念もあったのだが。 ついでながら、十進法の基底数10についても。 "子曰く、吾れ十有五にして学に志す。"[「論語」為政]で、<有⇒余>とすれば倭語の数字読み体系と同じことになる。ここらは全面的輸入か。 ところが、十倍数字については、十の読み方を変えているという。十進法適用についてかなり気を遣っていることがわかる。 ≪丨/十≫ [訓1]と(を) ど [訓2@~十]そ [音]ジュウ 1の漢数字は横棒なので、10は当初は縦棒だったようだ。官僚統治国は理屈に五月蠅いようで、その意味付けも行っている。 一爲東西 丨爲南北 則 四方中央具矣[「説文解字」] 度量衡と数字は中華帝国では早くから十進法で規定されているが、思想的には陰陽的世界観が基底にあるので、おそらく天竺からの輸入だろう。 天一地二・・・天九地十[「易経」繫辭上伝] 「古事記」本文からは、このセンスは感じられない。 "~十"の読みはすでに触れたので再記。📖千五百や五十の意味 尚、「古事記」には二十、三十、四十、六十、九十の用例は無い。こうした類の読みで、<はたち>を別扱いする解説をよくみかけるが、とりたてて注目すべき点があるとは思えない。・・・ ちなみに、 もともと、 【付録】九尺二寸半という記載があるので、そこらについて。上巻と、中/下巻は数字の単位で意味が違う。・・・ ≪身体尺≫ 八尋殿 八拳須 一尋和邇/八尋和邇 𣑥繩之千尋繩打延 十拳劔 八咫烏 八尺(=咫)勾璁 ≪度量衡尺≫ …周代:1里=300歩x1.3m≒400m 1尺=18.18cm (現代日本:1里≒3.927Km 1尺≒30.3cm) 其音響七里@⑯ 故⑫大帶日子淤斯呂和氣命者治天下也<御身長一丈二寸御脛長四尺一寸也> 此天皇(⑱弟水齒別命)御身之長九尺二寸半御齒長一寸廣二分 (C) 2023 RandDManagement.com →HOME |