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■■■ 「古事記」解釈 [2023.9.6] ■■■
[798] 太安万侶:「漢倭辞典」"𣠮無无。"
文字🈚についてはすでに取り上げたが、ココでの趣旨とは異なる。📖「古事記」は同音異義語創出の祖そこで、タイトルを「ムムム。」とした。
"太安万侶の並外れた洞察力に感服仕り候。"という意味。

換言すれば、現代日本語に於ける表意文字としての漢字の語義は、太安万侶的視点からすれば、ご都合主義的なものかも、と言う事。その例としての<ム>。・・・
もちろん、一般的には、その様なことを考えることは稀で、この3文字の見方はほぼ確立している。
  [超旧字]𣠮⇒[標準文字(繁体字)]無⇒[新字(簡体字)]
おそらく、コレ、誰でもが納得する流れと言えるのでは。

電子化以前の社会では、𣠮類(𣞣 𫡟)の文字を避けたくなるのは当たり前。本来なら画数が多い繁体字"無"も避けた方がよかったと云えないこともない。しかし、"无"は多用されていなかったこともあり、いかにも安直な少画数化文字に映る。そうなれば、前者を公定文字として選択する方針に拍手と言ったところでは。そうなれば、自然な成り行きで、後者は非使用化。(人名漢字として非認可。)納得感ありの判断と言えそう。(無と无はもともと別文字との一文が挿入された解釈に出会うことがあるものの、それ以上はなにも情報が無いし、漢訳仏典の"南無"も、時に、"南无"と書かれる位なので、マ、略体としての他文字転用説もあろうとなる。)

ただ、"无"は現代中国が推進した略体化の様な動きがあって生まれた訳ではない。どう見てももともとの南方使用文字であり、部首文字とすべき範疇だろう。それに、現代的センスからすれば哲学/宗教的なニュアンスがありそう。
一方、"無"はブロードな一般語義化が進んだ様にも思えてくる。
そんなこともあって、≪𣠮⇒無⇒无≫には若干しっくりこないところがある。
   無料@現代日本語(≒免費@現代中国語)
   人而無信 不知其可也@「論語」為政
   天雷无妄@六十四卦 《易》曰:"不遠復 无祗悔 元吉"
   是唯无作 作則萬竅怒呺@「莊子」齊物論

その僅かな違和感が、「古事記」を眺めると増幅される。この手の解釈は、後世付託の論理の可能性もあるナ、と考え始めざるを得なくなる。
"無"と"无"が、そっくりの用法で使われているからだ。
つまり、太安万侶の考えていた漢字字義の世界は現代日本語とは異なっていたと考えることもできる訳だ。

"無"は何処かに失せるが原義で、"无"は意味的には似ているが、仏教的な空的な、もともとからの非存在感を示しているように感じる。両者ともに、"亡"類縁文字とはいうものの、異なる言語発祥で、帝国化に伴う混淆があったことを示唆していそう。
太安万侶は直観的にそれを察して、この2字は併存すべしと考えたのではあるまいか。

【無】_32 ≪亡(屍骨)部≫
[呉音][漢音][宋音][訓]ない
「説文解字」未収録 ⇒異體字【𣠮】
  …亡失/逃亡
[「古事記」用例]
爾 速須佐之男命答白:「僕者無邪心・・・無異心」
「僕在淤岐嶋 雖欲度此地 無度因・・・」
「亦我子有建御名方~ 除此者無也」
卽 作無戸八尋殿
「三年雖住 恒無歎・・・」
「・・・三年雖坐 恒無歎・・・」
「然者汝送奉 若渡海中時 無令惶畏」
又於坂之御尾~及河瀬~ 悉無遺忘以奉幣帛也
於是有~壯夫 其形姿威儀 於時無比 夜半之時 儵忽到來
次伊登志和氣王者 因無子 而 爲子代定伊登部
「・・・意禮熊曾建二人 不伏無禮聞看 而取殺意禮詔 而 遣」
「・・・無退仕奉」
「・・・故 無可更戰」
「兄子者 既成人 是無悒・・・」
此之二柱 無御子也
「・・・更無異心」
「・・・是者無異事耳・・・」
「僕者無穢邪心 亦 不同墨江中王」
然 不賽其功 可謂無信
「・・・無及兵・・・」
「・・・更無可勝・・・」
「然者更無可爲 今殺吾」
更無所恃(x2)
「於茲倭國 除吾亦無王 今誰人如此 而 行」
此天皇 無皇后 亦 無御子 故 御名代定白髮部 故 天皇崩後 無可治天下之王也
亦 今者志毘必寢 亦 其門無人
天皇既崩 無可知日續之王
此天皇 無御子也

[序文漢文]
無名無爲 府無空月

【无】_13(__1)
[呉音][漢音][訓]ない
「説文解字@𣠮」
  無の"奇字"…俗説では"無"の簡体字
  "元"と通じる文字…二を貫く形
  虚无の道…空("無"とは字義が異なる。)

[「古事記」用例]
无邪志國造 卽 造无間勝間之小船 📖インターナショナル視点での无間勝間之小船
「汝者自妊 无夫何由妊身乎」
吉備之石无別
「西方有熊曾建二人 是不伏无禮人等 故 取其人等」
「其王等 因无禮而退賜 是者無異事耳・・・」
然 言以白事 其思无禮 卽 爲其妹之禮物 令持押木之玉縵 而 貢獻
天皇 娶石木王之女 難波王 无子也
此天皇 无太子
此御世 竺紫君石井 不從天皇之命 而 多无禮


【无】は平仮名"ん"の元字であるが、太安万侶が裸の子音<[ɴ]>あるいは、<ં[Anusvara]>の存在を肯定する道理がなかろう。当時、その様な発音がなされていたとも考えにくいし。
現代語では<ん>は五十音の最後で欄外語。母音語の原則から外れているだけでなく、撥音の実態は1拍音に満たない。([-ng]の場合は1拍音化して<ん〜>か<う>にするしかなかろう。)これでは、他の1拍音と同一レベルでは扱えない。そのため、慣習的には接頭音を配して<うん>と呼ぶことにしているのだろう。
五十音のコンセプトはサンスクリットであるから、あいうえお方式にすれば、釈尊の御言葉の音は<>で口が開き始まり<うん[hūṃ]>で口が閉じるというテーゼを持ち込めるということでもあるが。

ついでながら、[序文漢文]正五位上勳五等太朝臣安萬侶でも<ん>読みはしていないと思う。
≪朝臣≫[asa omi⇒asomi⇒[後世]asoɴ(略語:aso)]
【臣】103 [呉音]ジン [漢音]シン [訓]おみ


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