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■■■ 「古事記」解釈 [2024.5.28] ■■■
[902] 23
「古事記」を読むと、漢字が気になってしかたなくなる。太安万侶:「漢倭辞典」が欲しくなるが、その辺りについての情報が見つからないので、素人が自力で調べることになってしまったが余りに力足らず。
  📖「説文解字」の位置
その気にさせられた切っ掛けは、実は、<天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命>の"鵜"である。
≪「僕者國~名贄持之子【此者阿陀之鵜飼之祖】」≫や、歌≪嶋つ鳥 鵜飼が伴 今助けに来ね≫でも登場してくる。道案内の火鴉に対応する海鵜ということになろうが、(大陸では川鵜であるが、日本列島では海鵜で種が異なる。半島では鵜飼の習慣はおそらく皆無。)ともあれ重視されている鳥であるのは間違いない。
  📖 鵲は登場せず 玄色鳥は鵜

ところが、鵜文字は「説文解字」は無視しているようだ。勿論、文字的には普通に使われているのだが。
  昭帝時有鵜鶘或曰禿鶖・・・[「漢書」卷二十七中之下 五行志第七中之下]
但し、必ず"鵜鶘"として。(省略して1文字の場合はある。)
ここでビックリ仰天させられる。
  鵜鶘=伽藍鳥/pelican

小生は放し飼いペリカンに脅された覚えがあるが、かなりの大型鳥で黒色ではないからだ。(古代中国では、おそらくは、最大の種であるニシハイイロペリカン/卷羽鵜鶘を指していたと思われる。現在は絶滅危惧種だろうが。尚、東南アジアに棲息しているるホシバシペリカンもかつては見られたと思われる。)

当然ながら、「古事記」で登場する鳥の漢語文字は全く異なるのである。・・・
  "う"/鸕鶿(𪈒鷀) or 墨鴉/corvus marinus=sea raven(海烏鴉)

間違える訳もなく、どうしてこの様な用字にするのか、考えてしまう。

推定でしかないが、「説文解字」で外されているからでは。中華帝国では、鵜は紐も付けず飼い主と家族同然の生活をしていることを知っていたことになる。
・・・まさに、恐れ入りましたの世界。


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