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■■■ 「古事記」解釈 [2022.10.16] ■■■
[歌鑑賞14]神風の伊勢の海の
【久米人】@東遷神風をめぐって気勢を上げる
加牟加是能かみかせの 伊勢能宇美能いせのうみの 意斐志爾おひしに 波比母登富呂布はひもとほろふ 志多陀美能しただみの 伊波比母登富理いはひもとほり 宇知弖志夜麻牟うちてしやまむ
㊆(5-6)-(4-7)-(5-7)-7

    又歌曰
神風の  神風の(吹く)
伊勢の海の   伊勢の海の
おひしに(大石に)  大石(の面)に
い這ひ廻る  這い廻っている
細螺の  小螺(の様に)
いはひもとほり(い這い廻り)  這い廻って行く
撃ちてし止まむ  討伐すれば (絶滅させるまで)止まらぬ

何の脈絡もなく、大和から遠く離れた東への出口のような地域である伊勢の歌が繋がってくるのも、理解できない点である。
その伊勢の枕詞とされている<神風>だが、どの様な~か、皆目見当もつかない。伊勢辺りが強風地域となる地勢上の特徴は無いし、風が吹くとしたら鈴鹿下し位だろうから、海には無関係そうだし。
しかるに、「伊勢國風土記(逸文)」伊勢國號には 神倭磐余彥天皇の命で天日別命が平定した話で、風が登場してくる。「神風伊勢國 常世浪寄國」と言われる由縁が記載されている。・・・
  天日別命(天御中主尊之十二世孫) 發兵欲戮其神(伊勢津彦)
  于時 畏伏啟云:「吾國悉獻於天孫 吾不敢居矣」
  天日別命令問云:「汝之去時 何以為驗?」
  啟云:「吾以今夜 起八風吹海水 乘波浪將東入 此則吾之卻由」
  天日別命 令整兵窺 比及 中夜 大風四起 扇舉波瀾
  光曜如日 陸國海共朗 遂乘波 而 東焉


これだけなら、成程、平定対象は広域にわたっていたのか、となるが、それと貝の"しただみ(小螺)"がどう係るのかさっぱりわからぬ。📖しただみの話 📖しったかの話

ほんの昔の磯の情景を思う浮かべれば、バケツ一杯の小螺などすぐに採れたのであり、密集して表面を覆い尽くす様子を意味していそう。
伊勢の平定では抵抗する気も起きないような大戦力が投入されたことになろう。
ただ、煮るだけで楊枝があればすぐ食べられるし、それなりに美味なので、びっしりと岩に付着したまま放置されていることはまずあり得ない。しかし、伊勢の夫婦岩のような特別な大石では採取は禁忌だったろうから、その凄さは皆が知るところだったかも。

【注】浅学者には、"い這い廻り"は奇異な言葉に映るが、動詞接頭語<い->は結構多用されている。「萬葉集」の用例から、移動する際に、"い-行き"や"い-漕ぎ"と表現する様な辞と見てよさそう。多分、強調かリズム合わせだろう。

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