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■■■ 「古事記」解釈 [2022.10.17] ■■■
[歌鑑賞15]盾並めて伊那佐の山の
【久米人】@東遷兵士空腹
多多那米弖たたなめて 伊那佐能夜麻能いなさのやまの 許能麻用母このまよも 伊由岐麻毛良比いゆきまもらひ 多多加閇婆たたかへば 和禮波夜惠奴われはやゑぬ 志麻都登理しまつとり 加比賀登母かひがとも 伊麻須氣爾許泥いますけにこね
㊈(5-7)-(5-7)-(5-6)-(5-6)-7

    又 擊兄師木弟師木之時
    御軍暫疲 爾
    歌曰

盾並めて  盾を並べて(迎え撃つ体制で)
伊那佐の山の  伊那佐山@宇陀榛原の
木の間ゆも  木々の間を通って
い行き守らひ  見回っていたが
戦へば  戦おうといっても
吾はや飢ぬ  吾は腹が減って(それどころではない)
嶋つ鳥  海鳥の
鵜飼が伴  鵜飼部の者ども
今助けに来ね  今(すぐに)助けに来て欲しい

自軍の兵士が疲労困憊したので謳ったとされるが、集団の歌だろう。
盾を並べてそこから進攻してくる敵軍に向けて弓で矢を射る戦法なので、休息する暇がないということだろうが、大苦戦であることを吐露していることになるからだ。戦争の真っ最中に、軍の最高司令官が弱音に映る言葉を兵士の目前で口にすることは、まずあり得ないということで。
ただ、その辺りが、どうあろうと、苦しい戦いを経て来た体験を風化させないための祭祀歌として定着していたことは間違いなさそう。

ただ、山中の林でのことだから、鵜飼でもなかろうとは思うが、食糧調達組織は鵜飼でもあったと考えたらよいのだろう。この組織が重視されていたことがよくわかる。尚、本朝では海鵜漁であり、大陸の鵜飼由来ではない。📖高千穂峰降臨の見方 (3) 📖鵲は登場せず 玄色鳥は鵜

"撃ちてし止まむ"という戦意高揚的な用語の歌が続いた後に、一気に、下手をすれば意気消沈しかねない"今助けに来ね"と言う弱気に勘違いされかねない歌が来て、そのギャップの大きさには驚かされる。
そんあこともあって、久米族とは、鵜飼部族から派生した磨き抜かれた強力海人集団のようにも思えてくる。

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