→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.10.25] ■■■ [歌鑑賞23]御真木入日子はや ⑪9-9 (5-7)-(5-6)-(5-6)-5-4 9 大毘古命罷往於高志國之時 服腰裳少女 立 山代之幣羅坂 而 歌曰 御真木入日子はや 御真木入日子殿に 御真木入日子はや 御真木入日子殿に 己が命を ご自身のお命を 窃み死せむと (密かに)盗み取って殺そうと(している者がおります) 後つ戸よ 背後の戸から い行き違ひ 行き違っていますし 前つ戸よ 前方の戸からも い行き違ひ 行き違っています 窺かはく (そうして)窺っているのを 知らにと お知りにならないのでは、と 御真木入日子はや 御真木入日子殿に 誰が聞いても、歌の意味は、天皇に対する反逆行為が準備されつつあるとの警告。 ただ、それ以上はわからない。 服腰裳という風体がどの様なものかわからぬが、軽装のようだし、聞きなれない服装だから、少女は巫女の可能性が高い。しかも天皇を呼び捨てにしているところから見て、坂という境界域に立って、依り付いた神のご宣託を詠んでいると解釈するしかなかろう。 しかし、はたして神が、「〜はや」と強い調子の言葉を繰り返したりするものか、はなはだ疑問の解釈になってしまう。 この歌を耳にした大毘古命は怪異と感じて少女に尋ねて、答をもらっているが 「汝所謂之言 何言?」⇒「吾勿<言> 唯爲詠<歌>耳」 これが、さっぱり要領の得ない説明とくる。 鳥の囀りとは違い、言葉でない<歌>など存在し得ない。理解不能な暗号的な詞は使われることはあるが、それは特定のコミュニティ内のジャーゴンであって、言葉以外の何物でもない。太安万侶流で言えば、<歌>は"阿〜和"全87音素からなる<言>ということだし。 そうなると、ここは、特別に言いたいことがある訳ではなく、「よく知られた定番<歌>を詠っただけ。」と答えたことになろう。 要するに、少女は「あ〜あ、天皇は一体どうなっているのだ!」と呆れていることになろう。 これは、神とは関係なく、武力制圧の当事者たる大毘古命が見た幻想とでも言うべきものと違うか。大毘古命からすれば、どこから反逆者が生まれてもおかしくないだろうと見ていておかしくなかろう。 一方、天皇は、この話を聞くと、山代國我之庶兄建波邇安王の邪心と見なした。と言うか、大毘古命が討伐したいと考えていそうな山代國の王を選んだだけかもしれない。 ⑧📖 └─┬─△ │┼├○ │┼├○大毘古命 │┼└⑨📖 │┼┼└┬─△ │┼┼┼├⑩御眞木入日子印惠命📖 │┼┼┼└△ │ └─┬─△ ┼┼└○建波邇安王 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |