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■■■ 「古事記」解釈 [2022.12.31] ■■■
[歌鑑賞89]隠口の泊瀬山の大峰には
【木梨之輕太子】愛する同母妹の来伊予時
許母理久能こもりくの 波都世能夜麻能はつせのやまの 意富袁爾波をふをには 波多波理陀弖はたはりたて 佐袁袁爾波をさをには 波多波理陀弖はたはりたて 意富袁爾斯をふをにし 那加佐陀賣流なかさためる 淤母比豆麻阿波禮をもひづまあはれ 都久由美能つくゆみの 許夜流許夜理母こやるこやりも 阿豆佐由美あづさゆみ 多弖理多弖理母たてりたてりも 能知母登理美流 のちもとりみる 意母比豆麻阿波禮をもひづまあはれ
⑮(5-7)-(5-6)-(5-6)-(5-6)-8-(5-7)-(5-7)-7-8

    故 追到之時
    待懷 而 歌曰

隠口の  📖[私説]"こもりくの"泊瀬の意義
      📖[脱線]「万葉集」巻十三の"こもりくの"
泊瀬山の  泊瀬の山の
大峰には  大峰には
幡張り立て  (兄が皇軍の)幡を張り立て
小峰には  小峰には
幡張り立て  (弟が皇軍の)幡を張り立て
大峰にし  大峰側について
仲定める  仲を結んでしまった
思ひ妻あはれ  (吾を)心から慕っている妻をなんと言ったらよいか
槻弓の  槻弓の様に
臥る臥りも  伏せて伏せてと戦い
梓弓  梓弓の様に
猛り猛りも  立ちて勇猛に立ちて勇猛にと戦ったのだが
後も取り見る  (敗退すれば)その跡の(吾を)見ることになる(のだから)
思ひ妻あはれ  心から慕っている妻をなんと言ったらよいか

実際に、この地域で幡を立てたのかはなんとも言い難しだが、大々的な戦闘か葬儀があったことになる。武器用語を使っているから、幡は朝廷の赤旗ということになり、大峰(兄 軽太子) v.s. 小峰(弟 穴穂命)と見るしかなかろう。そのような戦い無しに軽太子は補足されたのだから、一種の幻想風景と見なすしかないだろう。

軽太子の妻となってしまった妹 軽大郎女は、敗者側であるから、軽太子の棺を見るしかなくなると解釈することになる。
このように読めば、この歌の骨子は、深く愛しているが故の、愛してしまった後悔につきる。換言すれば、弟に敗戦をくらい、愛する妻も死ぬしかなくなってしまった不甲斐なさと言ってよいだろう。それでも愛するしかないつらさで胸が充満している様子が見てとれる。変則的ではあるが、恋歌である。

一方、軽大郎女は、軽太子が敗者と確定し、自分の謹慎が解けた時点で、即座に配流先へ旅立ったと思われる。もちろん、軽太子処断は近そうと知ってのことで、自死覚悟。誰もそれを止めることなどしまい。
兄への愛以外に何も無くなっており、愛に捧げるといった形而上学的な気分とは全く違うと見てよいだろう。

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