→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2023.1.9] ■■■ [歌鑑賞98]八隅知し我が大王の遊ばしし ㊇(5-7)-(5-3-5)-(7-8)-(4-7) 又 一時 天皇登幸 葛城之山上 爾 大猪出 即 天皇 以鳴鏑 射其猪之時 其猪怒 而 "宇多岐"依來 故 天皇畏其"宇多岐" 登坐榛上 爾 歌曰 八隅知し 八方に御威光を発す 📖「古事記」が示唆する枕詞発生過程 我が大王の 吾が大君の 遊ばしし 遊狩で射た 宍の 猪だが 病み宍の その手負いの猪に うたき畏こみ 喰いつかれるのを畏れて 我が逃げ登りし 吾が逃げ登ったのは 在峯の 丘の上にある 榛の木の枝 榛の木の枝 葛城之山上での国見だが、大猪が出てきてしまい上手くいかない。 大猪の怒りはただならぬものがあり、這う這うの体で榛の木に登って事無きを得る。 失敗譚であるが、あくまでも八隅知し大王の行為であるから、榛の木賛歌と化す。 再度挑戦することになるが、今度は向かい側から登る人。 又 一時 天皇 登幸葛城山之時 百官人等 悉給著紅紐之青摺衣服 彼時 有其自所向之山尾 登山上人 それは、葛城之一言主大神だった。天皇惶畏し拜獻となり、手打ちで収まる。 流石にこの場面での歌は無い。 📖俗に言う国見の概念は曖昧過ぎる㊦ (C) 2023 RandDManagement.com →HOME |