表紙 目次 | ■■■ 面白話とは限らない 2015.7.13 ■■■ 十二支生肖仮説[改訂版]十二支の「子〜亥」文字の意味は、遺跡発掘が進んだ上に、甲骨文字が公開されたお蔭で、その意味がだいたいわかってきた。お蔭で、生肖(鼠〜猪)とは全く関係ないことが白日のもとに晒された。いかにも政治的解釈という手のものが結構目立ったが、一掃された訳だ。南方熊楠の指摘が輝く。・・・「十二支に十二禽を割り当る事、古く支那に起って、日本・朝鮮・安南等の隣国に及ぼし、インドやメキシコにも多少似寄った十二物を暦日に配当した事あれど、支那のように方位に配当したと聞かぬ。」 確かに、これは「支那人の大出来」なのだ。 (ご注意:引用文なのでママ使用しているが、「支那」は差別用語とされている。) そう感じないのは、「覚え易くするため、動物(生肖)が割り当てられた」説を、一応認めておこうとの暗黙のコンセンサスがあるからだ。 言うまでもないが、これは政治的俗説。たいした副作用もないから、まあ、そうしておこうとなるにすぎない。そこが日本人の奥ゆかしいところ。 どういう経緯で生肖が生まれたのかは、薄々感じてはいるが、証拠も無しに言って、波風を立てるのは止めておこうといったところ。 と言うことで、誰でもが思っていることを、「仮説」として書いてみたくなった。いい加減なものであるから、そのおつもりで。 その場合、確認しておくべき点がある。 十二支は、あくまでも、天文(天のメッセージ)に合わせ年間を12区分した暦の概念。「子の刻」といった使い方はアナロジーであり、生肖とは無縁。寝静まり鼠が活動し、やがて牛が反芻最高潮に、といった手のお話は後付。もちろん、五行や陰陽での解説も屁理屈に近いと見てよいだろう。 そうなると、生肖の目的は、自明だろう。様々な部族のトーテムを集めて、帝国感を打ち出したかったということ。 乱暴に言えば、最高トーテムのナイル河帝国、トーテム習合の印度帝国、トーテム並立の中華帝国という感じか。勿論、この他に、トーテム打倒の帝国がある訳だ。 但し、中華の生肖はトーテムとはかなり性質が違う。「龍」が入っているからである。従って、ここの理解が鍵。 トーテムとは一部族のアイデンティティ。常識的には自然界に存在しない創造モノが使われることはない。 色々なバージョンがあったり、姿を変えることができることなどありえない。 それに、トーテム自体は神そのものではなく、普通はお遣い役。能力は限定的で、雷鳴を轟かせて雨を降らせるようなことはできない。 つまり、12生肖の特徴は、1つだけ「神」的なものが入っているということ。他部族からなる帝国の象徴を「龍」に決めたのである。ミソは、その姿は固定化されていない点にある。それぞれの部族がマイナーチェンジ可能だから、できる限りトーテムと習合せよということ。優れた施策と言えよう。 実際、これで、アジア圏を一つにまとめることに成功したのだから。 但し、最初から龍が構想された訳ではないと思われる。水棲の真正なトーテムたる生肖が設定されていた筈。小生はそれを「鰐」と見る。 そう考えると、12のトーテムを「子〜亥」に当て嵌める作業はなんということもない。 第1位の「子」に帝国のトーテム、次の「丑」に有力部族のトーテムという具合に進め、下位は文化的に突出する少数部族のトーテムを並べればよいだけ。 しかし、そうはしなかったのである。第一位はなんと「鼠」。流石、官僚システムが根幹にあると味なことを考えるものと感心させられる。帝国分裂を避けるために、「帝王のトーテム」を表に出さなかったのである。実践論に拘る知恵者が12生肖の並べ方を工夫したのだ。 まあ、このトーテムがどれかがわかれば、なんということもないのである。・・・ おそらく、先ずはこんな具合に12種のトーテムが選ばれたのだと思う。 「六畜」・・・牛 馬 羊 鶏 狗(犬) 猪(豚) 「四主要信仰対象」・・・虎 蛇 兎 鰐(竜) 「特殊二文化」・・・鼠[穴棲] 猿[樹棲] 官僚的ヒエラルキー文化の帝国であるから、この12に順位をつけることになる。もちろん第一位から。 そうなると、誰もが一目置く巨大で角を持つ牛か、王の風格の虎が順当。牛は、夏-殷-周で国家行事に於ける生贄だったし、虎は誰もが毛モノ[獣]の王と見なしていたからだ。 しかし、その発想は帝国構築を考えない一般大衆的視点。 従順な牛や、単独者の虎は、様々な部族を、「力」で強引に併存させる帝国にとっては、適当な生肖とは言えない。 それはなにかと言えば自明。「馬」だ。帝国化の原動力は何時の世でも第一義的に武器だが、古代のそれは「馬」であり、金属の武具。両者は、それこそ手を携えて、西から中華帝国に渡来してきた。 この「馬」あってこそ成り立つのが中華帝国。 しかし、馬は、古代から、北方騎馬民族イメージが強かったろう。そんな馬を表に出すと帝国は分裂しかねまい。 と言って、馬を牛や虎の後塵を拝す位置に追いやる訳にもいかない。 そこで有能な官僚達(おそらく、被支配の多部族からなる。)は一計を案じたのである。 裏の第一位に「馬」を当てたのである。 一番陽の当たる時刻を正午と呼ぶことでおわかりだと思うが、暦では太陽活動が一年で一番盛んな時期が「午」。ここを「馬」とした訳。 そうなると、表の第一位は暗い時期を象徴する生肖が望ましい。 それが「鼠」。 牛に乗った鼠が上手く第一位の座を仕留めたというお話は結構ポイントをついているのである。 つまり、 1 鼠 2 牛 3 虎 : 7 馬 となる。 4〜6は、従順な家畜ではなく、信仰対象から選ばれる。 騎馬民族から見れば、月の表象である兎は重視したい。一方、嫌うのは蛇。順位は自然に決まる。 4 兎 5 鰐→竜 6 蛇 南船北馬型風土であり、水棲の「鰐」はいたしかたなく入って来た訳だが、騎馬民族としては目の上のたん瘤みたいなもの。そこで、代替表象として、水から生まれたと称する竜を持ってきたのだと思われる。実在しないから、どうとでも解釈できるし、「神」的存在にすれば他の生肖より一段上ということになるから鰐を代替できた訳である。 残りはどうでもよかった筈。しかし、官僚機構としては、そうはいかない。あくまでも、馬を重視したい勢力からの観点で順位付けを進めたと思われる。羊は残った生肖のなかでは愛すべき存在。一方、唾棄すべき存在は猪(豚)。狗も信仰上では嫌われがちだが、豚ほどではない。そして、弱々しい家畜よりは、猿の方が優位。・・・たったこれだけで、位置が決まってしまう。 8 羊 9 猿 10 鶏 11 犬(狗) 12 猪(豚) どうかな。 (前回記載) 「十二支生肖仮説」[2014.8.2] (参照文献等) 「十二支薀蓄本を読んで 」[2015.6.28] 苦笑いの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2015 RandDManagement.com |