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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.3.23 ■■■

尊師玄奘

「物異」篇の西域〜天竺の話の続きというか、感想を。
   「珍習(文化)」

玄奘体験に基づいて編纂された自称"地誌"本「大唐西域記」の構成を眺めていて、突如、成程感に襲われる。
夜中に長時間を費やして「大唐西域記」の漢文を跳び歩いただけのことはある。

すでに書いたように、仏教の原典に触れることをひたすら願った玄奘にとってはサイドワークにすぎない。だからこそ、「大唐西域記」には専任編纂者がいるとも言えよう。だが、そのおかげで玄奘のものの見方がよくわかるようになった。

グローバルな視点形成には何が重要かがわかるように仕上がっているからだ。これはまさしく、風土論であり。それは原初の釈迦の考え方とは異なるのは当然だし、地域毎に信仰形態が変わっても当たり前との現実感覚が見てとれる。経典の宗教と言っても、正式なものを作ってドグマ化させてはならぬという精神に忠実だともいえよう。だからこそ、梵語経典からの翻訳経典作りに一生を捧げる決意をしたのだろう。
肝心なのは、古い時代の冒険旅行記として読まないこと。玄奘のセンスが理解できなくなりかねず、余りに勿体ないからだ。
おそらく、大部の書籍を読む術を身に着けている成式は、本書を開いた瞬間にそのことに感づいたに違いない。これは山海経とは本質的に違うものと。
そして、天竺巡礼をなしとげた倭僧 金剛三昧と心ゆくまで語り合ったろう。宗教分派のこともあるが、国家のなりたちとそれを成り立たせている社会文化についてだ。話がはずめば、グローバルな時代のありかたの議論までしていた可能性があろう。
   「天竺から帰還の倭僧」

そんな風に感じた理由を書いておこう。

先ずあげておくべきは、繰り返しになるが、「大唐"西域"記」は常識に反する題名であること。
  12巻のうち、10巻がインド。
  西突厥の話が割愛されている。(吐蕃も無視。)

そして、なによりも驚かされるのは、天竺ではなく印度という名称がついていること。長安で、そんな地名が使われていたとはとうてい思えないのに。

ハタと思い当たったのは、成式がタジク[大食]王の話を取り上げているからである。
この地は、言うまでもなく現代ならタジキスタンである。タジク人の地を支配する、タジク人の王ということになる。
さすれば、天竺[漢では身毒]とは何を意味しているのだろうか。
証拠があるのかは調べてはいないが、インダス川を指すイラン系の言葉ヒンドゥーから来ているとのこと。国ということでは、ヒンドゥー・カになるという。これが由来らしい。
そうだとすれば、ヒンドゥー人の国ヒンドスタンということ。今でも地方名として使われているが、それはどうでもよい。多様な人種と文化が入り乱れており、はたしてそんな国があるのか、ということ。

それに気付くと、何故に、聞いたこともないような国家名が100も並べてあるのか分かる筈。それを統合するような帝国については一言も書かれていないのである。

玄奘のビジョンは明らか。
唐朝の中華帝国+東/西突厥+吐蕃+ソグド+旧トカラ+インド全域が、「仏教」によって徐々にではあるが統合されるべきということ。アジア仏教帝国を夢見ていたのかも。
ただ、それは一枚岩的な信仰ではない。それぞれの地域毎に、異なる文化や言語があり、それに合った信仰が形作られていくべきものという考え方。そんな小国家を大きくまとめるのは、当然、風土的な一致だろうと示唆していうのである。
それがわかるのが、どこまでがインドかという記述。大国の説明ではなく、風土的概念を感じさせるインド総説と細々とした国々という書き方がされているが、現代の地図上での線引きとは一致していないだけでなく、常識的なインドの地理的概念とも違っていそう。しかし、そうなるのは、実際の気候をみればどちらに所属する地域はすぐにわかるというようなトーンで説明されている。
これは、天帝から指名された天子が統治する中華帝国ありきの思想とは真っ向から対立する思想。

成式は、始皇帝の焚書坑儒型の、仏教弾圧にいずれ直面するとわかっていた筈。
そこで読者は気付くことになる。何故に、この本の題名が「酉陽雑俎」なのか。すでに、その話をしたが、始皇帝時代の焚書を免れた書籍が隠匿されているとの伝承があるということ。
   「序で垣間見える思想」

これでピンとこなければ嘘である。

玄奘の持ち帰った梵語書籍の量は半端なものではないからだ。そして、そのための所蔵蔵が大慈恩寺(隋代:無漏寺)に建造された。その施設こそ、ご存知"大雁塔"。見かけは建造物だが、もぬけの殻であり、単なる廃墟に過ぎない。
しかし、あれだけ広い国土でありながら、玄奘が持ち込んだ梵語経典は現時点で何一つとして現存していないのだ。(「般若心経」のような基本テキストでさえ見つからないらしい。最古梵語経典は法隆寺所蔵と聞いたことがある。尚、上座部系地域には支配者階級の言語たる梵語経典でなく俗語経典しか伝わらなかったと思う。)徹底的な焚書というなら、それなりの伝承あるいは、それを示唆する記載位はありそうなものだが、そのような指摘は未だかつて聞いたことがない。どこかに隠匿されていると考えるのは自然なこと。
成式は、後世になって、それが突然にして発見されることになろうと予言しているのである。

仏教施設も教団も、この弾圧で、ほとんど灰塵に帰したが、それは権力のお膝元での話。桃源郷はどこかに残っているのではないかと考える気分はわかる。
  「桃源僧舍看花」  [唐 段成式]
 前年帝里探春時,寺寺名花我盡知。
 今日長安已灰燼,忍能南國對芳枝。


ところで、何故に、そこまで成式が「大唐西域記」にこだわったかだが、それはグローバル化推進派だからだろう。
グローバル宗教が土着信仰と習合するのは致し方ないことだが、仏教の世界観が根底にあるグローバルな社会になって欲しいものと考えていたに違いないからだ。
長安の一部はインターナショナルな雰囲気を醸し出してはいたが、釈尊のグローバルな環境作りと比べれば段違いだと感じていたということでもある。もちろん、生まれで決まる人種/身分と、それにリンクする"就くべき職業規定"に縛られる社会制度に対して、批判的立場を貫むき通した釈尊の凄さを想いながら。
それを書籍を通じて教えてくれたのが、玄奘なのである。・・・
  五百大阿羅漢[玄奘 漢訳]:「阿毘達磨大毘婆沙論卷第七十九」@(C) 中華電子佛典協會 漢文大藏經.
一音者謂梵音。若"至那(支那だろう。)"人來在會坐。謂佛為説至那音義。如是礫迦"葉筏那""達刺陀""末[甲*葉]婆""沙""覩貨羅""博喝羅"等人來在會坐。各各謂佛獨為我説自國音義。聞已隨類各得領解。
こんなインターナショナルな状況を釈尊は作りだしていたのである。独裁者が隷属させるべく集めた訳ではなく、教団組織さえ固まっていず、本部など影形さえない。信徒は自律的に集まってきたのである。ここには言語の壁など無い。

但し、成式が玄奘にこだわるのは、仏教徒だからという訳ではなさそう。
玄奘の姿勢に圧倒されたと見てよいだろう。仏典だけでなく、仏教側が批判の対象としていた哲学書や経典類も同時に翻訳したからである。焚書で人々の考え方を変えさせようという独裁フェチや、正典の一字一句を護持するカルト発想に無縁の人だったのである。
例えば、こんなものが翻訳されている。内容的には、こんなところだろう。・・・「存在する。」と言うなら、それはその通りという哲学である。「無い。」と見なす場合、それは、実は「存在する。」の裏返し。「無い。」とは「在る。」とされるモノの"例外"を頭のなかで考えているにすぎないのだから。
  勝者慧月[玄奘 漢訳]:「勝宗十句義論」648
 有十句義。
 一者實[実体]一地二水三火四風五空六時七方八我九意。(名詞)
 二者コ[性質]一色二味三香四觸五數六量七別體八合九離十彼體十一此體十二覺十三樂十四苦十五欲十六瞋十七勤勇十八重體十九液體二十潤二十一行二十二法二十三非法二十四聲。(形容詞)
 三者業[運動](動詞)
 四者同[普遍](言語表現の直接的対象物)
 五者異[特殊](上記対象物から除かれる対象)
 六者和合[内属](対象物間の接触による知覚)
 七者有能[原因の力能]
 八者無能[無力能]
 九者倶分[普遍と特殊]
 十者無説。[無]
(上座部系主流の説一切有部の主張の核は、過去とは現在の記憶に存在するだけだし、未来は現時点での予想に過ぎぬという考え方。過去や未来に囚われずに真っ当な生き方を貫けというもの。視点は違うが、矢鱈に哲学好き。)


成式の信仰は金剛経のようだが、ひょっとすると、その哲学はコレかも。
成式自身は、鬼神などあり得ぬ話と考えている訳だが、それは「在る。」という人がいるなら実は存在すると。矛盾だが、世の中そんなものと。

原初仏教は本質的には無神論。と言うか、創造神の否定が第一義的なものだったろう。従って、神ありきのヒンドゥー教とは相容れなかった筈だが、結局のところ、土着のあらゆる神を肯定し、すべてを統合する方向に進んでしまったのである。社会のリアリズムに照らして考えれば当然のこと。
霞を喰って生きてはいけぬわけで、出家者の生活を支える糧を供する"汗して働く"人々がいなければ、僧侶がいくら法輪を回したところで坂は登れないからだ。結局、土着の神々は仏教の法を護る役割を持つ存在と見なす以外に手はないのである。と言うか、それらは調伏対象であり、仏教に帰依させた後に、護法の中心を担うことになるとの考え方だ。
成式はそこらの認識を踏まえていたからこそ、金剛三昧的な菩薩実践行にシンパシィーを感じていたのだと思う。

そんな感覚で、「大唐西域記」から、コレぞと思うものを引いてきているように見えるのだ。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 2」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.
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