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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.4.19 ■■■

桃信仰の変遷

「酉陽雑俎」を読んで、初めて、桃信仰がどのように発展してきたのかが読めた。目から鱗ほどではないが、頭の整理がついた。
成式先生は百も承知の助だったのである。
そこらをご説明しておこう。

もともとは、古事記に登場するような「辟邪」の効能がある樹木とされていたのである。
おそらく、果肉、仁、花、葉、枝、脂、樹皮のすべてを「辟邪」用に使っていたであろう。食用には向かない種であったかもしれない。使えないのは、幹と核の殻だろうが、木材は魔除けの置物用になっていたようだ。
《甄異傳》鬼但畏東南枝爾。據此諸説,則本草桃之枝、葉、根、核、桃梟、桃,皆辟鬼祟産忤,蓋有由來矣。 [李時珍:「本草綱目」29果之一 桃符]
そのなかでも特に威力抜群ものは尊ばれていたということ。
【仙桃】,出[湖南]蘇耽[漢文帝時得道]仙壇。有人至,心祈之輒落壇上,或至五六顆。形似石塊,赤黄色,破之,如有核三重。研飲之,愈衆疾,尤治邪氣。 [卷十八 廣動植之三 木篇]
ただ、それを"仙"桃と呼ぶようになったのは、上流階層の仙人化願望が高まり、国家も道教崇拝に振って以後だと思われる。

ただ、格段に桃を重視するようになったということではなさそうである。
桃樹には、すべての疾病の元凶と見なされていた邪気を払いのける力が宿っているとされたので、漢代には、新年になると桃の木で作った人形を門口に懸ける慣習が拡がっていたという。
現代に伝わる、立春の門口飾り"春貼/春聯"の大元はコレ。今の形式にしたのは、後蜀の孟昶[919-965年]で、一段と効果が高い魔除けの「桃符」として、神荼と郁壘兄弟の名前と「新年納余慶、嘉節号長春」を書いたという。(東海の度朔山の林の中に巨大桃木があり、それを兄弟と虎が護っており、悪を退治したとされる話から来ている。)
《山海經》又曰:滄海之中,有度朔之山。上有大桃木,其屈蟠三千里,其枝間東北曰鬼門,萬鬼所出入也。上有二神人,一曰神荼,一曰郁壘,主閲領萬鬼。惡害之鬼,執以葦索而以食虎。於是黄色帝乃作禮以時驅之,立大桃人,門戸畫神荼、郁壘與虎,懸葦索以御凶魅。[東漢 王充:「論衡卷第二十二」訂鬼篇第六十五]
「辟邪」とは邪鬼払いにほかならず、神荼と郁壘は鬼の管理者ということで、その力を頂戴しようということのようだ。成式はそれは道教が「鬼」も"仙"化させた教理に由来するとしている。
《太真科經》説,有鬼仙,---(鬼の名前がズラズラと並ぶ。)---神荼、郁壘領萬鬼。 [卷十四 諾記上]

要するに、辟鬼呪術の【桃符】信仰が唐の社会に深く根付いていたのである。
《典術》桃乃西方之木,五木之精,仙木也。
    味辛氣惡,故能厭伏邪氣,製百鬼。今人門上用【桃符】以此。
《玉燭寶典》上著【桃板】辟邪
《山海經》神荼、郁壘居東海蟠桃樹下,主領衆鬼之義。
許慎云:羿死於桃。__仗也。故鬼畏桃,而今人用桃梗作 以辟鬼也。
《禮記》王吊則巫祝以桃列前引,以辟不祥。者,桃枝作帚也。
《博物志》桃根為印,可以召鬼。
 [李時珍:「本草綱目」29果之一 桃符]

そんな状況で、精神的に面倒な世俗的生活から離脱する動きが活発化。科挙と権謀術数に疲れた官僚層や、身内の熾烈なポスト抗争に疲れた人々が、"異界への旅立ち"に憧れたということだろう。人気が勃発してしまえば、そんな異界の門口に続く路には「桃林」があってしかるべしとなるのは自然な流れ。桃林のお蔭で、邪悪な動きから隔離された地でいられると言うだけの身も蓋もない話である。
そんなコンセプトを大流行させたのが、ご存知、陶淵明の「桃花源記」。武陵の世俗的漁人が偶然に桃花林に逢い、世から隔絶した地に進入してしまう奇遇記である。この後のエピゴーネン達とは違い、作品自体の反権力的感覚はゼロなのが特徴である。
その影響力は凄まじいものだった。・・・例えば、李白「山中問答」、王維「桃源行」、蘇軾「和桃源詩序」。
   「大陸の桃信仰」[2015年7月23日]

この「桃花源記」だが、異境の住人なのは確かだが、無税で権力者による強制が無いというだけで、どう見ても仙界とは言い難い。しかし、それを道教は、仙界的異界と見なし上手に取り込んだのである。

そんな異界だが、その特徴は、なんといっても時間の流れが遅いこと。
   「異界の時間」
【聖山の時間】とは、満州と朝鮮半島の境にある長白山で、桃を続けざまに2ツ食べただけのお話。ところが、帰ってみるとそれは2年を意味していた。
コレ、本来的には、桃でなくてもよいのである。「辟邪」の要がない世界なら、わざわざ食するのは矛盾があるが、そうは考えないことになっている。マ、そのような論理が理解できないからこそカルトが次々と生まれる訳で。
実際、貝丘西有玉女山の話である【女界山の時間】では、桃は全く登場しない。その出典と思われる《述異記》では棗の種である。棗信仰も存在していたのである。
仙人棗,晉時大倉南有泉,泉西有華林園,園有仙人棗,長五寸,核細如針。 [卷十八 廣動植之三] 

要するに、これらの話でわかるのは、異界の1日が俗界の1年に当たるような時間の流れがあるということ。それこそ、異界の桃の実が成るのに俗界の単位では三千年に当たるとなったりする訳で。
従って、これを、「長寿」と見ることもできよう。
ただ、桃にはもともと「辟邪」の力があったから、仙界の力を持つ果実として位置付けられるようになったのである。つまり、「仙桃」には長寿化力ありとされた訳だ。
これが道教的な習合の進め方。と言うか、社会全体がそのような風土なのであろう。

そんな習合が始まれば、様々な話が乗って来る。
水が酒に変わる魔法の桃核話も生み出される。
蜀後主有【桃核】兩扇,毎扇著仁處,約盛水五升,良久水成酒味醉人。
更互貯水,以供其宴。
即不知得自何處。
 [卷七 酒食] 

その切欠は、巨大な桃核の発見。
【桃核】
水部員外郎杜陟,常見江淮市人以桃核扇量米,止容一升,言於九嶷山
[湖南]溪中得。 [卷十 物異」
   「珍品(異種)」

ただ、こうした習合だが、道教勢力が天子と一体になってキャンペーンをはったからこそのもの。
「辟邪」を「長寿」に、そうそう簡単に変えられる訳がないからだ。

そこは周到。西王母をかませたのである。
もともと、西王母に桃など全く関係していないというのに。山海経など、怪物以外のなにものでもないような紹介のしかたであり、そこは成式だから、サラッと。
西王母姓楊,諱回,治昆侖西北隅。以丁醜日死。一曰婉衿。 [卷十四 諾皋記上]
(尚、古書に「冬桃一名西王母桃,一名仙人桃,」に記載ありとの引用文を信じる人もいるが、一書だけに書かれる訳がなかろう。これは新しいコンセプトである。)
それを一気に関連付けさせてしまったのだから流石知恵者の集団だけのことはある。
【王母桃】,洛陽華林園内有之,十月始熟,形如。俗語曰:“王母甘桃,食之解勞。”亦名西王母桃。 [續集卷十 支植下]
"周の穆王が西に巡符して崑崙に遊び、彼女に会い、帰るのを忘れた。"とか、"前漢の武帝が長生を願っていた際、西王母は天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えた。"というストーリーは道教勢力と政治権力が力を合わせて生み出したものということ。
かなり強引だったのは間違いない。そもそも、桃樹は東方にあるとの話があったくらいなのだから。それらの記述は、偽書と見なすか、焚書で消し去ればよいだけのこと。それこそが中華文化の真髄である。これなくしては帝国は分裂しかねないから致し方なし。
東方有樹,高五十丈,葉長八尺,名曰【桃】。其子徑三尺二寸,和核羹食之,令人益寿。食核中仁,可以治嗽。小桃潤,嗽人食之即止。 [東方朔[B.C.154-B.C.92年]:「紳異経」]
山去扶桑五萬里日所不及其地甚寒有【桃樹】千圍萬年一實一説日本國有金桃其實重一斤 [南朝梁 任ム:「述異記」@欽定四庫全書]

ご存知、中華社会の底流には、血族信仰を旨とする家繁栄を第一義的に考える思想がある。
婚姻祝賀の「桃夭」[詩経 国風・周南]はまさにそのようなもの。春の歓びと婚姻が重なるのは自然なこと。「辟邪」で馴染みの桃樹の様々なパーツを寿いだと見ることができよう。
これにのせたのが、西王母と桃の組み合わせとも言えよう。崑崙山脈の東女国のイメージがもともとあったから、不老長生のムードが満ち満ちている社会に合わせてコンセプトを転換させたと見て間違いなさそう。桃こそ仙果とのキャンペーンを西王母というキャラクターで徹底的に喧伝し、それが一世風靡と見てよかろう。

この成功は、一種の異境感覚に、桃がピッタリ嵌ったから。
と言えばおわかりだと思うが、一応ご説明しておこう。世俗社会から異界に入るのはそう難しいことではないからだ。

そう、妓館での遊びのこと。
都会では一般的にどこにでも見られる風俗であり、長安はそのメッカだったに違いない。そこでの妓女とは言うまでもなく仙女そのもの。
この表現を"喩え"と見なすべきではない。そこは日常生活とは無縁な場所であり、俗世と隔離されているから正しく異界なのである。そこでは、憂いなどこっれっぽちもなく、まさに"仙"の境地に浸れる訳だが、残念なことに必ず現実生活だけの俗界に戻るしかない。

有名な話はどれなのか見当もつかぬが、以下の話を引用して〆としよう。
[658-730年]:「遊仙窟」は,作者の遊里における体験を神仙譚に託して述べたもの。解説によれば、日本にだけ伝わったらしい。(裏を返せば、中華帝国ではエロ本と見なされて中華帝国では抹消されたということ。)
主人公〈張文成〉は、黄河の源流を訪れる旅に出るのだが、その途中に、・・・。
日晩途遙,馬疲人乏。行至一所,險峻非常,向上則有青壁萬尋,直下則有碧潭千仞。古老相傳云:“此是神仙窟也;人蹤罕及,鳥路才通,毎有香果瓊枝,天衣錫,自然浮出,不知從何而至。”
余乃端仰一心,潔齋三日。縁細葛,溯輕舟。身體若飛,精靈似夢。須臾之間,忽至鬆柏岩【桃華】澗,香風觸地,光彩遍天。

ここで鍵を握る表現こそ、【桃華】。その先は邪とは無縁な仙の世界が拡がるのである。
ということで、神仙の家に迷い込んで泊まり込み、仙女〈十娘〉とお付きの〈五嫂〉と名のる女性と酒宴。当然ながら、一夜の歓を尽くす。
成式は、この手の話も皮肉を籠めて書きたかったと思われるが、躊躇したに違いないのである。

(参考)
蕭馳:"問津「桃源」與棲居「桃源」┼盛唐隱逸詩人的空間詩學" 中國文哲研究集刊 第四十二期 2013年3月
陳金鳳[江西師範大學歴史研究中心]:「道教桃文化説」弘道 2010年第2期/総第43期
(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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