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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.6.21 ■■■

仏僧の占術

仏僧による帝の夢占いの話をとりあげたことがある。
上嘗夢曰鳥飛,蝙蝠數十逐而墮地。驚覺,召萬回僧曰:“大家即是上天時。”翌日而崩。 [卷一 忠志] [→「李王朝前期略史」]

ママで読めば、"ご逝去"の時期がやってまいりました、と帝に解釈を告げたことになる。
しかし、これはどう考えても、朝廷内の権力闘争が敗北で決着しましたとの"ご報告"。換言すれば、早晩、帝の命は奪われることになりますと伝達したのである。その結果は、自殺か、はたまた毒殺かはわからねど。
仏僧の役割は、無所属のスパイのようなものだったとも言えそう。

スパイと呼ぶと悪いイメージを抱きがちだが、それは権力の"走狗"でしかないから。仏僧の場合はそうとはかぎらない。なにせ、日々権謀術数を駆使して、一族皆殺しを画策している世界のなかに居るのである。何がベストか、自分の判断で動くしかない訳で、イメージは決して悪いものではなかろう。・・・占いではないが、上人にフレームアップを防いでもらったお蔭で一家が命拾いした話も掲載されている。 [→「壺と貝」]

"ご逝去"というのはいかにも単刀直入な言い方。その一方で、なんだかわからぬ言い草の占いもある。
お命頂戴といった直截型言辞は流石に気が引けるということだろうか。
後魏胡後嘗問沙門寶誌國祚,旦言把棗與喚朱朱,蓋爾朱也。 [巻三 貝編]
胡太后は、寶誌に国の行く末を占ってもらう。言い出すかと思いきや、棗を攫んでに与えようと、"朱朱"と呼びかける。

なにがなんだかわからない内容である。

本来的には、占いとはそういうもの。本人がそれを都合よく解釈することで、"ああ、ヤッパリ"ということで決断ができるから、それなりの効用はあるのだ。なんだかわからんくても、後付けで「当たっていた」と屁理屈をつければよいし。もちろん、いかにもハズレの場合は記憶から捨てられるから、占いはたいていは大当たり。

この場合は、2朱=爾朱と解釈できる。
つまり、爾朱という人物にはくれぐれもご用心の程とお伝えしたのである。朝廷の最高権力機関内のパワーバランスをよく見ていないとできかねるアドバイスと言えよう。

その結果はこうなった。
北魏の孝明帝[510-528年]は宣武帝死去に伴い幼くして即位。母の胡太后[442-490年]が実権を握るようになるものの、権力闘争は熾烈化し政治は混乱。反乱も続く。帝は、胡太后から権力を奪おうと画策し、爾朱栄[493-530年]と組む。それがバレて両者処刑の憂き目。時に、帝、19才。

占いは、大いに役立ったと言えよう。

同じ占い師の話が続けて収録されている。
有趙法和請占,誌公曰:“大箭不須羽。東箱屋,急手作。”法和尋喪父。

これはソースの「洛陽伽藍記 卷四」を読まないとわからない。・・・
時亦有洛陽人趙法和,請占早晩當有爵否,
寶公曰:
「大竹箭,不須羽。
 東廂屋,急手作。」
時(人)不曉其意。
經十餘日。法和父喪。
 大竹者,(苴)杖;
 東廂屋者,倚廬。
 [「太平廣記 巻九十 異僧四 釋寶誌]
爵位が貰えるかの占いをしてもらったのである。
ところが、答はトンチンカン。
 「大きな竹の箭
[=矢]に羽いらず。
  東廂の屋根は急いで手当せよ。」と。
誰も意味わからず。
ほどなくして、父親死去。
 成程。
  苴杖=古代居父喪時孝子所用的竹杖
  倚廬=居父母喪時所住的房子


要するに、あなたの父親の状況を見れば、出世話などしている状況ではないのでは、とやんわりとご注意申し上げた訳である。
なかなか味なことをする僧侶である。
おそらく、占いは当たる僧侶と言われてはいるものの、評判悪し。

そう言えば、一行も愉快きわまる僧侶である。帝から星占いの要請を受け快諾。そして、"大赦"の意と告げる。恩義の御返しのためである。周囲の誰も、仏教的な発想とは無縁ななかでの行為。 [→「一行禪師伝」]

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 1」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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