表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.3.22 ■■■ 天地創造の見方[3:造物主]創生話で、必ず触れられるのが、巨人"盤古/Pán-hù"である。"渾沌"は奇妙奇天烈な姿の神だし、"陰陽の氣"は形而上でナニガナラだが、これはまさしく超人たる造物主。 造物主とは、常識的には、聖書的な発想の神である。 従って、成式は、中華帝国の信仰対象としては眉唾モノと見ていたのではないか。 と言うのは、"盤古"そのものに触れず、ヘンテコな形でその話の存在を臭わせているだけだから。 外部寄生虫話として、宿主の体温が下がると、虱が一挙にワラワラと逃げ出すというのである。コレ、どう考えても、盤古の遺骸が万物を生んだとの神話である。身体についていた蟲は離れて民と化すのである。 その辺りについてはすでに触れた。 → 「虱話の意味」 (盤古"関連文典引用) 古事記にもあるように、神の死体から様々なものが生まれるというだけなら、俗に言う「死体化生」神話であり、一般的なものでどうということはない。 しかし、衣類についている虱が中華帝国の臣民の起源となると、中華帝国支配者としては、プライドが許すまい。そんな神話は、被支配民族の伝承にすぎない見なすことになろう。 しかし、この話がいつまでも伝わっているところをみると、かなりの古層に残っていると考えるのが自然である。 ただ、この話も、道教体質による習合が行われており、混沌の宇宙を「陰陽の氣」によって天地に分けたという話に取り込まれていたりする。 天地を隔てるため、その間に立って支え続ける役目を果たすのである。 この天地開闢だが、形而上学的な「陰陽の氣」が入っていると見ることもできる訳で、いかにも後付的な話である。 しかも、超古代のエジプト〜レバント伝来の思想を取り入れていそう。 そう思うのは、"道教の宇宙観"の基本は、天は円いドームで、地は方形で周囲は海というものだからだ。・・・ 天圓十二綱,運關三百六十轉為一周,天運三千六百周為陽孛。 地紀推機三百三十轉為一度,地轉三千三百度為陽蝕。天地相去四十萬九千里,四方相去萬萬九千里。 [卷二 玉格] → 「道教世界」 ゴチャゴチャ思想に映る理由はそれだけではない。天地陰陽的分離の宇宙観とは言うものの、混沌的"無"の世界から始まるとも言い難い記述になっているからだ。 呉 徐整:「三五暦紀」では、卵の中のようなものとされている。そんなところから生まれるのだから、暗黒の空とは言い難かろう。単に、とてつもなく巨大な卵と見るべきである。 要するに、メチャクチャなのだ。 唯一、確からしいのは、盤古の体表面で生きている虱が中華帝国の人々と化したというくだりのみ。 こりゃ、なんとも言いようが無い話というのが成式の評価ではあるまいか。 それに、もう一つ、厄介な神話が絡んでくるから、さらにややこしくなる。 犬の槃瓠/Pán-hù神話が別途存在しているのだ。文字は違うが、同じ言葉であるのは間違いない。 非漢族の雲貴高原の少数民族[苗族, 瑤族, 等]に伝承されている話でしかないとされ、自称漢族は南蛮の祖先伝説として片付けようとするが、そうはいかない。その犬のご主人とは漢族の帝王だからだ。つまり、犬トーテムの漢人部族の神話ということ。そうなると、発祥は、中華帝国の最初期に中原地域で漢族と融合してしまった、モンゴル〜西域の遊牧系の可能性が高かろう。 さすれば、禁忌に近くなった渾沌信仰の隠れ蓑としての、犬信仰ということになるかも。 ただ、この犬神話の核心は、大洪水を瓢箪で乗り切ったのは犬の子孫だけという点。ノアの箱舟的話が入れ込まれているのだ。 そんなこともあり、信仰形態は造物主に対するものと見てよいだろう。 造物主と書くと、いかにも聖書の神の創世記イメージが湧いてくるが、こうした諸点から見て、当然の結果といえよう。 (後世のキリスト教布教時に改編された可能性も否定できぬが、文献的にみて古代から存在した信仰と見てよそそう。) 中華帝国文化の一大特徴は、なんだろうとご都合主義的に取り込むこと。後から政治的に整理していくだけのことで、その路線の結末と考えればよいのである。 強引な説に聞こえるかも知れぬが、日本では廃れてしまった1月7日の節句など、典型例と言えよう。十二支の半分の6生肖とヒトが順番に産まれるというストーリーなのだから、聖書創世記を元ネタと見るしかあるまい。 【5日】海の大いなる獣と、 水に群がるすべての動く生き物とを、 種類に従がって創造し、 また翼のあるすべての鳥を、 種類に従がって創造された。 【6日】地の獣を種類に従がい、 家畜を種類に従がい、 また地に這うすべての物を種類に従がって造られた。 【7日】自分のかたちに人を創造された。 《談藪》曰: 北齊高祖,七日升高宴群臣,問曰: 「何故名"人日"?」 魏收對以董 正月一日為雞,七日為人。 : 《荊楚歲時記》曰:正月七日為人日。 (董《問禮俗》曰: 正月一日為雞, 二日為狗, 三日為豬, 四日為羊, 五日為牛, 六日為馬, 七日為人。) [「太平御覽」巻三十 時序部十五 人日 注記] 長安では、インターナショナルな世界に遊んでいたに違いない成式がこのことを知らぬ筈がない。 そもそも、3/3[上巳]-5/5[端午]-7/7[七夕]-9/9[重陽]なら、1/7[人日]ではなく1/1[元旦]の筈。 成式の関心は、そのような政治な取り組みより、自然体での季節行事(冬至-正月-立春-五月-夏至)に向けられていたということか。[→] 【付録】 天体宇宙論は、「晋書 天文志」にまとめられており、六家之説があるとされる。【蓋天】、【渾天】、【宣夜】の「論天三家」がよく知られる。唐 盧肇:「渾天載地及水法」@「全唐文」卷0768の一覧はこうなっている。・・・ 地浮於水,天在水外。 天道右轉,七政左旋。 日入則晩潮激於左,日出則早潮激於右。 潮之小大,則隨於月,月近則小,月遠則大。 右,此賦中具論之矣。 自古説天有六, 一曰 渾天(張衡[78-139年]所述), 二曰 藎天(周髀以為法[周朝]), 三曰 宣夜(無師法[「莊子 逍遙遊」]), 四曰 安天(虞喜[281-356年:晉 歳差を発見]作), 五曰 マ天(姚信[三國 呉]作), 六曰 穹天(虞聲[晉 虞喜の祖]作)。 (自蓋天以下並好奇徇異之説,非至説也。先儒亦不重其術也)。 右。經撰賦及圖,定取渾天為法,其摎ァ渾天之術。 自張平子始言天地状如雞子,天包於地,周旋無端,其形渾渾。 故曰渾天也。 簡単に言えばこんな感じか。 【蓋天】天は円いドーム型。地は方形。 【渾天】天は鶏卵殻型。地はその内部の卵黄型。 【宣夜】無形質、つまり虚空。天体が浮かんでいる。 【安天】宣夜説の延長。 【マ天】人体の形。人爲靈蟲,形最似天。 【穹天】「氣」で満たされている。 蓋と渾は占術と相性がよいが、宣はそういう訳にいかぬから、中華帝国では絶滅したと見てよいだろう。それに抗して復活というのが、穹と安。マは、いかにも経絡の援用を狙った占術色濃厚。 老子的形而上学では宣が一番合いそうに思うが、教派発展を狙う上では都合が悪いのであろう。政治的に選ぶなら、間違いなく蓋だからだ。"周禮"の祭祀地が方圓之丘というにすぎぬが。 素直な認識からすれば、おそらく、渾が好まれる。 天高無窮,地深不測,地有居静之體,天有常安之形。相覆冒,無方圓之義。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |