表紙
目次

📖
■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.3.25 ■■■

洪水の神話

「酉陽雜俎」は、おそらく、この本は重要だということで、秘匿していた人がいたから残ったのだと思う。極めて例外的とは言え、優れたセンスを持つインテリが存在したということだろう。
しかし、復刻版が出版されたにもかかわらず、大陸ではほとんどが消失し見向きもされなかったようだ。ところが、日本では大切に保存され、結構、知られた存在でもあった。文化的違いはかなり大きそう。
魯迅は、日本留学でこの本に出会ったのだろう。おそらく衝撃を受けた筈である。

しかし、その後の日本は違った方向に進んでしまう。
現代でも、シンデレラの原典ありという抹消的な話や、訳のわからぬ妖怪が記載されている本ということで有名なだけ。
この本なかりせば、古代の科学技術への姿勢や風俗風習の類いの実情はさっぱりわからなかったというのに。

そのような本であるとすれば、普通なら収載されてよさそうな範疇の話が、さっぱり見かけないとすれば、それを重要なメッセージとして読みとっておくことも必要と言えよう。

それは、洪水の話である。

言うまでもないが、中華帝国にとっては、極めて大きな問題。小生など、大洪水が比較的すくなかった時期に中華帝国が繁栄し巨大化したと見ている位だ。逆に言えば、洪水期には、遊牧地域に活力が生まれる訳である。

どの程度、洪水が問題視されていたのかは、管仲:「管子」第五十七篇度地が示す通り。・・・
桓公曰:
 「願聞五害之説。」
管仲對曰:
 「 水,一害也。
・・・洪水
   旱,一害也。
・・・旱魃
   風霧雹霜,一害也。
   氏C一害也。
・・・疫病
   蟲,一害也。
・・・害虫
  此謂五害。五害之屬,水最為大。
  五害已除,人乃可治。」


当然ながら、神話的にも最重要なモチーフとして登場する筈である。

そのイの一番は女と思ってしまうが、実はその前がある。

渾沌を反有徳な"醜類惡物"とみなした東方朔[B.C.154-B.C.92年]によれば、天ができた時に巨人の"樸父"夫婦が水問題にあたらせられたというのである。ところが、大変な仕事なので、さっぱり成果でず。その罰として、黄河が澄むまで立たされ坊主に。しかし、それは無理だと。(できない理由は間違った見方である。)・・・
東南隅太荒之中,有樸父焉。夫婦並高千里,腹圍自輔。天初立時,使其夫妻導開百川,懶不用意。謫之,並立東南。男露其勢,女露其牝。不飲不食,不畏寒暑,唯飲天露。須黄河清,當復使其夫婦導護百川。古者初立,此人開導河,河或深或淺,或隘或塞,故禹更治,使其水不雍。天責其夫妻倚而立之,若黄河清者,則河海絶流,水自清矣。 [「神異經」東南荒経五則]

次が、普通は最初とみなす、共工の反乱で発生した洪水。負けた共工が西方の世界支柱を折ってしまい、天に穴が空き天河の水が溢れてくる。戦った相手は、黄帝の対抗勢力と思われる炎帝/神農を補佐する祝融とされるが、異なる伝承もあり、誰だかははっきりしない。まあ、古事記の感覚で読むと、度を越えた戦乱好きな風土であり、相手が誰だろうがかまわぬのかも。
ただ、女が対応し天を修復し治水にも成功。(原因を共工の反乱としないと、突然、理由なく天に穴があき洪水発生との話になり、神話の態をなさなくなる。尚、「山海經」海内經によれば共工は祝融の子。)

素人なら、「洪水」はもともとは、「共工」に「[サンズイ]」を加えた「洪江」だったのではと感じる名称。
その「共工」の臣は、九頭人面蛇身の相柳氏。[「山海經」大荒北經]つまり黄河上流域の勢力ということでは。
  ┌─→瑪曲
  │星宿海
  ○─→日曲
  │扎陵湖
  ○─→多曲
  │
  ○鄂陵湖
  │
  ■蘭州
  │
思うに、この頃、緑に覆われていた山々が裸になり、黄河の水が泥流化し始めたのではないか。
もともとは河水[=黄河]の印象は"清い漣"だったようだし。
坎坎伐檀兮、ゥ之河之干兮、河水清且漣猗。 [「伐檀」@「詩經」國風 魏風]
泥濁化してしまえば、上記のように"河海絶流,水自清矣。"とされてしまう。

さて、洪水だが、次がある。

有虞朝の尭/伊祁放勲の時代である。理由なく、大洪水に襲われ対応に苦慮することになる。臣の四岳は崇伯@嵩山に対応させようと。尭は反対だが、おそらく失敗すれば処刑との条件付きで鯀に任せることに。
(鯀は黄帝の系譜らしいが[黄帝-昌意--鯀]、どうしてか尭の臣下。)
鯀は土を盛る堤防式で洪水対応に励んだようだが、洪水が強烈過ぎで効かず。そこで、亀に助けられ、崑崙山にある天帝の土が無限に積まれるという神土「息壌」を盗むことで解決を図る。
それを知った天帝は怒り、取り返したので元の木阿弥。鯀は羽山に放逐され、処刑に。
(儒教的には、尭の命で殺されるのは拙いので、そのような話は消されたであろう。)
鯀の字は玄冥。玄武の亀の成り代わりとされていそう。

成式、玄武については触れているが、鯀には一切関心を示さず。

さて、その鯀の遺体だが、腐らず、腹から禹が生まれる。
この禹も同様に洪水対策に駆り出され、諸国をかけ回ることになる。今度は成功。流れを変える方向に転じたのだろうか、はたなた「息壌」を賜ったよいうことなのか。

この大事業で苦闘した結果が"禹歩"である。
成式は、"禹歩"を、蛇害防止の道教の呪術として紹介。
   「許旌陽的道教思想」

ともあれ、ゆくゆくは、禅譲で、禹が支配者となるのだが、そのようなことにも一切触れていない。

その理由は、"作られた史書"に対し、批判的だったからでは。
と言うか、劉知幾[661-721年]の史論書「史通」を読んでいたと思われるから。・・・
孔氏《注》曰:「堯知子丹朱不肖,故有禪位之志。」
  :
必以古方今,千載一揆,斯則堯之授舜,其事難明,謂之讓國,徒虚語耳。其疑二也。
據《山海經》,---

  [「史通」外篇 卷十三疑古第三]

儒教大いにお好みの禅譲話に疑義を唱えているのだ。
没後、玄宗が評価したとされているから、成式が読んでいない筈はなかろう。

禅譲な訳があるまい、との説に同感したのである。・・・
治水工事一筋の生活を続けていた禹は"九尾白狐”を見かけ、塗山の 娘を娶る。そして、狐の言霊通り、王となった。[「呉越春秋」越王無 余外伝第六]
そんな話に依拠した道教の術も知られているゾ、と成式。
   「妖狐」【天狐】

三皇五帝の諸説はご都合主義的にうまれたものであろうから、分析的に検討してもほとんど意味をなさないと思われる。例えば五行にあてはめたくなればこうなるだけのこと。
 【木】女-[男系化]→伏羲/太昊
 【火】炎帝/神農
 【土】黄帝/帝鴻
 【金】・・・残り。
 【水】/高陽(黄帝の次子 昌意の子)→鯀→禹
   <系譜> [→] [→]
要するに水とは洪水系なのである。表面的に形式を整える官僚的作業をすればこうならざるを得ないというにすぎないが。
こうなると、金は共工にしたいところだが、黄帝と並ぶ巨大勢力の代表をそうそう並べたくはないなら、帝高辛か少昊ということになろう。淮南子的には後者か。
マ、どれにしたところで、道教信仰者以外にとってはどうでもよい話。こうやって、中華帝国では神話がメタメタになっていくのである。

古事記的発想で整理すると、大地と人類創出神を別格とし、太陽神の下に、水と農耕の神、金属武器、等々を並べたくなるが、中華体系はそのような自然分類はそぐわないことがわかる。形式的なドグマ分類とし、網羅的様相にしないではいられないのだ。そこに当てはまらないものは抹消か、異端とみなされる。しかも、これらは時の都合で片付けられるから、諸説が入り乱れることになる。
しかし、なんといっても大きな違いは、理由なしに覇権争いの大戦争を神々が繰り広げること。しかも、敗者は、子孫の代までそれを忘れずに報復することが賞賛される。キリスト教や仏教が定着する素地は全く無いと見てよかろう。
そして、最終的に相手を滅ぼす、独裁者が中華帝国の祖として尊崇の念を集めている訳だ。結果的に常勝である点以外に、特別な点が無いことこそが、人気の素。戦争で勝つことが民の安寧な生活に繋がるという思想なのであろう。そして、特徴的なのは、滅ぼされる側には、決まって素晴らしい知恵があり、今までなかったスキルを生み出した勢力なのだ。黄帝とは、その観点では、なんの貢献もしていない。だからこそ、状況に応じて臣下を選択し、そらを操ることで、中華帝国独裁者として力を発揮できる訳である。
高天原で神々が参集して検討するようなシーンなど有り得ない社会と言えよう。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>>    トップ頁へ>>>
 (C) 2017 RandDManagement.com