表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.5.13 ■■■ 外交使節歓迎式典玉の話から始まって、儒教的礼とは5分野の祭祀でもあると書いたが、[→]漢籍にそのように記載されているのか調べていないが、「酉陽雑俎」を読めば自然にそれがわかる仕掛けになっていると言ってよいのでは。そのうちの外交使節歓迎式典の情景を描いた部分を引いておこう。 先ずは、行列。・・・ 北齊 迎 南使, 太學博士 監舍[=迎賓館長] 迎使。 傳詔[=詔命官員] 二人 騎馬 荷信[=幡]在前, 羊車[=羊駕的小車] 二人 捉刀 在傳詔後。 監舍 一人, 典客令[=外国要人接待交往等事務方官員] 一人, 並 進賢冠[=高級文官朝服]。 生朱衣騎馬, 罩繖[=傘] 十餘。 絳衫[=朱衣] 一人, 引從使車前。 又 絳衫騎馬平巾幘 六人, 使 主副 各乘車, 但馬 在車後。 鐵甲者 百餘人。 儀仗 百餘人, 剪彩如衣帶,白羽間為槊,髶發絳袍,帽凡五色,袍隨髶色,以木為槊、刃、戟,畫絳為蝦蟆幡。 [卷一 禮異] 今でも、国賓歓迎は大々的に行われるが、官僚組織が整備されていると、このようになる訳だ。 使節が通る門や、正旦祭祀がどのように挙行されているかの記述も。・・・ 梁正旦,使北使乘車至闕下, 入"端門"。 其門上層題曰朱明觀, 次曰"應門",門下有一大畫鼓。 次曰"太陽門",左有高樓,懸一大鐘, 門右有朝堂,門辟,左右亦有二大畫鼓。 北使入門,撃鐘磬,至馬道北懸鐘内道西北立。 引其宣城王等數人後入,撃磬,道東北面立。 其鐘懸外東西廂,皆有陛臣。 馬道南,近道東,有茹昆侖客。 道西近道有高句麗、百濟客, 及其升殿之官三千許人。 位定,梁主從東堂中出,雲齋在外宿,故不由上閣來,撃鐘鼓,乘輿警蹕,侍從升東階,南面幄内坐。 幄是獄天p裙,甚高,用繩系著四柱,憑K漆曲幾。 坐定,梁諸臣從西門入,著具服、博山遠遊冠,纓末以翠羽、真珠為飾,雙雙佩帶劍,K舄。 初入,二人在前導引, 次二人並行, 次一人フ牙箱、班、劍箱, 別二十人具省服,從者百餘人。 至宣城王前數歩,北面有重席為位,再拜,便次出,引王公登,獻玉,梁主不為興。 [卷一 禮異] 使節は、大げさな通過音楽が鳴らされている門を次々とくぐり、華麗な建物を目にすることになる。 そして、異国からの客と、官三千許人の一大イベント。式次第に従って、正装の人々のマスゲームが挙行されるようなもの。参加者は、その壮大さのデモンストレーションの雰囲気にのまれ、帝国の実在感を十二分に味わうことになり、高揚感に包まれる訳だ。従って、独裁国にとっては不可欠な大集会と言ってよいだろう。現代まで、連綿と続く中華帝国の式典でもある。 魏使 陸操が梁を訪れた話も収載されている。 [→「仏舎利信仰の地で」] ついでながら、梁での正月祝いご下賜品は薬酒と薬。[→「正月の行事」] (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |