表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.9.20 ■■■ 鹿絵が標的の射的外交問答。・・・今軍中將射鹿,往往射棚上亦畫鹿。 李績:《封君義聘梁記》曰: “梁主客賀季指馬上立射,嗟美其工。 繪曰: ‘養由百中,楚恭以為辱。’ 季不能對。 又有歩從射版,版記射的,中者甚多。 繪曰: ‘那得不射獐?’ 季曰: ‘上好生行善,散不為獐形。’” 自獐而鹿,亦不差也。 [續集卷四 貶誤] 今、軍の中で、鹿を射るといえば、往々にして、射的用盛り土の上にある絵画の鹿を意味していたりもする。 【注】"射棚"と書かれると、射的の棚になってしまう。ここは"射堋"であろう。 顯祖曾至東山,因射謂隆之曰: 「射堋上可作猛獸,以存古義,何為置人? 終日射人,朕所不取。」 [「北齊書」高隆之傳] 李績 著「封君義聘梁記」にはこんなことが書いてある。・・・ 【注】「酉陽雜俎」には、ところどころに南北朝の外交話がでてくるが、モトネタの交聘記は「聘北道里記」と「封君義聘梁記」だそうである。 [史睿:「南北朝交聘記的基礎研究」中國典籍與文化 2016年第1期] 梁の主客である賀季は馬上に立って弓で射る様を指し、 ああコレ美しきかな、とその巧妙さを絶賛。 この言葉に反応して、繪が言った。 「養由は百発百中だったとか。 しかし、 楚の恭王は屈辱と受け止めたのですゾ。」 【今村注で紹介されている人物】東魏〜北齊の官吏李繪/敬文である。(外交案件によく登場する。) 養由基[n.a.-B.C.559]は楚の武将。射術の妙で有名と言うより、"去柳叶百歩而射之"のお人。百発百中の語源。 ここでは、それは前提。楚共王(上記では恭になっている。)は怒ったのである。戦争は命をかけて戦う場であって、絶芸を見せる場ではないからだ。 王發怒説:“真丢人!明早作戦,儞們射箭,将会死在這武藝上。” 賀季は問答の対応ができなかった。 今度は、徒歩の従者が標的版を射た。 その版には射的目標が記載されていて、 甚だ多くの者が命中させることになった。 そこで繪は言った。 「何故に獐を射的にしないのでしょう?」と。 今度は、賀季は応えた。 「帝は生き者をお好きで、 善行を旨とされております。 命を散らすなど滅相もないということで 獐の象形は使わない訳です。」 これは、鹿から獐に代えられているのだが、 マア、差は無いとしておくか。 もちろん、問答に勝ったと思って、意気揚々なので、恣意的に代えたのである。 このような、丁々発止のどうでもよさそうな問答が外交では必須だった訳だ。 → 「外交における挨拶の意義」 「音楽鑑賞に於ける外交バトル」 「酒宴に於ける外交バトル」 成式が気にいったのは、それをギャフンと言わせた点にあろう。・・・ お宅の親玉は、命を捨てる、命を奪うの世界に墜ちていらっしゃるようですナ。それには、言葉もありません。こちらではそのような下賤な感覚はとうに捨てておるのですヨ、と、トドメの一発をくらわした訳である。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |