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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.12.25 ■■■

[学び] 仙薬の端緒

天然品"辰砂/丹砂"は朱の顔料として知られる。合成品の黒色無定形固体の硫化第二水銀と化学的には同一だが、ドロマイト中の赤色結晶なので、極めて安定した物質である。もちろん、不燃で水・アルコールにも不溶。
つまり、水銀と名前がつくものの、有機水銀や金属水銀とは様相が全く違う訳で、危険性はかなり低いと思われる。
と言うことで、有機水銀化合物ができる可能性は低いが、特殊な条件下でどうなるかわかってはいないから、皆無と断定はできかねる。そして、燃焼すれば危険な水銀蒸気が発生するから現代社会にとっては厄介な物質であるのは間違いない。

しかし、古代から、朱は様々に活用されており、重篤な健康被害の話はみつからないし、有害性の程度を示す計測データも無さそうだから、ひとまずは毒性物質ではないと見てよさそうである。但し、"飲み込んだり、吸引したり、皮膚に触れると刺激があり、有害である。"とされている。[「製品安全データシート1336-4250」昭和化学株式会社]

このような物質であることを考えれば、道士が作る丹薬とは、もともとは、この"辰砂"粉末を単に丸薬化しただけのものだったのではなかろうか。そして、それが服用された訳だが、上記のような特性を考えると、顕著な生理活性が現れると思えない。しかしながら、天然鉱物であるから、必ず、微量不純物が含まれており、それがなにがしかの影響を与えた可能性はあろう。そうなると、これは本来は、もっと力が発揮できる物質に違いないということになろう。

例えば、葛洪[283-363年]:「抱樸子」内篇卷十一 仙藥の記述は、そのような微量不純物で井戸水が殺菌されていたということではないかと見ることもできよう。・・・
余亡祖鴻臚少卿曾為臨令,
雲此縣有廖氏家,世世壽考,或出百,或八九十,
後徙去,子孫轉多夭折。
他人居其故宅,複如舊,後累世壽考。
由此乃覺是宅之所為,而不知其何故,疑其井水殊赤,
乃試掘井左右,得古人埋丹砂數十斛,
去井數尺,此丹砂汁因泉漸入井,是以飲其水而得壽,
況乃餌煉丹砂而服之乎?

余の亡き祖父は、鴻臚で少卿として、臨の令の職を勉めていた時のこと。こんなことを言った。
この県に廖氏の家があった。何世代にも渡って長寿。100歳を越す人もおり、80〜90なのである。
後のことだが、この地から離れたのである。
すると。子孫の夭逝が多発と状況が一転。
そこで、他人に住まわせていた旧居に戻った。
又、もとのようになり、その後は、係累は長寿になったのである。
その理由はどこにあるか、邸宅のある所を検分してみると、どういうことか解らなかったのだが、そこにあった井戸水が殊更に赤い色だったので、疑問が湧いた。
と言うことで、試しに井戸の脇、左右を掘ってみたのである。そうすると、昔の人が、数十斛もの丹砂を埋めていたことが判明。
井戸から数尺離れているが、この丹砂の汁が暫時井戸水の中に流入していたのである。
その水を飲んでいたから長寿を得たということになろう。
つまり、一種の餌煉丹砂が行われた訳だ。長寿はその服用効能だったといえまいか?


このような現象が知られていれば、"辰砂"そのものが効果を及ぼしたと考えるのは自然なこと。そうなれば、服用すると、そのモノの能力を得ることができるという、超原始時代からの思想を受け継いでいれば、論理的帰結は自明と言えよう。・・・
熱すると、銀色に輝く液体になる"変化能力"を、赤い水を飲むことで得ることができたと解釈することになる。

従って、どのように"辰砂"を服用するとよいか、様々な工夫が図られた筈。

しかし、いかに工夫しようが、加熱してしまえば、水銀が生まれ、それを体内に入れれば中毒は避けられない。
そういうことで、「酉陽雑俎」の仙薬のリストからは、丹砂が削除されたと思われる。顔料として使われるのが筋と見たのであろう。
   「道教本草」 「仙藥一覧」 「紅沫」

しかし、一般的には、いかに危険であろうとも服用への挑戦が続いていたのである。
不死の領域に入りたがる情熱はただならぬものがあったからである。現代でいえば、カルトが一気に主流派化したようなもの。中華帝国の場合は、独裁者がカルト信仰に染まれば、官僚のつき従い、一気に社会状況が変わるから、それは驚くようなことではない。おそらく、そのような風土は現代まで引き継がれている。

逆に言えば、仙薬概念は、帝国誕生とともに同時発生的に生まれた可能性もあるということ。独裁者は、比類なき存在でなければこまる訳で、"不死の帝王"というスローガンを打ちだすことができれば、天帝の身代わりと称することも可能だからだ。

換言すれば、中華帝国樹立以前には、そのような概念はなかったことになる。つまり、特殊な人しか不死になれず、それは初めから決まっており、薬服用で不死つまり、仙人になることなど思いもよらなかったに違いない。

その特別な人とは、「山海経」海外南経[→]によれば、例えば、羽が生えていたりする訳だ。(【羽民国】の神人[小人頬赤肩(盡十六人)]、【交脛國】の不死の民[K色 壽]

ところが、突如、仙薬を服用すれば、問題なく不死を実現でき、仙人になれると変わったのである。・・・
(彭祖)又雲:
古之得仙者,或身生羽翼,變化飛行,
失人之本,更受異形,有似雀之為蛤,雉之為蜃,
非人道也。
[「抱樸子」内篇卷三 對俗]
彭祖はさらにこう言った。
昔、仙人になった者には、身体に羽の翼が生えて、変化することで飛行した人がいた。
本来の人の姿を失って、異形になることを享受するというのは、雀が蛤になるようなものであり、雉が蜃[大蛤]になるようなもの。
それは、人が求めている道ではない。


この思想はある意味革命的。
神話の駆逐と同時に発生したとも言えよう。
   「中国の神話喪失の理由」

仙人は神話の世界の存在ではなく、現実世界での「術」の話になってしまった訳だ。その奔流は凄まじく、至るところで仙薬作りが勃興したと見て間違いない。・・・
抱樸子曰:
餘考覽養性之書,鳩集久視之方,
曾所披?篇卷,以千計矣,
莫不皆以還丹金液為大要者焉。
然則此二事,蓋仙道之極也。
服此而不仙,則古來無仙矣。
[「抱樸子」卷四 金丹]
余は、養生長生の書を考覧し、"永久に目を閉じぬ"不死の処方を、鳩のように摘んで回って収集した。
篇卷を広く渉猟したが、当時点での合計は1,000にのぼる。
大まかな要点で見れば、皆、還丹と金液を用いており、そうでないものは無い。
と言うことは、この2つの事が法則であり、仙道の極意ということになろう。
これを服用しても仙人になれぬなら、古の昔から仙人はいなかったことになる。


この作り方だが、同巻を読むと、丹砂を焼いて汞[水銀]に転じさせ、さらに焼いて酸化させ、それを焼くと汞に転じるという現象が記載されている。この変化を重要視したようで、最強の仙薬はそうして作り上げた"九轉之丹"らしい。
要するに、この還丹に、金属の金液を混ぜたということになろう。別に驚くような発想でもない。現代でも金箔入りの液体を喜んで呑む人々だらけなのであるから。なかには、その効用が謳われている商品もある位だ。
ともあれ、製造者が水銀蒸気でやられることもあるだろうし、水銀中毒に気付かない訳もないので、それを抑制すべく様々な精製保存方法を試したであろう。
しかし、それに全く意味は無いと考えていたインテリもいた訳で、「酉陽雑俎」はそのような立場で編纂されていると見てよいだろう。

と言っても、その頃は、仙薬ブームが下火になる兆候などなかった筈である。それは、爛熟した社会ならではの現象でもあろう。不死を追求するというのは表向きのことで、現実には、それは当時の、一種の麻薬だったということ。
水銀系生理活性物質はヒトの神経系を冒すと見られており、少量服用から始まったであろうから、先ずは自律神経の機能不全がもたらせる。間違いなく、全身熱発が始まるから、性器膨張も伴ったであろう。それが、仙薬の実感と受け止められておかしくない。そのうち、幻想に襲われる訳で、それが期待を裏切らないものなら、さらなる服用に進むこと間違いなしである。
官僚統治が精神性の分野まで入ってくれば、その息詰まり感は相当なレベルに達していたに違いなく、仙薬でも飲まずにいられぬという雰囲気だったのではなかろうか。

(参照) 陳仲奇:「道教神仙説の成立について」総合政策論議第1号@島根県立大学総合政策学会 2001年

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