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2003.2.6 |
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科学研究費問題(3:新制度)…科学研究費では「雇用」が難しいため、別途大型プロジェクトが動き初めた。これで、ようやく自由にポスドクも雇えるようになった。この恩恵を受けた研究者は、大きな変化を感じたに違いない。 しかも、こうした大型プロジェクトは、基本的に公募性であり、開かれた仕組みだ。この点でも「変わった」との印象を持つ研究者が多いと思う。 しかし、新制度発足という程のインパクトを与えているとは思えない。自由に有能な研究者を雇用できるようになった、とは言いきれないからだ。今までと比較すれば、格段の進歩とはいえるが、既存制度の壁を破る施策ではない。 成果をあげるためには、人材流動化に向けて、もう一歩踏み込む必要がある。 こうした踏み込み不足は、テーマ選択プロセスでも見うけられる。 研究テーマ採択の肝要な点は、人事と直結させる点にある。 普通、人事というと、テーマ採択後の、プロジェクト内での最適人事に目が向くが、これはミクロな問題である。より重要なのは、非採択テーマの方だ。米国では、研究費ゼロなら、人件費も無くなり、ラボの存立基盤を失う。つまり、研究テーマ採択プロセスを通じて、政策に合わないテーマを志向したり、レベルが低い研究者が淘汰されるのだ。 この淘汰過程があるから、自動的に研究レベル向上が図れる。淘汰なくしては、成果が上がる体制が確立しているとは言い難い。こうした仕組みを組み込む工夫が必要である。 当然ながら、人事に直結するような、テーマの取捨選択を行うためには、採択プロセスがフェアで透明である必要がある。そうでなければ、全く機能しない。公平性は大前提である。 日本の科学研究費の仕組みは、この観点では公平から程遠い状態といえる。従って、新制度を導入する際には、公正で透明な仕組みが作れるかで、革新度が決まるといえよう。 科学研究費では、どうして採択されなかったかの理由は開示されない。これでは、どのようなプロセスを踏んでいようと、研究者から見ればブラックボックスに過ぎない。「ボス」が勝手に決める仕組みと大差ないのだ。 なかには、申告経費を一律減額してテーマ採択、という、理解に苦しむ裁断もある。この措置を説明できるとは思えない。 どのような評価が下ったかを、研究者が知るから、研究企画力が向上する。能力不足なら自覚させられる。 又、まともな査定や説明ができない人がいれば、すぐにわかってしまう。当然、不適人材は採択側から外すことになる。ここでも淘汰が進む。 こうした淘汰の過程が組み込まれるから、マクロで、研究の質が向上するのである。 もしも、科学研究費型テーマ採択プロセスを温存したままで、大型プロジェクト志向へ転換すれば、チャンスを失う人数が増加する。これは改悪といえるかもしれない。 こうした体質を変えるための公募型大型プロジェクト導入、との主張を耳にすることも多いが、これは理想論だ。各分野の専門家は、制度を変えたところで、必ず同一人物である。 科学研究費で、公正で透明なプロセスを作れない専門家が、教育をも受けるつもりなら別だが、制度だけで変身できる筈があるまい。 従って、自由な立場で、権威者に質問する非専門家を、テーマ採択役の一員として登用する必要がある。 ところが、残念ながら、そのような動きはない。 ・・・ 過去記載の ・「科学研究費問題(1:流用)」へ (20030204) ・「科学研究費問題(2:人件費)」へ (20030205) 教育の危機の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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