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■■■ 「日本の樹木」出鱈目解説 2015.11.7 ■■■

山茶表現に見る和的体質

七十二候の冬到来。
山茶始開 "つばきはじめてひらく"」と言うことで、再度になるが、サザンカを取り上げることにした。
   「秋冬菓子になる花木」(2014.1.31) ---サザンカ、フユツバキ
   「呪術木」 (2012.10.9) ---ツバキ、イチイ

900年もの間使い続けた、渡来の太陰太陽暦の大衍暦/五紀暦-宣明暦[764〜1684]では「水始氷」。
突如、「サザンカの花が咲き始める頃」という表現に挿し替えたのである。氷が貼るでは季節感がピンとこないと文句が出たのか、はたまた、ツバキ園芸が大流行との状況に合わせたのか、背景は知らぬが。

それはそれで、よさげだが、山茶の読みは、サザンカではなく、ツバキ(椿)とくる。中国語の「山茶」の邦訳としてはツバキは正しいが、これは和暦用語。でも、漢語だから、意味はサザンカでも、読みはツバキとする。こんな柔軟なことが可能なのが日本語の特徴。

そんなこともあって、普通は、"日本ではツバキとサザンカを区別していなかった"と解釈することになったりして。それは正しいとも言えるが、言い方によっては間違いでもあるので要注意である。
今回は、そんな些末な話。

16世紀の日本は、現代以上に、分類については凄まじい情熱を注いでいた。椿も山茶花も、園芸品種の数はただならぬもの。御覧になった方もおられると思うが、24mもの巻絵「百椿図」の展示などまさに壮観の一語に尽きる。1700年に出版されたと推定される「椿花図譜」[→@NDL]にしても、なんと600以上もの種が収録されているのだ。来日したカメリア氏が驚嘆して当たり前。
当時の日本人には、これほどまでに鋭い観察眼と美のあくなき探求心があった訳で、それを考えれば、古代にツバキとサザンカの区別が曖昧であったなど、とうてい考えられぬ。しかも、現代の図鑑の種分け説明を読めばわかる通り、両者の差は明瞭だった筈。両者を一緒くたにすることなどありえまい。
つまり、峻別していたが、同類と見なしていたことになる。ココが肝。・・・
  サザンカは開花するとすぐに花弁が拡がる。
  雄蕊もそれに合わせて散開。
  花弁は最初からやわやわした感じ。
  花弁基部が融着していないのでバラバラになる。
   (咲き終わると全体がまとまって落下することはない。)
  楕円形の葉の縁は鋸歯状である。
但し、現時点では、上記の視点だけでの素人判定は難しい。雑種化のせいか。

ただ、上記では1つ恣意的にカットした項目がある。それこそが、一番重要なポイント。それは、うっすらと感じる花の香り。従って、サザンカの樹木正式日本語表記は山茶ではなく、あくまでも山茶花なのだ。

古代人が山茶花の何に感じ入ったかは、想像の域を出ないが、冬めいた気候に入った途端に咲き始める白色の花弁の花のほんのりした香りに一抹のもの悲しさを見てとったのではないかと想う。筒状で真紅の派手な椿の観賞ポイントとは全く違っていたと見る。しかし、重要なのは、最初から同類と見なしていた点。換言すれば、サザンカは椿の古代種ということで、その開花が心に沁みるものだったということ。
なんの証拠もないが、飛躍的な解釈を許していただけるなら、サザンカの名称は、もともとは古椿となる。さらに先上れば、「小椿」だったと。

ともあれ、もともとは「山茶花」ではなかったのは間違いない。
なにせ、中国における「茶」という文字自体が新造語なのだから。・・・
詩経[谷風六章八句]に記載されているのは「荼」。これが茶の元字で、荼苦と呼ばれていたと考えるらしいが、その経緯がわかっているとは言い難い。「茶」が使われるようになったのは唐代から。アッという間に中華帝国で一世風靡した模様。陸羽の「茶経」[758年]が切欠なのか、結果論的解釈かは定かではない。その本によれば、この2文字以外に以下の文字も使われており、都合6種類も。
  【0】荼[艸+余]
  【1】茶[荼-"一"]
  【2】[木+賈]・・・苦荼@周公
  【3】[艸+設]・・・蜀西南人@揚執戟
  【4】茗[艸+名]・・・晩取@郭弘農
  【5】[艸+舛]

思うに、食用あるいは飲用にされていたが、あくまでも土着の人々のものだったのだろう。当然、多種多様で、全く関心を払わない地域もあったろう。それが、宗教の普及と共に、一気に全土に広がってしまい、官僚組織がそれを「茶」に統一したと見るのが自然。
ツバキやサザンカの中国名は、その後、"茶/Cha"の類縁ということで命名されたことになる。それぞれ、山の茶、梅の如き茶となる。

日本での分類はこれとは根本的に異なる。先ずはツバキありきである。茶が入ってきて、ツバキ的樹木を新たに山の茶と命名することにしたとされても、そりゃナンダカネだろう。ツバキはもともと、倭人の原点のような樹木である上に、油が採れる樹木として誰でもが知る状況だったのだから。名称変更などありえまい。
ツバキの木偏の文字もすでに椿で落着していた可能性が高い。この文字、音で読むことは稀だから、中国にも文字はあるものの、国字と考えてもよかろう。中国での椿は、ツバキとは見かけが全く異なるし、用途的にも重なりそうにないからだ。(チャンチンモドキはネパールでは実は食用。しかも比較的高価。しかし、この樹木は日本にも存在するとのこと。)
 チャンチン/香椿/Chinese mahogany・・・栴檀類
 チャンチンモドキ[香椿擬] or カナメノキ[要木]/南酸棗/Nepali hog plum・・・漆類
 庭漆 or 神樹/臭椿/Tree of Heaven・・・苦木類 (椿皮を採取する樹木)
 権萃/野鴉椿/Korean sweetheart tree ・・・三葉空木類


とりとめもなくなってきたので、まとめて、この項終了とさせて頂こう。

日本は渡来文化好きの風土。
「茶」は移入栽培を始めて一世風靡。中国種のツバキとしての「山茶」も渡来して来たに違いないが、さっぱり流行らなかったのだろう。しかし、それはツバキやサザンカの雑種としてDNA的に残っている筈。
当然のことながら、大陸に、様々な「山茶」が生えていることを知ったろう、そうなれば、日本にもそれに該当する樹木が存在している筈となる。当たり前だが、日本のツバキとソックリ。(大陸系ツバキは子房に毛が生えているので少々違うことに気付いたに違いない。)本来なら、このツバキを「日本山茶」と見なしてもよいのだが、それはできかねるのだ。古代から、ツバキと呼ばれて来たからで、中国で新しく命名したからといって、倭の原点的樹木の名前をおいそれと変更する訳にはいかないからだ。
しかし、日本に「山茶」皆無という訳にもいかぬので、サザンカを「日本の山茶」と認定したのだろう。それだけのこと。

そう考えれば、「山茶始開 "つばきはじめてひらく"」はどうということもなし。
山茶は和的な3文字の山茶花を2文字にして漢語調にしただけ。従って、「山茶」を漢語と見なせばツバキと読むしかない。しかし、それを「山茶花」の花を省略した用語と見るなら、サザンカと呼んでも一向にかまわない。
コレ、文字の一意的な表音性を嫌う日本語の特徴そのもの。TPOに応じて読み方が変わるだけのこと。

正直に言えば、風土論[→]は本当はツバキから始めたかった。
砂漠や照葉樹林という視点ではなく、内陸沙漠・草原の道と椿・山茶花育成帯で考えると現代世界に通じるシナリオが描けそうだから。その話は別稿で。

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