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■■■ 「日本の樹木」出鱈目解説 2016.1.31 ■■■

古代樹皮染の木

江戸流行色は「茶」。[→]いかにも「侘寂」色調だが、よくよく考えてみれば、それは古代の好みの色の復活。樹木に含まれるタンニンによる染色であり、その代表は「榛摺り」。
[ハン]の木の花穂はいかにも丈夫そうで粟的な形。露草のように、花弁を集めて色を摺りこむことはできそうにない。おそらく、実を擂り潰し、布に摺り込む技法だろう。随分と面倒だから、なんらかの信仰が籠められていた可能性があろう。

榛の木は知名度は低いが、類縁の西洋榛[セイヨウハシバミ]の方は、その実がヘーゼルナッツとしてお馴染み。要するに、堅果がつく樹木の類である。
日本の榛の木は、かつては、低湿地ならどこにでもみられた樹種。春葉と夏葉を持つ落葉高木だ。と言っても、生えている場所の土がかなりの深さまで軟質だと大木ではなく細目の幹でひょろひょろ。そして、環境条件に合わせた高さをキープすることで、上手に生き延びてきたようだ。
もっとも、決め手は、低湿地を棲家に選んだことにあろう。そんな養分欠乏場所で林を形成する能力を持つ木本は他には無いからだ。
そんなことが可能なのは、この木だけは根粒菌を抱えるから。マ、そのために、この木が育つことで、土地が肥沃化され、結局は伐採されて農地になったりする。つまり、もっぱら開墾対象。さらに現代に入ると、公共土木工事発注箇所として最適なので棲家はほとんど消滅。皆から見放された樹木であり、今や消滅の憂き目。

だが、大昔は、おそらく愛しい樹木と見なされていたに違いない。
だからこその扱いと思われる事績が、古事記に記載されているからだが。・・・

  やすみしし 吾が大君の
  遊ばしし猪の、
  病猪の うたき畏み、
  わが逃げ登りし、
  あり岡の 榛の木の枝。  
[古事記下巻葛城山 歌謠#99]

榛の木林が開墾対象だったこともあり、出典はわからぬが、この木の元々の名称は「墾(はり)」だったとの解説をよく見かける。
小生は、挟む木と呼ばれていたと見るので、納得していないが。・・・水田で実った穂を刈り取った後に竿に掛けて乾す際に利用するために植える木ということで。榛の木の枝には格別感があったからこその上記の歌謡と考えるのだが。
それに枝は上質な燃料になるから、生活上重要な木だった筈。

文字的には、「榛=木+秦」であり、「禾=粟」的な花穂を重視していそう。もともとは食用木の実の木との位置付けだったかも。
湿地の高木だから、葦と榛の木はお仲間ということで、生命力を感いかにもじさせる樹木とも言えよう。従って、その実を頂戴することは信仰上も重要だったろう。

素人が見てもこの木だとすぐわかる特徴は、芋虫型の花穂(♂)と、果実(♀)が小さな松毬型。
果実はタンニンを多く含むので、冒頭で述べたように、潰して染料用として多用されたに違いない。後には、剥げた樹皮と一緒に煮出して染料液として活用したとおもわれる。
なにせ、古代は、定番中の定番の色だったのである。

  綜麻形の 林のさきの さ野榛の
   衣に付くなす 目につく吾が背 
[額田王 萬葉集#19]

  引間野に にほふ榛原 入り乱れ
   衣にほはせ 旅のしるしに 
[太上天皇 萬葉集#57]

  住吉の 遠里小野の 真榛もち
   摺れる衣の 盛り過ぎゆく 
[萬葉集#1156]

  いにしへに ありけむ人の 求めつつ
   衣に摺りけむ 真野の榛原 
[萬葉集#1165]

  思ふ子が 衣摺らむに にほひこそ
   島の榛原 秋立たずとも 
[萬葉集#1965]

ただ、ここで言う榛の木とは一群の樹木を指していそう。

どんな樹種があるかといえば、・・・。
 榛木[ハンノキ]/Japanese alder/日本榿木
  蝦夷 台湾 満州 ネパールには変種
  大陸では赤楊と呼ばれているらしい。
 桜葉榛木
  葉はもともと、桜葉型。
  江南に類似種。
 深山河原榛木
 毛山榛木

矢車系の染色は和の草木染ではよく取り上げられているが、これも同類らしい。
 夜叉五倍子(附子)[ヤシャブシ] or 峰榛[ミネバリ]
  尚、「夜糞峰榛」は梓。[→]
 大葉夜叉五倍子
  旅順辺りに変種があるようだ。

茶色系の染色は榛木の実から始まり、皮へと進んだのだと思うが、同時に、実の方は櫟[クヌギ]を筆頭とする団栗[ドングリ]利用になり、樹皮は檜の余り物も使うことになったのでは。どの樹木を使だろうと、多かれ少なかれタンニン成分は入っているから同様な色がだせる訳で。
そんなこともあって、染色が広まった結果が柴染か。粗樫[アラカシ]や椎[シイ]が多かったと思うが、ナンデモOKの世界。さらに、桑畑の時代に入れば、桑の木の樹皮が使われるといった具合。
どの色になろうと、その源流は「榛摺り」だとおもわれる。その時代のことを思いだしながらの着用というのが和の心根ではなかろうか。それは、茶色という色感覚とは違うのである。

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