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2003.12.13
 
 


***イラクに関する政策論議が盛んだが、大きな流れを見て対応を考える必要があろう。その場しのぎや、情緒的対応だけは避けて欲しい。***

戦争の時代 5:アルメニアの成功…

 コーカサスのアゼルバイジャンとグルジアを見てきた。
  → 3:アゼルバイジャンの火種  4:グルジア政変

 コーカサスの国々だから、アルメニアも大同小異と見なしがちだが、状況はかなり異なる。目立たないが、アルメニアはグローバル化の波に乗った成功パターンとも読めるし、米国が狙うスターリニズム国家解体路線にのった国なのかもしれないのである。

 そう考えると、グルジアの2003年の政変は、アルメニア路線に触発された動きともいえる。

 アルメニアは西がトルコ、南がイラン、東がアゼルバイジャン、北がグルジアに囲まれた人口333万人の小国だ。農業国だが、ソ連時代は工業を発展させ比較的裕福と言われていた。ソ連崩壊で、今や5割の人が貧困にあえいでいる。
  (http://www.cia.gov/cia/publications/factbook/geos/am.html)

 1988年、隣国アゼルバイジャン内にあるナゴルノ・カラバフの併合闘争を支援し軍事的には勝利した。
 (軍事力が拮抗していれば、ナゴルノ・カラバフとアルメニアに挟まれた地域をアゼルバイジャンが守りきれる筈がないから、当然の結果である。)
 その結果、ナゴルノ・カラバフは、アゼルバイジャン内の事実上の独立国となった。
 休戦協定が結ばれたが、安定は一時的なものである。トルコやグルジアにも、アルメニア人が存在しており、紛争の火種はここだけではないからだ。
アルメニアの動き
1991年 共和国独立
1995年 与党圧勝/新憲法採択
1996年 テル・ペトロシャン大統領再選
1998年 ナゴルノ・カラバフ問題で大統領辞任
前首相コチャリャンが大統領に就任
1999年 国会内で銃撃事件(首相/国会議長等死亡)
2003年 大統領再選

 この国は、もともと、南に接するNATO加盟国のトルコとは上手くいかない。歴史的に弾圧を受けて来たからである。
 アゼルバイジャン及びトルコとの関係が断絶すれば、アルメニアへのエネルギー供給や貿易が断たれる。従って、軍事的勝利は、経済破綻を意味する。
 しかし、それでも存亡を賭けて戦うことに意義を感じる民族である。蹂躙されたため、世界中にアルメニアコミュニティが散在しており、民族的一体感は極めて強いのである。宗教(キリスト教:アルメニア単性論派)をバネに、強烈な民族のアイデンティティを保ち続けているのだ。

 トルコ/アゼルバイジャンとの対抗上、ロシアとの関係が密になるのが普通だが、閉鎖的政策を避けた。このため欧米との関係が密になり、海外援助流入(IMF 1995-2002)に成功し、スピードは遅いが、自由経済化を進めることになった。原子力発電でエネルギー問題も解決した。民営化も順調に進んでいると見なされている。
 お蔭で、順調な経済成長を続けている。2002年のGDP成長率は12.7%と推定されている。

 米国が望ましいと考える、地域安定モデルをここに見ることができそうだ。軍事独裁国から、軍事色を弱め、民営化を進めさせ、グローバル経済にとり込むのである。

 民族闘争がある限り戦争の火種は消える訳ではない。経済好調になれば、軍備拡張に進む恐れもある。
 しかし、資源という「所有権」を巡る争いに係わらない枠組みをつくれば、なにも持たない小国の平和は保てるかもしれない。
 (もっとも、1999年の国会テロの背景解説を見たことが無い。未だに暗黒面が存在しているのは間違いあるまい。)


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