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2013.9.17
 
 

習近平体制は大丈夫なのだろうか…

中国共産党第17回大会の中央政治局常務委員人事について記載したことがある。
  → 中国共産党の大胆な変身[2007.10.25]
共産党トップ自らが自分はエンジニアと称し、国家総体としてその方向に邁進するとはっきり宣言したも同様だから、よくもそこまでと思った訳である。
   胡錦濤[総書記] エンジニア(ダム発電)
   呉邦国[全人代] エンジニア(電子)
   温家宝[首相] エンジニア(鉱産)
   賈慶林[政治協商] エンジニア(重電)
   李長春[思想] エンジニア(軽電)
   賀国強[組織] エンジニア(化工)
   周永康[公安] エンジニア(石油)
しかし、大学進学率が3割ほどになり、その数が600万人レベルと膨大化。このうち半分が理工系といった状態である。先進国の生活水準にはまだまだ遠い国で、いくらなんでも、これではキャパシティ的にみてもう限度ではなかろうか。
大卒を、日本のようには扱いかねるからでもある。と言うのは、高卒は極めて稀な社会のため、大卒を現場仕事に就かせる手は中国では使えそうにないからだ。
従って、大卒失業は行く先無し状態だと思われる。マイナーな問題とはいえ、ここら辺りもどう舵を切るべきか難しいところ。

日本ではマスコミが「世界の工場」路線が続くと囃した訳だが、胡錦濤のスローガンは成長路線とは肌合いが異なる「和諧社会」。相変わらずの報道管制で実態はわからないままだが、和諧とはスローガンだけで、暴動はさっぱり治まらなかったと見てよいのでは。
ただ、時代の流れで、出稼ぎ労働者賃金が高騰したりして、おそらくジニー係数上では貧富の格差は減少したかも。それでも、おそらくは焼け石に水ではなかったか。なにせ、都市と農村の間の政治的隔壁がある以上、どうにもならない。その辺りの改革は、リーマンショック対応以後は、すべて先送りされたに違いあるまい。
要するに、次世代指導部にまかせようということ。
そんなこともあろうかということで、非エンジニア出身の若手2名を常務委員として起用していたとも言える。学歴から見て、いかにも能才タイプである。
   習近平[現総書記] 法学博士
   李克強[現首相] 経済学博士

そして、この二人の時代に突入。ほどなく薄煕来裁判。当然ながら、そこにばかり目がいく。
  → 薄熙来裁判報道で考えたこと[2013.9.5]
だが、よく考えてみれば、そんな裁判にかまけている場合ではなかろう。新政権は、国家としてどちらに進もうと考えているのか、大胆に提起する必要がある筈だ。そうした観点では、現総書記の存在感は極めて薄いものがあると言えまいか。内政もさることながら、外交も日程をこなすだけに映る。ほとんど注目を集めることもできない状態と言ってもよいのでは。どこを見ても、さっぱり方向感が感じられない。

なにせ、就任以来流された方針といえば、虎も蠅も一気に叩くという腐敗撲滅とくる。しかも、形式主義・官僚主義・享楽主義・贅沢主義の批判だ。誰もが、何か期するところありと見ていたと思うが、一向に、その政策の実態が見えてこない。せいぜいのところ宴会自粛以上ではないとなると、一体、コリャなんなんだとなること必定。そろそろ、中央委員全体会議開催というのに。

ただ、不思議なことに、首相の方は対照的な動き。海外を通して経済運営の方針を知らしめるという、実に味な方法を採用。しかも、わかり易い内容とくる。・・・信用バブルを抑え込む(脱レバレッジ)、民間主導へ(脱官需刺激)、内需主導型経済への構造改革といったところ。中央銀行も方針を転換しているようだし、この先、紆余曲折はあろうが、口だけではなく本気で進めるつもりのようだ。
従って、今や、「リコノミクス」として時の人。

営業税から、付加価値税への転換も進めているようだし、これは二重課税を防ぐだけでなく、一種の減税効果もあるから理にかなった政策。いかにも理論派主導の経済政策が打ち出されているとの印象を与える。
そのかわり、温家宝時代と様変わりして、国内での大衆への露出度はガタ減りのようだ。政治的にこれで問題はないのかという感じがするほど。
経済の大転換とは、既得権益層の没落を意味しかねないから、皆が諾として方針に従うとは思えない。それがどのような権力闘争に発展するかは予想もつかないから、大衆へのアピールを怠ると危険ではないかと思うが。

ともあれ、この政権が安定するかは、城鎮化/城市化(都市化)を今までのペースで進めることができるかにかかっていると見てよいのでは。なにせ、労働力人口はこれから減少していく社会なのだから、これが上手くいかなければ経済低迷路線に陥ることになりかねないからだ。
しかし、これが簡単ではない。すでに都市化率は5割を越えているからだ。もちろん、理屈では、まだまだ糊代多しだが、ここから先はそう簡単にことは運ばない。

なんといっても厄介なのは、都市には社会保障制度を組み入れたが、農村は除外されている点。つまり、これからの都市化とは、都市の負担が急激に増すことと同義なのだ。現在の都市住民にとっては賛成し難い方向なのは言うまでもない。過去の農民人口の巨大さを考えれば、おそらく、労働者の過半が出稼ぎ農民扱いだと思われるが、事実上都市住民であり、このぶ厚い層への社会保障を始めることは容易ではなかろう。しかも、老齢化まったなし社会とくる。
常識的に考えれば、経済成長が止まったりすれば、たちまちち都市で大騒乱発生では。それを防ぐためには、リコノミクスでの経済成長しかなかろうが、それは経済主導者が官から民へ移動することでもある。都会での共産党の統制がとれなくなるリスクが高まる訳で、この方針決定は政権の命運を決めるものになるだろう。

一方、農村だが、余剰労働力がまだまだ豊富というのは紛れもない事実だと思われる。しかし、ここまでくると、都市への労働力流れ込みは超低調化するに違いない。農民にとっての既得権益とは耕作地を持っていることだが、それが労働力供給の桎梏になり始めるからである。・・・今までも地域開発のために突然耕作権を召上げられ、そこらじゅうで血の抗争が勃発していた。土地は農民の所有物ではないので、対立解消の手がないからだ。ところが、これからは、その上をいく困難な政策を打ち出す必要に迫られる。要するに、耕作権集約による農業人口圧縮である。換言すれば、農民がそんな話にのれるように、農地制度を変更することになろう。しかし、それは、貧農主体の社会主義を標榜してきた毛沢東思想の核に触れることになる。そんなことができるだろうか。下手をすれば、党が割れかねまい。

マクロでは上記のような話になる。

しかし、ミクロで見始めると、軍区別に状況は相当に違うかも。労働力不足が発展のボトルネックになるどころか、失業者問題を抱えていそうな地域もありそうだし、米国のデトロイト同様に事実上破産状態の地方自治体を抱えていてもおかしなかったりと色々。
つまり、リコノミクスは総論では通用するが、各論に入ったとたんに問題続発なのである。どこから、どう始めるのかが勝負だろう。といっても、分析して最適解が見つかるような話ではなさそう。どの地域だろうが、どの産業であっても、必ず民と官が存在しているようだから。しかも、それぞれの役割分担とか線引きがされている訳ではない。つまり、ここに手をつっこむと、軍区幹部や、地域共産党員の利権に直接係ってくる。熾烈な路線闘争に発展しかねない危うさを秘めた政策と言えよう。
現政権は、あえて、そこまで踏み込む覚悟があるのだろうか。理で進める能才路線は足を掬われる可能性も無きにしも非ず。

まあ、ド素人の見立てだが。
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