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2014.9.4

イスラム法地域に民主制は無理筋…

「素人的なイスラム教分派分類」 [→2014.8.28] で、対立のもととなる教義の違いを眺めてみた。
そして、それを知りながら、対立抑制を図るのでなく、放置することで地域の不安定化に邁進しているのがオバマ政権という話をした。 [→2014.8.29]

「純化した宗派共同体」や「民族自決圏」を認めたるすると、中東全域の組換えが必要となり、壮絶な完全殲滅戦が始まるから、常識的な政治カならそれを避けるように手を打つものだが、オバマ政権は「中東からな足抜け」最優先ということで、それを促進させているのだからたまったものではない。

ネオコンと本質的にはなんの違いもないと見てよかろう。
言うまでもないが、バーナード・ルイス流のものの見方をそのまま踏襲しているのである。

"イラク戦争決定に絶大な影響を与えた衝撃の書"と言われる「イスラム世界はなぜ没落したか?−西洋近代と中東」日本評論社 2003を思い出すとよかろう。ネオコンが中東政策立案に当たって依拠したということで有名になった本である。
イスラム全体ではなく、用心深く「中東」の範囲での問題としているが、以下のような主張がなされているのである。

 近代化の推進者たちは、
 改革によってであれ 革命によってであれ
 三つの主要領域に努力を傾注した。
 軍事、経済、政治である。


その結果は誰でもご存知の通り。
惨憺たる有様と言ってよいだろう。
 【軍事】
  連戦連敗。
 【経済】
  開発は、援助の垂れ流し。
   そして、腐敗と貧困。
  一方で、化石燃料依存も。
   西洋の才と勤勉さを利用できただけ。

 【政治】
  伝統的専制政治から新型独裁政治にいたる
   抑圧と教化の装置のみの
    近代的な一連のひどい暴政。


西洋社会から見れば、こうなった理由は自明に映るだろう。
「自由と解放」の欠如である。

しかし、それは、宗教の特質によるところが大きかろう。それを無視して、「自由と解放」の動きに加勢しようなどというのは根本的な誤りでは。事態はさらに悪化するだけだから。
「素人的なイスラム教分派分類」を書いた際、唐突に「イスラム法」と持ち出していると感じた方もおられようが、そこの理解が鍵なのである。

わかり易い話があるので引用させて頂こう。

 16世紀に
  オスマン帝国にコーヒーが普及した際に
  それまでイスラーム世界には
  一般的に知られていなかったこの飲料が
 イスラームの教義に照らして
 合法か否かを判定する必要が生じた。


これが「イスラム法」であり、これは現代にも通用する。信仰する者が、神の指示たる「イスラム法」に従わなければ背教者になってしまうからだ。コーヒーひとつでもないがしろにはできないのである。
しかし、神の言葉を伝えた宗祖の伝承話から、素人が合法性を判断できかねるから、法学者に任せるしかないのである。

 この時
 法学者は、
  神が または 神が預言者を通じて
  禁止していない物は合法であるという
  合法性の推定という原則に従って
 合法とした。


これは16世紀だったからという訳ではない。

 他の宗教が定めないような
 聖俗の些末な事項までが
 イスラームの教えによって
 規律されている。

 たとえば
 他人の物を売ることができるか否か
 という問題を取り上げてみよう。

 キリスト教あるいは仏教社会において
 このような問題が
 宗教の問題として
 論じられることはないし、
 これまでもなかったようである。

 しかし
 イスラームにおいては
 これは立派な教義上の問題である。


このような社会において、西洋的な「自由と解放」が通用する筈がなかろう。
それを百も承知で、仕掛けるのが欧米文化である。

宗教的な背景もありそうだが、印欧語族が、旧約聖書やコーランを生んだセム系語族(アフロ・アジア)を中心とするイスラム信徒に、人口上劣性になる可能性を感じ始めているせいもあるのでは。
ここら辺りは、微妙な話であり、議論するようなものではないが。
まあ、そう思うのは、印欧語族という呼び方にひっかかるからでもある。ペルシア(イラン)を恣意的に抜いているからだ。

(引用) 柳橋博之 編:「イスラーム 知の遺産」東京大学出版会 2014,2.25 より、"はじめに"

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