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2010年1月13日
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【古都散策方法 京都-その6】
京都駅近辺に出かける

短時間でも、京都駅そばのお寺に立ち寄るのは楽しいものである。
 京都散策について6回目になるが、今回はその続きとは言い難い話になる。

 今までお勧めしてきたのは、各回ともテーマ設定しているとはいえ、時間を気にせずに気ままぶらりと歩くことを基本としてきた。
 しかし、それは理想。京都近辺に住んでいる人でなければ滅多に実現できるものではなかろう。特に、東京の住人にとっては。
 そこで限られた時間内での散歩方法をご提案してみたい。

 要するに、多忙なスケジュールの合間を縫ったような京都散策はどうすべきかということ。ビジネスマンの現実はそんなところでは。
 例えば、関西で午後から会議の“日帰り”出張の機会を利用しようというようなもの。どうせ午前中は移動。
 それなら、夜遅く京都駅そばのホテルに入れば、朝、僅かとはいえ自由時間がとれる。Yシャツ・ネクタイ・靴下・下着を書類鞄にわからないに同居させ、前日、仕事が終わったら新幹線に飛び乗るだけだから用意などいらぬ。
 そんな場合、どう散策するかだ。

 京都は寺だらけだから、上図を見ていただければわかるように、駅そばだけでも、いくらでも行くところはある。どこか一箇所決めて、気晴らしに、朝早く訪れて見るのは結構楽しいものである。

 それは、5回に渡ってご提案した散策より充実したものになるのかも知れない。ここが肝。
 問題をこう設定するとよい。
 限られた時間だと散策はできないなら、暇人は素晴らしい散策ができるののか。
 あるいは、より本質的な疑問で考えるのもよかろう。・・・日常から離れて別人になれるものか。
 要するに、駅前散歩とは、散策の本質を探るもの。

海外からのお客様にお勧めの見所は駅ソバ。
 少々高尚な話をしてしまったが、現実には、上の地図に記載してある“名所”から適当に選ぶにすぎない。
 ただ、その際に、どうしてそこを選ぶのか、少し考えてみることをお勧めしたい。

 煩い議論に感じるかも知れぬが、実は、ビジネスマンはそんな体験ばかりしてきたから、たいした話ではないのである。と言うと驚くかも知れぬが、 海外からのお客様で、京都のどこへ行ったらよいかとの質問にどう答えるかというだけの話。もちろん、単なる雑談。
 さあ、どうするかね。

〜京都お勧めのお寺〜
-対象- -海外のお客様-
“一見さん”
-国内観光客-
“話題作り”
-興味津々派-
“初散策感覚”
象徴 金閣寺 銀閣寺
寺院
(建築)
本願寺 清水寺 東福寺
仏像 三十三間堂
(千手観音)
広隆寺
(弥勒)
東寺
(曼荼羅)
 小生の場合は、海外からこられた方にお勧めするのは、右表のようなもの。ついでに国内観光客向けと、小生のお勧めも掲載したので、対比していただくとわかり易いかも。
 ご覧になればわかるように、京都駅のそばが多いのである。間違ってはこまるが、応仁の乱の被害を逃れたからこの辺りに集中したいというのではない。

 どうしてこうなるかと言えば、説明が楽だから。換言すれば、理解し易いのである。
 これは結構重要なこと。

 ビジネスマンは、つまらない質問でも、答える前に、何故質問しているか考える。海外のお客様だと、誤解の可能性があるからなおさら。
   なんで、ガイドブックがあるのに質問するのか、えらく気になる訳だ。その真意はよくわからないが、2つのタイプがありそうだ。
 一つは、ガイドブックには見所満載で、コースも色々あってなんだかよくわからないから、参考に聞いてみるタイプ。一応、何がお勧めか確認したいだけ。
 このタイプには、気楽に語ればよい。

 実は、もう一つのタイプがある。これが曲者。なんとなく、文化への愛着度を試されている感じがしないでもないからだ。要するに、おつきあいして楽しい人か質問している節がある。と言うのは、予め、ガイドブックは十分すぎるほど読みこんでおり、こちらより知っていたりするからだ。こちらにしてみれば、日本文化の素人に聞いてどうするのという感覚に陥るくらい。答えるのがえらく骨である。
 見所を選ぶ能力が無いと、会話がまったく成立しないのである。

 ということでできあがったのだ、上記の表。
 なんだそんなことか、と言えなくもないが。

金閣・銀閣は別格だろう。
 と言うことで、どうして駅ソバが多いのか考えるために、上表を見ていこうか。頭の整理にもなるし。

 先ずは【象徴】だが、金閣寺が無難なところ。文学的表現としての「金閣寺」の美が伝わるとは思えないが、それなりの京都らしさは伝わる。
 西洋とは違う文化であることは理解してもらえる筈。
 それは見た一瞬でわかると思う。金色でなければ、最高権力者の建物とは思えない小ささだから。この状態で、家来や召使はどうしていたのか、気になるに違いない。しかも、貴族の館、武士の書斎、禅僧の仏堂を強引に融合している点にも驚かされるに違いない。一方、庭と言えば、日本の自然美を狭い土地にすべてを凝集させた設計。それを館から眺めたり、池の周囲を散策したり、船を浮かべたりして楽しもうという趣旨と聞けば、仰天するのではないか。これが一般人の趣味というのなら納得もできるが、軍事組織の頂点に君臨している将軍が全精力を注いで造ったのだから。
 もちろん、金閣寺のかわりに銀閣寺という手もある。こちらは、入場する前から観光客だらけ。しかし、入り口の通路が刈り込んだ木で囲われている上、えらく狭いので、皆、入ると急に静かになる。これは秀逸。中が混んでいても、それなりに鑑賞できる。樹木・池と石・砂山・古びた木造建築物のセットにもかかわらず、白砂が設定されているからだ。これは、静粛な枯淡の庭とは言い難い。
 ここの面白さは、最高権力者が、別荘を私的な仏教信仰の場とした点。しかも、いぶし銀的な美を追求したから、かえってそれが光る。
 なにはともあれ、自分の好みを重視し、それがわかる人のサロン作りに励んだことが一目瞭然。
 宗教施設というより、第一級の芸術作品として鑑賞できる。

本願寺の魅力を考えてみよう。
 正直のところ、金閣・銀閣はどうでもよい。問題は次の【寺院】だ。
 観光施設ではなく、宗教施設ということに留意して欲しい。だが、京都は、石を投げればお寺に当たるような土地柄。本山だらけで選定はえらく難しい。

 小生は海外からの訪問者に対しては、とりあえず、西か東の本願寺をお勧めする。お堂のなかに入る必要はなく、外から建造物を眺めるだけ。ここは仏像を拝む場であるが、信徒が集まって信仰を告白する場でもある。1000人規模で収容するなら、巨大な建築になって当然。像より、場が重要と思わせる造りはおそらくここだけ。
 これは、西洋の宗教感と繋がる点があり、実に説明し易い。それに、異なる信仰のお堂が同居していないから、一神教の人達には理解し易いだろう。宗祖を祀るお堂が、偶像崇拝の阿弥陀仏のお堂より大きい点も納得がいきそう。
 もし、京都リーガロイヤルホテル(旧名:京都グランドホテル)など、駅ソバに宿泊しているなら、早朝散歩にも最適だろう。

 ただ、日本人の場合は、印象が違うのではないか。確かに、建物は巨大だが、再建したお堂で、京都のなかでは比較的新しい建造物になるからだ。
 しかし、よく考えると、これこそが見所そのものかも。焼失しても、何度で再建した執念は脱帽ものである。しかも昔の絵図とそっくりな形で。信仰とは何か考えさせられる風景そのものである。
 浄土感を基底にした宗教なのだから、皇室の葬儀を引き受けてもよさそうなものだが、それを担うのは、上記の地図の南東に存在する泉涌寺。問跡寺院ではあるが、御所の京都で、どのような役割を担ってきたのだろうか。
 聞くところによれば、除夜の鐘を突いても煩悩が消えることは無いと冷静な姿勢をとるとか。親鸞は、学識教養・階級身分・経済的富裕・禁欲的戒律・呪術祈祷を捨て去ったから、理屈ではそういうことかも知れぬが。伝統を重んじる京都でそのまま通用するものではなかろう。といって原理主義的な宗教にも見えない。
 これ以上考えるのは、素人には手に余る。たまには、こんなことも考えてみるのも悪いことではないのでは。

 一方、説明し易い信仰は、三十三間堂の方だ。仏像は十一面千手千眼の観音菩薩。三十三に化身するということは、三万の仏様が存在するお堂ということになる。
 解説は単純だが、ともかく空前絶後。
 像の芸術性という点では、これだけ多数だと感覚を喪失してしまうが、風神雷神や二十八部衆なら、じっくり見ることができよう。優れた作品ばかりである。
 豊臣秀吉は方広寺の大仏建立で、奈良、鎌倉に連なる権威を示そうと図ったようだが、民衆は清水寺、知識層は三十三間堂と、あくまでも千手観音信仰にこだわったのだと思う。

東福寺と東寺は最初の散歩には向かない。
 お勧めの表で、お気付きかも知れぬが、“一見さん”には、禅寺の東福寺や密教寺院の東寺はお勧めしない。

 前者は巨大な三門があり、後者は目立つ五重塔があるが、遠路の訪問者には向かないのではないか。
 多分、東福寺は他の禅寺を見て、その良さを味わってからがよい。ここはじっくり見るべき場所。だいたい、京都の禅寺で山岳的な雰囲気を感じるのはこのお寺だけ。しかも、便所や風呂場の建物はあるはで、禅寺修業を建物から味わえる。もちろん、独自なお庭もある。これを、ざっと眺めるのはもったいない。
 それに、民家や学校の地区と境なく繋がっている感じがして、頭が混乱するせいもある。幼稚園と駐車場経営主体のお寺はそこらじゅうにあるが、それとは全く違うからだ。境内はあくまでも広く、門構えからして豪壮なもの。このお寺、あまりに開放的なのである。
 言ってみれば、通好みか。

 そういう点では、東寺はもっと敷居が高い。入り難さを感じさせるという意味ではなく、庶民が入り易すぎるので、それこそ襟を正して入ろうかと考えている訪問者側にとまどいが生じるのである。
 地元の感覚や、お寺巡り好きな方々なら向くが、素人には向かないのである。
 そのかわり、様々なお寺を拝観していると、東寺の仏像を眺めるのは、なかなか面白い。芸術性というより、混沌としった世界に統一性を与えようとした空海の努力を強く感じるからだ。

 ただ、空海の凄さはそこにあるのではなく、現実の社会生活の改革者であった点ではないか。現世のご利益を実現すべく、僧侶が先頭に立って奮闘する体制を作ったのだと思う。
 理論より実践で、社会の実態をよく見て動いてきたように思える。五重塔が目立つのも、鬱蒼として木々に覆われないように気をつかったからだと思われるし、人々を呼び込むための“弘法さん”の市を重視しているということ。信仰的にもそれは言える。曼荼羅に登場しない薬師如来が金堂の本尊なのである。説明のしようがないではないか。
 素人的には、高尾山ハイキングで薬王院を何回も訪れたことがあるので、真言宗寺院の特徴は護摩行という印象が強い。神社と似ていて、結界を作りお迎え儀式を行うと、そこに仏様が降りてきて、僧がその威力を頂戴できるといったものではないか。
 多分、信仰普及の一番の鍵は仏像ではなく、護摩行。
 東方に向かえば現世利益実現だし、西方なら死後の極楽を願うことになる。北方なら護身あるいは護国か。そして、一番肝心なのは、南方。勝利の願かけ。温泉に浸かると、霊力が湧いてくるような感覚かも。敵を倒すための祈願と言えなくもない。
 これは山岳宗教の本質のような気もするが、それを朝廷の要請で都に持ち込んだということでは。

 そんなことを考えながら、短時間でも、東寺を訪れるというのは、なかなかのもの。拝観区域に入らずに、境内を歩くだけでも、そんな感慨にふけることはできよう。

智積院のお庭もお勧め。
 ついでながら、海外からのお客様に、智積院の大書院東側庭園をお勧めするのもよいかも。
 このお庭の原型は豊臣秀吉の頃だそうだが、池が建物の下に入り込んでいて、寝殿作りの雰囲気そのもの。庭側ではなく、書院側から眺めることができるから、その時代の気分に浸れる。
 京都のお庭というと枯山水の石庭を勧める人が多い。確かに、独特であるし、思想性もあるが、狭苦しさは否めない。頭のなかで大海を感じると言っても、禅の境地に理解がないとつまらぬ拝観になりかねない。それに、観光客がずかずかと歩き回る場所で沈思黙考でもなかろう。
 それよりは寝殿作りの方が楽しかろう。
(駅ソバで便利でも、マンション・ビルの借景はご勘弁。ここはその心配はない。)

 尚、寝殿作りといった感覚を離れて、庭そのものの美しさを愛でたい人は三千院の極楽往生院周囲、有清園、聚碧園がよかろう。池や山と調和するように、木々や苔が手入れされており、素晴らしい。
 ただ、苔の美しさを感じない人には勧めないこと。花街の狭い小路を歩いて、舞妓さんに出会うことの方が何倍も嬉しい人も少なくないのである。
 ここまで書くと、言わずにすませないか。
 小生は、有名な“回遊式”庭園を海外のお客様にはお勧めしない。室内から眺めると、人々が歩き回る図以外のなにものでもないからだ。都会の西洋式公園で人々が散策する様子となんらかわらない。小振りで、細かなことばかり気遣う施設という印象で終わるのでは。

 そうそう、駅ソバでもう一つお勧めの場所があった。国立博物館である。京都を知ってもらうなら、ここが一番かも。

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