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2010年1月15日
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【古都散策方法 京都-その8】
浄瑠璃寺を覗く

浄瑠璃寺は大和の古寺と見ない方がよい。
 西陣の話をしたが、どう感じられただろうか。手工業の町といえばその通りだが、「不焼」という名称でわかるように内乱で丸焼けになった都の感覚を今に伝える地ということ。戦争を記憶から消すのではなく、ここは戦陣だったのだぜと主張する土地柄でもある。
 このことは、京都市内には、平安京の初期を偲ばせるものはほとんど無いということを意味する。それでは、建物で古いものは何かといえば、再建された三十三間堂である。しかし、それより古い建物がある。それが、前回の地図に登場した千本釈迦堂。しかし、平安貴族の感覚が伝わってこない。それは、この地域全体の雰囲気のせいでもある。年代は古いが、様々な変遷があったということ。
 そもそも、千本通とはもともとの平安京の朱雀大路だった訳で、頭ではわかっても、この通りを歩いたところでそんな感覚は全く浮かばない。

 それでは、当時を偲ぶつもりならどうしたらよいか。
 実は、それが浄瑠璃寺訪問なのである。そんなことを言うと驚く人が多いかも知れない。普通は大和のお寺なのである。和辻も堀も奈良からでかけていったのだから、そんな文章を読んでいるとどうしても鄙びた地の古寺で、奈良に合うと見るのが常識かも。
 だが、この感覚は疑って見た方がよい。

 別に、地方行政上、このお寺が京都府であることを言っているのではない。今でも、行くなら、奈良からバスとなり、実に不便極まりない。小生も修学旅行以外では2度行ったきり。車だなければ、そう簡単に足を伸ばせないのである。地理的にはどう見ても奈良圏ということ。
 しかし、良く知られるように、ここには、9体の阿弥陀如来が並ぶお堂と、池を介した、三重の塔が配置されている。この構想は、平城京の仏教とは違うだろう。池の作成が奈良のお寺の高僧だからといって、奈良圏の文化と考えるのは無理があるのではなかろうか。小生は、平安貴族の信仰が「鄙」に持ち込まれたのだと思う。多分、疎開のようなもの。と言っても、お寺として生き残るためには、大寺院の庇護が不可欠という話なのでは。素人の想像ではあるが。
 有名な「浄瑠璃時の春」の情景とは、その「鄙」の風情を表現したにすぎないのでは。繰り返すが、それは大和の情緒とは無縁。

浄瑠璃寺のご本尊は阿弥陀仏ではなかろう。
 と言うことで、浄瑠璃寺拝観に際しては、この「鄙」感覚を忘れない方がよい。間違ってはこまるが、廃墟感とは違う。
 要するに、このお寺は「都」の貴族社会で流行っている浄土思想をもってきたのだが、貴族文化の本流ではないということ。平等院のようには、洗練されてはいないのである。
 と言うか、どこか辻褄が合わないのである。しかし、それがこのお寺のよさではないか。堀辰雄はそれを直感で理解したのではないか。
 確かに気分はわかる。農村地帯の山がちな所ににポツネンとお寺がある。塔がなければ気付かないほど存在感が薄いのである。参道と感じられない道を上ると、門はあるが、茶室用かと思うほど小さいもの。しかも、お堂と塔とそれにはさまれる池しかない。とても伽藍と呼べるような構成ではない。
 しかも、眼前に広がるのは、作られた華やかはほとんどなく、情緒を醸し出すのは野の花。この情感がいかにも古都ということになる。
 しっとりとくる話ではあるが、違うかなという気もするのである。
 おそらく、このお寺にも立派な伽藍があったのではないか。しかし、それは焼き払われ、ここだけ残ったにすぎない。田舎にもかかわらず、戦乱はここまで来たのである。平安京など焼け野原かも。
 その都だが、九体仏と三重塔を揃えたお寺だらけだったのではないのか。残念ながら、当時を偲ぶものは都には一つとして残っていないから、はっきりはしていないが。、
 もしそうなら、浄瑠璃寺拝観は、平安京古寺巡礼と呼ぶべきではないか。

 ただ、そう見てよいと断言する自信はない。それにしては、どこかおかしいからだ。

 先ず、お寺の名前である。浄瑠璃寺なら、ご本尊は薬師如来であり、金堂に薬師如来が常識。
 ところが、お堂に安置されているのは阿弥陀如来のみ。
 しかも、九体の仏像が並び、九品仏思想を表現しているとされているが、これも不完全。中央の一体だけが大きく、他は脇待のようになっている。理解しにくい構図である。しかも、どうも九品仏では無さそうなのだ。同じ形の仏像だらけ。これは、正統な阿弥陀信仰とは相当なズレがある。(宗派は奈良 西大寺の真言律宗)
 ともあれ、ご本尊は塔に祀られている薬師如来と考えるしかないのである。

何故、九品仏が京都にないのか気になる。
 つまらぬ話をしているように思われるかも知れぬが、気になっているのは、どうして九品仏信仰が都から一掃されたという点。古い信仰を習合したりして残してきたのに、これだけは綺麗サッパリなのだから、驚き。
 なんでそんなことに驚くのかと言われそうだが、まあ、それは東京育ちだから。東京では九品仏は昔から知られている地名なのである。どこで習うのかわからないが、これをクホンブツと読めるのはたいしたものではないか。一応、駅名だが、観光地ではないのである。それこそ、“九品仏の叔母の家に、・・・”といった感覚。多分、正式な地名では奥沢なのではないか。
 東京でこれほど有名な「九品仏」が京都にはないのである。
 どういうことかね。とても気になるのである。

 それは、九品仏に親しみを持っているせいでもある。小生の場合、自由が丘に行くと、時間があれば参拝に行く。散歩用に作られた道沿いにしばらく歩き、裏の墓地か東門から入り、境内を巡り、表の参道に出てお茶というパターン。帰りはもちろん九品仏駅である。参道をでれば、ものの1分もかからない。  この“九品仏”寺は、京都のお寺の規模では小さい部類だが、東京にしては境内は広い。巨大な樹木もありなかなかの風情なのである。銀杏採りをしたこともある位。それに、 図に示すように伽藍形式が保たれているのだ。
 そう、特筆すべきは、こちらは九体仏ではなく、正真正銘の九品仏という点。もちろん、それが彼岸にあたり、池はないが、本堂から橋を渡したお祭りもあり、浄土信仰は今も続いている。ただ、薬師如来ではなく、釈迦如来である。
[上品上生(じょうぼんじょうしょう)、上品中生、上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生の九体。よく見えないが。]
 ちなみに、お寺の正式名は、「九品山唯在念仏院浄眞寺」だそうで、創建は1678年とされている。

内乱が、都から九品仏を一掃したのである。
 実は、都から一掃されたのは九品仏だけではない。塔も失われたのである。

 浄瑠璃寺では、阿弥陀如来像が並ぶのでどうしてもそちらに目を奪われがち。だが、「塔」はそれ以上にじっくり拝見したいもの。
 おそらく、内乱前はこの形式の塔が都には乱立していたに違いない。平安貴族ならこの程度は持っていて当たり前だった可能性さえある。それに不快感を持つ兵が、内乱にかこつけて伽藍全体に火を放ったのかも。浄瑠璃寺の三重塔はたまたま疎開できたということでは。

 繰り返すが、ここを見ても、奈良仏教とは全く異質なことがよくわかる。なにせ、ご本尊と思われる薬師如来が塔に安置されているのだ。平城京の頃の発想では、えらく奇異な話なのでは。塔はお堂ではないからだ。
 法隆寺五重塔は中心に掘っ立て柱という構造なので柱信仰を感じさせるが、あくまでも仏舎利崇拝の建造物。薬師寺になると、信仰は金堂主体になる。仏舎利信仰を残すから、中心柱があるが、高く聳え立つことを示す象徴的なものになっている。
 それが、ついに仏像を安置するお堂の一種になってしまったのである。一階の中心に柱が無いのである。従って、高い塔を目指している訳ではない。どちらかと言えば、落ち着いて安定した雰囲気と言ったらよいだろうか。“天”の感覚さえ生まれるなら、それが塔だということ。
 ながながご説明しているのは、奈良の塔とは全くちがうだけでなく、京都の塔にも似ていないということを言いたいだけ。

 京都の塔とは、基本は密教系。密教だと、柱や仏舎利に意味がある訳ではないから、三重塔や五重塔が必要という訳でもなさそうである。塔なら、多宝塔にしたいところだろうが、日本の伝統として塔を作るということでは。従って、塔は象徴的なものでしかなかろう。当然ながら、そこに安置すべきは大日如来。
 今までとりあげた散歩でみかける「塔」はこのタイプではないか。
{八坂の塔(足利義則再建), 清水寺三重塔(寛永), 東寺五重塔(寛永)}

 これらの塔よりわかり易いのは、仁和寺の五重塔(寛永)。小生は、現代の真四角なビルディングのような感じがする。薬師寺東塔とは対極的である。いかにも権威を誇る重厚な建造物である。大きなものだと思うが、屹立する柱の感覚は完全に失せている。

 これらに比べると、浄瑠璃寺の塔は、小振りということもあるが、実に大人しい。その奥ゆかしさが、なんともいえないではないか。このお寺はそんな感情を大切にしてきたように思えてならない。人工庭などもってのほか。
 そう、周囲におきたいのは、あくまでも野の花であり、なにげなく生えている樹木では。自然にこだわり続けているように思えてならない。
 猛火のなかに消え去った、貴族が愛していた世界を、その自然のなかで感じとろうということではないか。
 ここでは、平安貴族の形見を覗き見ることができるのである。

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