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2010年1月22日
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【古都散策方法 京都-その11】
妙心寺内を見つめる

禅寺は“寺風”にあわせた散歩でないと楽しめない。
 京都散策なのに、京都五山と言われる禅寺の話がさっぱり出てこないではないかと言われそうだからという訳ではないが、ここで禅寺巡りに入ろう。

 今までも、全く触れなかった訳でもない。東山地区の散策のスタート地点の南禅寺や、京都駅ソバの東福寺、定番の金閣・銀閣には少し触れてはいるからだ。
 だが、意図的に避けてきたのである。禅寺での散歩にはコツがあると考えているからである。特に重要なのは、それぞれ独特の“寺風”を理解すること。
 それに合わせた散歩をしないと折角の良さを堪能できなくなるからだ。

〜京都の“禅宗面”〜
-寺- -面-
【五山】
南禅寺 武家づら
天竜寺 不明
相國寺 声明づら
建仁寺 学問づら
東福寺 伽藍づら
万寿寺 不明
【林下】
妙心寺 算盤づら
大徳寺 茶づら
 “寺風”といっても理解しにくいが、ガイドブックのコラム欄によくのっている右表の揶揄表現のようなもの。コレ、結構本質を捉えている。
 別にそれぞれのお寺を研究しようというのではない。“京都五山”なる、室町幕府の統制に対する姿勢と、その後の展開を建物の状況から判断すればよいだけのこと。お寺の風土を、こちらが偏見と独断に基づき判断するだけのこと。だいたい、“寺風”を書いてある本がそうそうあるとも思えないし。

 表を見れば、どうしてこだわるか、おわかりだろう。臨済宗の禅が生み出した文化に触れたかったら、どのお寺でもよいという訳にはいかないのである。
 と言うことで、どこからの「散策」が良いかといえば、答えは自明。妙心寺なのである。
 わからない方もいるかも知れないが、お読み続けて頂くとそのうちわかってくるだろう。

妙心寺へは花園駅から入ろう。
 妙心寺へは、JR山陰本線(山陰本線)で花園駅下車で南側から入るべきだと思う。
 交通の便と、拝観地点を色々組み合わせる配慮から、妙心寺だけの拝観を考えないからそうなるのだと思う。限られた時間で色々見たいとなればそうなるのはわからないでもない。確かに、以下のコースなら5つも回れて便利といえばそうかも知れぬ。
     【金閣寺】→[木辻通]→堂本印象美術館→[きぬかけの道]→立命館大学前→
    →【等持院】(足利将軍家菩提寺)→
    →【竜安寺】→
    →【仁和寺】→北野線妙心寺駅→[一条通]→
    →【妙心寺】(北門)

 小生のお勧めは、すでに記載したように、御室を訪れるなら、北野線で御室仁和寺駅で降り、仁和寺に絞込んでぶらぶらすること。気がむけば、竜安寺石庭を追加する程度に留めるのがよい。スポット的に沢山訪れるのはどうかと思う。
 特に、妙心寺拝観の嬉しさは、寺町風情を感じながらのんびり歩いてこそのもの。
 どうしてそう考えるかは、すこしづつご説明していこう。

禅寺伽藍形式が一目瞭然。こんなお寺は無い。
 誰もが指摘する、このお寺の凄さは、禅寺伽藍が、教科書のように整理整頓されている点。修学旅行に最適なような気がするが、小生の場合はコース外だった。南禅寺が禅寺の代表だから、それで十分ということかも。それに、特段目立つものがある訳でもないし。

 このお寺の特徴は、南の妙心寺通(下立売通)と北の一条通の間約500mの敷地に、主要施設だけでなく、数十の塔頭が所狭しと集結していること。正確には、妙心寺通を挟む3寺、北側の少し離れた3寺、竜安寺一帯の4寺を含めると、塔頭の数は47にのぼるそうだ。これでも随分減ったとか。
 おっと、所狭しという表現は間違いである。都会の標準からいえば余裕の敷地に塀で仕切られて静かに佇むといった感じ。

 禅寺では、重要な建造物を南北に一直線上に並べることが特徴。その周囲に、これだけのお寺があると、さぞや閉鎖的な空間ができあがるのではないかと思いきや、境内は24時間開放。
 住人や自転車がなにげなく通るし、以前拝観に来たら、トレーニングウエアの学生が走っているのを見かけたことがある。素人からすれば、実に、不思議な空間であるがそれが禅寺の特徴でもある。
 それでは開放的なお寺かといえば、そんなことはない。「通年公開、特別公開、限定公開、非公開」に分別されているが、ほとんどが非公開である。

 それはそれとして、個別に見ていこううか。


門は、全て慶長期の建造物のようだ。勅使門は檜皮葺の切妻造だが、他は瓦葺。
三門は2階建。瓦葺の入母屋造。禅寺は仁王様が無いので、すっきりと入れる。本来は、心新たに3つの解脱の道を考えるべきなのだろうが、煩悩だけだとなかなかそうはいかない。
これだけが境内のなかで朱塗りであり異様感が引き立っている。なんなのかね。
左右に楼があるが、これは二階に上る階段用。デザイン的には余計な感じがするが、門で行事が行われるので機能上必須ということか。当然ながら、二階には須弥壇があり仏像が安置されているという。
東福寺や南禅寺の三門は巨大だが、こちらは小振り。朱色が矢鱈に目立つせいもあるが、バランスが取れているので、豪壮感は感じられない。本来はそれで十分なのだ。

浴室
明智光秀追善堂だという。蒸し風呂とされているが、外から見る限りは、それに適した構造になっているようには思えない。側の井戸から汲み上げた水を沸かし、それで体を拭くことが基本なのかも。
合図の鐘があり、精神修養の前に体を清浄に保つこととされたことがわかる。日本人の清潔好きは、古代の穢れを水で落とすという思想に、禅の教えが重層化した結果なのだろう。

仏殿・法堂、等】
仏殿は徳川家斉の頃の 建造なので新しい。他とは200年もの差があり、新しい時代感覚を取り入れてもよさそうなものだが、他のお堂との調和を考えて設計されたようだ。仏殿・法堂を同時に眺めると、禅寺の基本様式がよくわかる。
ただ、仏殿は大きすぎる感は否めまい。釈迦仏だけなら、一回り小さくてもよかった筈。法堂は問答をしたり、人が入るから大きい程機能的だが、こちらは逆ではないか。
尚、拝観の玄関があるのが寝堂。その辺りには、方丈や庫裏が、大小2つづつあるし、微妙殿と名付けられた現代版方丈もあり、機能的な配置がされていそうだ。庫裏はかなり大きい建物だから、食堂兼用なのだろう。

【玉鳳院・開山堂】
図に示した玉鳳院[法皇御殿]・開山堂はお堂が繋がっており、1つの塔頭とされているようだ。

 こんな風に見ていくと、禅寺構造セミナーに出席しているような気分であまり心地よくない。
 このお寺で見たいものとは、そんなものではないから、早々に主要建物拝観はおしまいにしよう。それにのんびりしたくても、どうしても団体さんと一緒の見学になってしまうし。

算盤づらの意味は拝観料で気付かされる。
 このお寺、良く知られているように、五山からは外れている。好きでそうなったというのではなく、足利幕府に対立する勢力が檀家だったため。
[1335年に仏門に入った花園上皇の御所(離宮萩原殿)を禅寺に変えたことが発祥。反足利勢力(大内義弘)の菩提寺であったため在野的存在に。そのことが、足利幕府崩壊後に有力大名の支援を集め易くなったことに繋がったのだと思われる。]

 しかし、反権力志向だったと見るのは行き過ぎ。もしそうなら、完全に壊滅させられていただろう。政治的に上手に立ち回る術があったから生き残ったのだと思う。
 伽藍建築を見てわかるように、五山を越えるような建物は作ることが規制されていたに違いない。それに、金銭的にも弱体だったにろうが、為政者との対立を避けながら、独自に支援者と獲得していったということ。そして、できる範囲で壮大な伽藍を作り、再建・修理をしっかりこなしてきた訳だ。
 簡単なことではない。

 「妙心寺の算盤面」と揶揄されたのは、その卓越したマネジメント能力に感心させられたことの裏返しでもあろう。おそらく、行動・倫理規定から始まり、綿密な管理会計制度も整えていたということ。シンボルの建物造りで人々を昂揚させるような手法ではなく、地道に、財政再建を 果たしながら強い組織を作りあげていったのだと思う。
 仏堂の手前に植わる4本の松も、そうした組織文化の象徴的なものであろう。4分派を示しているとされるが、弟子をフェアに競争させる風土を定着させようとの仕掛けと見た方がよかろう。

 そんなことを考えると、現代の拝観料金の仕組みも熟考した結果なのかも。このお寺で、公開施設をすべて見て回ると、相当な額に達するのではないか。もしかすると、観光客には不評かも知れぬが、観光施設ではないのだから、それは正解では。塔頭のほとんどを公開しない姿勢も評価したい。
 観光客には、一部を公開すれば十分であり、そうでもしなければ、伽藍の雰囲気を守れまい。
 寺宝を見ても、有力支援者を抱えていたわりには、名品の寄付は余りなかったようだ。寺容拡大や質的向上に貢献しない行為は歓迎しなかったのかも。

一番の寺宝は鐘かも。
 そんな風土があるから、嵯峨にあったと言われる浄金剛院の名鐘[698年製]を保有できたようにも思える。このお寺なら、いかにも大切に扱いそうだから。それは、寺宝として守るということではなく、“祇園精舎”声[黄鐘調]の標準原器として扱いそうという意味で。
 現在は引退中だが、実際、ずっと現役だったのである。釈迦入滅時の無常院の響きを、伽藍に流していた訳である。
 小生は、声明を一度聞いたくらいしかなく、日本の古楽はさっぱりなので、鐘の「声」と言われても想像ができないが。
 京都の暑い夏に、このお寺の鐘の音を聞いてみたいものである。
 想像するに、旅先で母親を失ったモーツアルトの悲しみが詰まっているK-310第1楽章のトーンというところか。音がぶつかり合うが、濁らず、美しい響きに聞こえるのかな。

妙心寺の一番のよさは、寺町の美しさを堪能できること。
 余計な話を随分書いてしまったが、まあ、このお寺の背景を知った方が楽しいというようなところ。
 肝心の、このお寺の散歩だが、塔頭には超有名な庭があったりするので、それをお勧めすると誤解する人がいるかも知れぬが、それは、まあどうでもよいのである。どうせ混むから。
[残念ながら小生は拝見したことがないのだが、東海庵の方丈南庭は一度は眺めたいもの。白砂だけの原点復帰の作品。]

 すでに書いたがこのお寺は24時間公開というか、道はすべてに通じるのである。塵一つなく、お寺の塀だらけの小道だらけ。
 こんなところは滅多にあるものではない。そして非公開の塔頭だらけ。公開はされてはいないが、門は開いており、玄関までの通路は入れる状態。この道が素晴らしいものが多い。一寸失礼して数歩入るだけなら、まあ許してくれようと勝手に判断したり、まあ門から塔頭の建物を眺めるだけで満ち足りた気分になる。このお寺は凄い。
 おわかりかな。
 拝観料を払って眺めることをせず、寺町としてあちらこちら散策するのが最高なのである。
 そして、十分愉しみ、この雰囲気をずっと保って欲しいと思ったら、ご寄付をすること。それが礼儀というもの。

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