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2010年2月18日
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【古都散策方法 京都-その21】
京都御苑に入る。

 武家の二条条の話をしたら、京都御所の話をしない訳にはいくまい。
 前者は、“豪華絢爛”で、武家の権威を示すための建築物。それは御所の簡素で“象徴的”な建築様式とは対比的される。義務教育で覚えさせらる見方である。
 まあ確かにそうなのだろうが、作られた眼鏡ですべてを眺めるのはよした方がよかろう。
 御所の雰囲気を知るための御室散策(第9回)をお勧めしたが、できれば京都御所そのものを拝観したいところ。

 ただ、現在の御所は、1331年に土御門東洞院殿に移ってからのもの。その後も火事で焼失の繰り返しで、現在の建築物は1789年[寛永]の構築に倣って1855年[安政]の復元ということらしいが。
 小生が参観した時は、日華門から南庭に入り、紫宸殿西方から清涼殿へと回れた覚えがあるのだが、今は南庭には入れないようである。それだと、つならないかも。ただ、ビデオを見ると、拝観者は行列状態になっているようで、これではいた仕方なかろう。
  →  「京都御所略図」「施設案内ビデオ」の頁{室内映像あり} (C) 宮内庁
 尚、室内は入れないから、内部を知りたい場合は小冊子の写真を眺めるしかないので、上のリンクのビデオを見ておくのがお勧め。

 参観コースの順番で見ていこうか。

■諸大夫間■
 参内者が待つところらしいが、虎の襖絵のようだ。二条城流儀が持ち込まれた訳だが、気楽に描いた絵のように見えるが、ビデオは一部しか映していないのでなんとも言えない。

■紫宸殿■
 大屋根が下の屋根に乗っかっているような印象を与える建物で、滅多に見かけない、独特なフォルムである。
 下部の屋根が横に張り出しているので、入母屋風と間違いそう。妻側に庇を張り出させたかったのなら、そこだけ庇を出せばよさそうなものだが、屋根を巨大にしたかったのだろう。お蔭で不思議な形になっているが、意外と違和感が無い。正面3間が開放部で、ここに18段の階段がついているため安定感があるからだろうか。

 独特な形にもかかわらず、日本の神社の基本形式と思ってしまるのは、階段の開口部と両脇が同一長で、見慣れている神社の風情を感じてしまうからだろう。そんなこともあり、中国と類似形式とされても、納得感は薄い。
 ともあれ、「切妻屋根の高床構造で、階付の平入」という伝統をしっかりと守っている。
 白壁の部分も、格子に障子と御簾だともっと特徴が引き立つような気もするが。
 素人の感覚から言えば、もともとの紫宸殿の屋根はこんなものではないね。全体的にゴツ過ぎ、軟らかさがなさすぎる。

 だが、なんと言っても、ここの良さは、回廊で囲まれている南庭が一面の白砂であること。これが清楚感を生み出している。
 左近の桜・右近の橘が植わるだけで、何もないのがよい。(もともとは、桜ではなく梅だったという説もあるらしい。)

 内部はもちろん高御座だが、見ることはかなわないだろうが、同じものは他にもあるので、想像がつく。

■清涼殿■
 どうということも無い建物だが、紫宸殿とどう繋がっているのか眺めたりできたので、楽しかった覚えがある。
 なんと言っても“雅”と思ったのは、前庭に水を流す溝があることと、一面白砂に右の呉竹・左の漢竹がポツンと植わっていること。
 水の流れと、風で揺らぐ竹の葉音が部屋に聞こえることが、“清涼”感を生み出す仕掛けなのである。流石。

 清涼殿という名称を聞くだけで、どうも、桐壺の女御の感覚に陥ってしまうのだが、現存する壺庭は、西側の萩壷だけらしい。コースに入っていないから見れないようだが。確か、藤、梨、梅もあったから、もっと大きな建物だったか、別棟ということか。
 女御の角逐があったから、内部は移動できる障壁で複雑に仕切られていたに違いない。力関係で部屋の大きさが変わったりしていたのだと思う。そんな状態だから畳を敷くはずはない。

 ところで、枕草子で有名な“おそろしげなる”障子絵の復元版はあるのだろうか。
 まあ、遷都までは実際に使われていた御殿だから、襖で仕切られている筈で、和歌を主題とした絵が多いと思うが。

■小御所■
 「寝殿造り」の“池”意味がよくわかる構造である。智積院の大書院東側庭園(第6回)とは、違った意味で成る程感が生まれる筈。
 と言うのは、建物の前の白い前庭が結構広いからだ。儀式用ということもあるが、高床だからその位ないと、部屋から池の全容が見えないということである。と言うのは、横に動く引き戸ではなく、上下が分かれている蔀戸だからだ。上半分は跳ね上げて留めるが、下部はそのまま。おそらく青空と白庭は視野から除かれる。
 部屋に入れないから、本当のところどう見えるのかわからなぬが。

 清涼殿と違って、なんとなく武家的な臭いも感じるので、小堀遠州的発想が組み込まれていそうな気もするが、邪推だろうか。
 池側が正面とすれば西向き。9間以外にさらに2間分の余裕があり、ここに庭から入る南面・北面の玄関用部屋がつくられているようである。使い勝手はよさそうだが、なんとなく解せぬ配置。

 内部は青色調の襖絵で畳敷か。これはまごうかたなき現代的な絵。迎賓用ということか。

■御学問所■
 小御所の北側に並んで同じような建物が立つ。面白いことに、戸が全く違う。こちらは引き違い型。これは武家スタイル。
 江戸幕府は、文化の拠点を王朝風にさせなかったということかな。
 尚、二つの建物の間のスペースで蹴鞠儀式が行われるのだそうである。
 金地の襖絵で、畳敷で床の間等があり、完璧な武家スタイル。絵は儒教的なシーンだと思われる。

■御常御殿■
 御学問所までは、廊下で繋がっているから、公的な建物ということのようである。その北側は、仕切られており門もあるから、私生活地域とされるようだ。
 もとからそんな構造だったとは思えないが、儒教的道徳観を重視した江戸幕府が明確な線を引かせたということかも。御常御殿ではなく、清涼殿で過ごせばよいのだから。
 こちらの庭は、色彩が豊富で生き生きとした感じがする。二条条の黒書院の庭を彷彿させるが、よく考えれば、これは現代の日本庭園と同じではないか。

 ただ、南庭側の風情は紫宸殿に似ている。皇室にとっては、小御所より重要な建物ということだろうか。
 内部は、おそらく、狩野派が私室向きに考えたモチーフで装飾されているに違いない。

■御三間■
 目的がよくわからない建物だが、襖絵にあるような行事を行うためのものだろう。公家以外の参画が必要なもはここで行うのかも。

 と言うことで、宮内庁のビデオを見て、昔拝観した頃を思い出しながら、書いてみた。
 一度は見た方がよいとは思うが、行列で建物の外側だけずるずる歩くだけで、南庭にも入れないのなら、わざわざ行く価値があるのか考えた方がよかろう。

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