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2010年3月2日
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【古都散策方法 京都-その24】
古屏風に親しむ。

琳派人気の時代である。
 前回は、宗達・光悦・素庵の話になったが、小生は、この名前を揃えると、30年以上前に読んだ、辻邦夫の「嵯峨野明月記」の装丁を思い出してしまう。
 歴史小説といえば、“国のかたち”を議論する手のものばかりがもてはやされるが、“本のかたち”の方がより本質に迫っているのではないか。伝統とは何か、美とは何かを考えるには、こちらの方がお勧めである。

 素人がそんなことを言わなくても、なんとなくそんな気分が蔓延しているのが現代ではないか。
 ご存知のように、2008年秋、東京国立博物館で尾形光琳生誕350周年記念の「大琳派展」が開催された。大入りだったそうである。小生は混みあいそうなので遠慮したが。

 この流れは今後も続くだろう。それは、仕掛けられたというより、今の時代に合うからだと思う。閉塞感溢れるなかで、心の奥底に蠢く伝統探しが始まったということ。その端緒が琳派作品巡りだろう。
 従って、これから京都巡りも大流行間違いなし。
 宗達を取り上げたので、せっかくだから、光琳についても見ておこうか。

尾形光琳の作品は東京に集まっている。
 宗達に会うには、京都国立博物館がベストとしたが、琳派という観点で考えると、そうはいかなくなる。と言うのは、どうしても尾形光琳[1658-1716年]拝見となるからだ。

 光琳の作品は絵だけではないとはいえ、やはり金屏風を見ないと落ち着くまい。

 そうなると、代表作「紅白梅図屏風」となりがち。熱海のMOA美術館所蔵だが、行けば何時でも見れる訳でもない。従って、貸し出し公開でもされれば観客殺到間違いなし。まあ、厄介そのもの。
 この絵がなくても、野々村仁清[主活動期:1650-1680年]の「藤花文茶壺」があるし、尾形乾山[1663-1743年]の作品があるから、その陶境に浸ることもできるかも。公開されていれば、再現光琳屋敷も見れるから、「紅白梅図屏風」が見れなくでもそれなりに面白いだろう。

 ともかく、そうそう簡単に屏風絵の拝見はかなわないのである。わかる範囲で光琳の絵のリストを作ってみたが、それほどある訳でもない。それに作品のレベルも様々。京都国立博物館の太公望図を見に行く気にはならないのが実情。
〜光琳の代表的作品を所蔵する美術館〜
-場所- -美術館--作品-
熱海 MOA美術館紅白梅図屏風
東京
[南青山]
根津美術館燕子花図屏風
夏草図
東京
[上野]
東京国立博物館竹梅図屏風
風神雷神図
東京
[上野]
東京藝術大学
大学美術館
槙楓図
東京
[白金台]
畠山記念館躑躅図
禊図
川崎
[川崎大師]
平間寺秋草図屏風
京都
[七条東大路]
京都国立博物館太公望図
京都
[吉田山]
黎明教会
資料研修館
燕子花桔梗図屏風
桔梗図屏風
朝顔図, 梅・ねずみ図
梅図. 椿図, 雲龍図
(抱一「光琳百図」[版画])
奈良
[帝塚山学園]
大和文華館中村内蔵助像
末尾に参考リンク先一覧添付

 もう一つの超有名作品は「燕子花図屏風」だが、こちらも同じようなものである。
 それでなくても、最近は、美術館はたいへんな人出。歩け運動とからんでいるのか、一気に和風回帰現象が発生しているようだ。
 「山種美術館→根津美術館→青山墓地」、「東京藝大美術館→東京国立博物館→上野公園/不忍池→横山大観記念館」、「出光美術館→宮内庁三の丸尚蔵館→皇居東御苑」、「畠山記念館→白金自然教育園」といったお散歩コースができているのかも知れぬ。
 それはそれで結構なこと。
 色々な未術品に触れると、評論家の感覚と自分がかなりかけ離れていることに気付いたりするし。

〜光琳の愉快な水墨画を所蔵する美術館〜
東京
[白金台]
畠山記念館躑躅図
布袋図
東京
[有楽町]
出光美術館蹴鞠布袋図
京都
[七条東大路]
京都国立博物館竹に虎図
 特に、右表のような絵を金屏風と一緒に見ることができれば最高。「蹴鞠布袋図」など、題名を見てわかるように、茶化した“水墨画”そのもの。
 間違えてはこまるが、布袋様は七福神にも登場し、弥勒菩薩の化身とされる信仰対象。それが、こともあろうに、公家の遊びである蹴鞠をするのだ。しかも、その姿はどう見ても、丸々太った稚児。
 知的階層のエスプリそのものであり、飾的な工芸品職人ではないと広言したということ。こここそが、琳派の肝である。
 その点では、京都国立博物館の水墨画、「竹に虎図」も必見モノ。冗談で描いた虎猫でかと思わせる作品。威厳を示す気はさらさらないし、縁起をかつぐ必要もなかろうといった調子である。

 この辺りが、宗達の時代とは違うということでもある。あくまでも縁起担ぎと、伝統的な“雅”にこだわる公家が重要なパトロンでもあったから、そこまでは踏み切れなかったのである。
 宮内庁三の丸尚蔵館の扇子絵の屏風のように、1600年頃の宗達は工芸職人でもあったが、光琳は、その世界から完全に脱皮したのである。

東博と京博で時間をかけて古屏風を眺めると色々わかってくる。
 京都散策と言いながら、東京の美術館の話が多いが、東京で、絶対に見逃せない屏風がある。1500年代のものなので、相当に傷んでいるから、時間をかけ目を凝らして見る必要がある。これは実物に限る。
 それは、東京国立博物館の「 浜松図屏風」  → (C) 文化庁 文化遺産オンライン

〜トーテム系のモチーフ〜
-植物- -鳥--非鳥-
黒松 丹頂鶴(ツル)
鷹(タカ)
雀(スズメ)鳳凰,虎
鹿
南天
牡丹 紋白蝶
鯉,龍,猿,獅子,海老,・・・
〜セットの画題例〜
鶯(ウグイス)鶇(ツグミ)
目白(メジロ)
椿 尾長(オナガ)
雉鳩(キジバト)
時鳥(ホトトギス)
水仙 鶉(ウズラ) 杜若鶺鴒(セキレイ)
雉(キジ) 錦鶏(キンケイ)
燕(ツバメ) 木賊翡翠(カワセミ)
枯芒
芙蓉
四十雀(シジュウカラ) 雁(カリ/ガン)
立葵 孔雀(クジャク)
【花/草】福寿草,藤,蒲公英, 白菫,竜胆, 薺, 撫子, 姫百合, 桔梗
【鳥】鳰鳥(ニオドリ:かいつぶり), 鷺(サギ), 鴨(カモ)
鴛鴦(オシドリ), 山雀(ヤマガラ), 駒鳥(コマドリ)
黄鶲(キビタキ), 頬白(ホオジロ), 磯鷸(イソシギ)
椋鳥(ムクドリ), 千鳥(チドリ), 日雀(ヒガラ)
山雀(ヤマガラ), 青鵐(アオジ), 鷽(ウソ), 紅鶸(ベニヒワ)
河原鶸(カワラヒワ), 入内雀(ニュウナイスズメ)
 「浜松図屏風」といっても、宮内庁三の丸尚蔵館の海北友松[1533-1615年]の作品とは似ても似つかぬもの。
 “通”を任ずる評論家は、探幽より等伯が素晴らしいといったりするそうである。さらには友松も忘れるなといった調子の意見も述べるらしい。たしかに、ありふれた「浜松図」という画題で、さっぱりした構図で、装飾性も優れた絵に仕上げる力があることは確かだから、それはわかる気がする。
 しかし、お勧めの屏風といえば、やたらに鳥や花を詰め込んだ代物の方。バラバラ感は否めない。光琳の世界とは正反対。しかし、それだからこそ、絵の原点の、花鳥画を考えさせてくれるのだ。
 そう想って見続けると、この屏風のただならぬ技法に気付く筈。谷崎が語っていた、金地が生み出す陰翳を含んだ光線とはどういうものかが、感じとれると言ったらよいかも。これは光琳が行き着いた輝きとは全く違う。各部分のモチーフを眺めまわしていると、不思議なことに、そこはかとなく、画面の底から湧いてくるような光に気付くのだ。
 ちょっと拝見では、この屏風のよさは永久にわからないのである。

 つまり、狩野派はこうした美しさを捨てたのである。絵巻物のようにチマチマしたモチーフを一つ一つ見るのはよせということ。
 一方、琳派もそれを嫌った。扇子を一つの世界と見たて、小さいながらも、全体感を重視した絵に仕立て上げたのである。同じ絵巻物でも、全体構想ありき。意匠命という訳。

 こんなことが気になると、京都国立博物館で見るべき屏風も違ってくる。
 ここには絶品がある。これもまた、時間をかけた実物拝見に限る。
 「山水屏風」。 →(C) 京都国立博物館 収蔵品データベース

 “真言宗の密教で潅頂(仏弟子になるときの儀式)を行なうとき、その道場で用いられる”とされる「山水屏風」だ。平安貴族が仏像の傍らに置く屏風として使ったということ。
 これも、じっくり時間をかけて細部を見る必要がある。全体構成ではなく、各部分を眺めていくということ。
 すぐにわかるのは、これは一見中国風だが、真似したのではなく、和風の中国風景であるということ。何が、和風か、これ以上よくわかる作品はないのではないか。

 京都国立博物館の鶴図下絵和歌巻[本阿弥光悦筆]、蓮池水禽図を見る前に、「山水屏風」を眺めておくとよい。
 そして、光琳の一作、虎猫も。これぞ琳派の作品と言う人はいないと思うが。

・・・光琳参考リンク先・・・
 【尾形光琳生誕350周年記念 特別展「大琳派展−継承と変奏−」出品目録 東京国立博物館】
  http://www.tnm.jp/jp/exhibition/special/pdf/200810dairinpa_list_j.pdf
 【京都国立博物館 太公望図】
  http://www.kyohaku.go.jp/jp/tokubetsu/091010/shoukai/05_index_03.htm
 【黎明教会資料研修館 光琳百図】
  http://www.reimei.or.jp/arts/sakuhin/korin/kaiga.html
 【平間寺 秋草図屏風】
  http://www.city.kawasaki.jp/88/88bunka/home/top/stop/zukan/z0115.htm
 【出光美術館HP】
  http://www.idemitsu.co.jp/museum/index.html
 【畠山記念館HP】
  http://www.ebara.co.jp/csr/hatakeyama/
 【アトリエ・イリヤ・スロージャーナル[2009.05.13] 躑躅図】
  http://ilya-slow.jugem.jp/?eid=580
 【東京藝術大学大学美術館 槙楓図】
  http://db.am.geidai.ac.jp/object.cgi?id=908
 【東京国立博物館 竹梅図屏風】
  http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=B07&processId=02&colid=A11966  【根津美術館 燕子花図屏風】
  http://www.nezu-muse.or.jp/jp/collection/detail.php?id=10301
 【MOA美術館 紅白梅図屏風】
  http://www.moaart.or.jp/owned.php?id=820
 【大和文華館HP】
  http://www.kintetsu.jp/kouhou/yamato/index.html
・・・乾山参考リンク先・・・
 MIHO MUSEUM
  http://www.miho.or.jp/japanese/collect/tp0409n.htm

・・・参考にした本・・・
久しく眺めたことのない古い本をあたってみた。1965年平凡社刊の「日本の美術18 宗達と光琳」(水尾比呂志著, 亀井勝一郎他監修)
“・・・中国文化の影響のもとに、平安朝の日本文化が衰微するなりゆきにあった。だから、そのあとに生まれた光悦にとっては、衰え果てた大和絵や失われた王朝文化の優雅さのふるさととして、つねに平安朝文化がかえりみられたのである。”といった解説。
一方、光琳については、“滅び行く町衆の名門の最後の血筋として、新興成金町人の低俗さに我慢がならなかった貴族性。それがかれの作品の筋金である。”といったところ。
ご参考まで。

・・・ついでながら・・・
機会があったら、時間をかけて古い絵巻物を眺めるとよい。ただ、よくある一部だけしか見えないものは時間の無駄。そして対象だが、鳥獣人物戯画のような、絵で内容がわかるようなものではなく、物語が別途設定されているものにすること。当然ながら、話の流れに沿って絵巻物が残っていないと意味はない。話の筋と、詞書の内容について、「註」も必要となる。(和歌の部分が展示されることが多いが、作者の立場や詠まれた状況がわからないと、絵のよさはわからない。素人はこの手の展示品鑑賞は遠慮した方が無難。) なかなか、こうした条件を満たす展示には出会えないが、これからはコピー展示も増えるから、それほど難しいことではなくなるかも。
描かれている人物が大勢とか、ダイナミックな話の筋だと、エイゼンシュタインの手法に則った絵コンテかと思わせるような傑作もあり、なかなかのもの。ただ、新しい時代の絵巻物では、この感覚は味わえないことが多い。例えば、たなびく雲だが、余計なものを隠すだけでなく、それが暗示にもなっていることに気付かされると、その凄さが見えてくる。花と木も埋め草に描かれている訳ではないし、意図的なデフォルメは至るところにある。傷ついているし、細々した描写だからわかりにくいが。
自分の感性を信頼して、ゆっくり見ていると、色々なことがわかってくる。

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