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2010年3月15日
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【古都散策方法 京都-その29】
清水焼の源流を探る。

京都の陶磁器祭りは盛大である。
 尾形光琳の話になったが、その弟の尾形乾山[1663-1743]の方はあまりふれなかった。素人が焼き物の美しさを味わうためには、絵画と違って一工夫必要と考えるからである。
 芸術と工芸という意味ではなく、展示品の中心が茶道具なので、その道の人々の美意識にひきづられてしまい、自らの官能で感じることが難しいからである。

 と言っても、別に陶磁器の世界を堪能するつもりではなく、京都散策を楽しむための企画。
 まあ、一番はお祭りに行くことか。
  → 「五条坂陶器まつり 」 (8月初旬)  (C) 陶器祭運営協議会
  → 「泉涌寺窯 −もみじまつり/窯元大陶器市− 」 (11月)  (C) 京都青窯会協同組合
  → 「清水焼団地陶器まつり 」 (7月初旬)  (C) 清水焼団地

 日程的に無理なら、茶わん坂でというところか。
  → 「茶わん坂のお店マップ 」 (C) CHAWANZAKA

 一年一回の陶器市というにすぎないが、現実の陶磁器とはどういうものかが実感できる筈。ご注意頂きたいのは、五条坂のイベントは小売商型で、残りは窯のイベントという点。窯元のお祭りは全国どこでもあるし、都会なら小売のイベントは見かけるから、特殊な点はなにもない。
 違うと言えば、京都好みが受け継がれている作品や、京都風をどう表現するか苦心した商品が多いということ。もともと、産土が無いし、独特の技法を秘匿していた訳でも無く、陶工の企画力と技量で魅力的なものを作りだしていたのだから、その伝統を受け継いでいると言えないこともない。

 そのせいかは知らぬが、五条坂の祭りは、超有名なので、すごい人出。訪れるならそれを覚悟で。
 説明の要はないと思うが、地場の清水焼の人達が一番力が入るといっても、暖簾商売と土産品商売だろうから、廉価品は期待できまい。しかし、他産地行商が密集して競争することになるから、結構お買い得な商品も多かろう。
 そんなことよりは、若手作家のお店を覗く方が楽しいかも。お値段関係なく、デビュー自体を楽しむ人もいそうだし。

清水焼とは何なのか。
 早い話、現代の京の焼き物といえば、清水焼ということになる訳だ。まあ、それだけでは寂しければ、楽茶碗と伏見人形。
 さあ、そうなると、清水焼とは尾形乾山の流れを汲むものと言ってよいのか。小生は全く違うと見ている。観光パンフレットなどでは、色絵の伝統を生かしながら、様々な技術を使っているとされているように、これが清水という特徴は無いのである。陶工それぞれの自己主張はあるが、集団での主張はないということ。
 なかなか面白い説明だ。

 それに、この五条に河井寛次郎記念館が存在するから、つい“なんでもあり”の世界だと思ってしまう。
  → 「河井寛次郎記念館」のホームページ

 しかし、一寸違うのではないかと思う。外野としては、ここは民芸運動より、魯山人の食器が似合う地だと思う。
  → 「何必館・京都現代美術館 」のホームページ

 民芸と言っても、貧しい民衆が使うチープな使い捨てるしかないものではないし、当然ががらその作品は大衆的な価格ではない。魯山人はそこを痛罵し嫌われたらしいが、恣意的な曲解をあえて行ったとも言えそうだ。
 民芸の真髄は、農村の巨大な庄屋の大広間で使うような、素朴で大胆な大皿。同じものを現代の陶芸作家が作れば、超高級品になって当たり前。皿に釉薬をどっぷりとかけ流したりすればどうなるか。原料の木の灰を作るだけで、下手をすれば家が建つ金額になりかねまい。そういうものということ。それが自然な姿かということである。

 魯山人はあくまでも高級路線。それはそうだ。求めているのは美食であり、素材から始まり、食器までとことんこだわるのは当然。陶磁器の色や形は、企画した食のシーンで決まるだけのこと。
 本来の清水焼路線はこれではないか。

残念ながら、京都では野々村仁清が見れない。
〜仁清の代表的焼き物
-モチーフ--所蔵-
■茶壷■
MOA美術館
月+梅東京国立博物館
芥子出光美術館
山寺根津美術館
若松文化庁
吉野山福岡市美術館
吉野山静嘉堂文庫美術館
http://www.moaart.or.jp/owned.php?id=1076
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId
  =B07&processId=02&colid=G40
http://www.fujitv.co.jp/event/art-net/
  go/951_large01.html
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/collection/
  detail.php?id=41062
http://bunka7.nii.ac.jp/SearchDetail.do?
  heritageId=202230
http://www.fukuoka-art-museum.jp/jc/html/
  jc05/01/iroeyoshino.html
http://www.seikado.or.jp/sub030303.htm
■鳥型の香炉■
きじ石川県立美術館
おしどり大和文華館
http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/syozou/
  sakuhin_list_sakka.php?Id=960
http://www.kintetsu.jp/kouhou/yamato/
  collection/toji.html
 これでおわかりだろうか。「寛次郎v.s.魯山人」は、実は京都の特質でもある。これを理解した上で、焼き物を拝見するとよい。

 それには、京焼の祖、野々村仁清の作品を見ること。小生は、国宝の藤花文様の茶壷は何度もみたが、実に日本的な素晴らしい作品である。
 初めて見た時は青磁に比べるとつまらぬものにも思えたが、この作品の凄味は様々な角度から眺めるとわかってくる。もちろん壷の上からも。この立体絵の感覚は滅多に味わえるものではない。それこそ、ひょっとすると、壷の中からの眺めまで考えたのではないかと思ってしまうほど。

 これはどう考えても、利休路線に対する真っ向からの挑戦。継承しているとしたら、黄金の茶室のセンスかも。侘び茶的なものをすべて捨て去り、伝統の色を使って、華やかな意匠に仕立てることで、一番高貴な茶道具である茶壷を作り上げたということ。
 言うまでもないが、手捏ねの歪みなどもってのほか。均整のとれた「形」そのものの純粋な美しさを、轆轤を使うことで実現したのである。これみよがしの感じまでする。
 従って、仁清を見るなら、大茶壷。大きさから見て、茶道具というより室内調度品に近い。蓋カバーを紐で縛るための穴はあるが、本来の用途として使われていなかった可能性もあるかも。壷としても鑑賞に耐えるものを作りたかったのだろう。
 そんな感覚で見ると面白かろう。

 ただ、不思議だが、仁清の茶壷は京都では見れない。利休派ではないからだろうか。

勝手に清水焼の特質を考えてみた。
 そんな対立を考えると、清水焼の位置が読めてくる。

 千家家元の好みから離反するという流れを作って地位を確立したのではないか。特別にしつらえた茶席でいただくための道具としての陶器ではなく、日常的にお茶を頂くための陶器を作り出したということ。仁清の色絵の伝統を生かした煎茶用の器が橋頭堡を築いたのではなかろうか。

 そして、その流れと表裏一体だが、磁器化に注力したのだと思う。なんとしても、美しいフォルムの薄物を作り出したかったということ。
 それも、もちろん仁清流。仁清の茶壷のフォルムが美しく感じるのは、大きさの割りに薄手に映るから。実際薄いのかは触ったことがないからわからないが。それと、壷の曲線の妙味もある。要するに、繊細さを感じさせるように設計されているということ。縄文土器のような“土”の質感を排除したかったのだろう。

 要するに、仁清の思想を受け継いだということ。その核は、陶器を日常生活のなかでの装飾品に仕立てあげること。しかも、華美になりすぎず、上品さを醸し出す必要がある。そのバランスは難しい。
 そして、なににもまして重要なのは、作者を明示することで「作品」に仕上げた点。民芸運動の大皿作家 浜田庄司がサインを嫌ったのとはあまりに対照的である。

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