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2010年3月30日
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【古都散策方法 京都-その32】
嵯峨野を頭で追う。

寂光院に諸行無常を想う。
 静寂な地にある、小ぢんまりした草庵のような尼寺の情緒というものはなかなかのもの。華道と尼寺の話をしたから、女性好みと思われるお寺をもう少し考えてみたくなった。
 そうなると、尼寺リストでいえば、なんといっても、“建礼門院と阿波内侍”の寂光院だろう。
 大原の里は、昔は鄙びた場所。と言ってもそう遠い訳でもなく、京大から普通の自転車で遊びにこともある。
 お寺の参道近くにお土産用の柴漬け屋さんはあったものの、三千院とは違い、周りは田舎で道には目立つ道標さえもなく、平家物語 灌頂巻 大原御幸の一節を彷彿させるものがあった。もっとも、行幸は山側の道らしいが。
    甍破れては 霧不断の香をたき
    柩おちては 月常住の燈をかかぶ

 もちろん当時からグループ旅行者も少なくないのだが、そうした人達は、チラリと眺めたらすぐに引き返すだけだから、人の波ををやりすごせばすぐに森閑とした雰囲気に戻ったもの。
 それが何時の頃か、観光客だらけ。さらに、2000年には。目的も犯人も不明な放火で、すべてが灰に。棚に鈴なりだった小さな仏様は無事だったらしいが。
 まさに、諸行無常である。

 建物は再建されたと聞くが、新しい建物を見に行ったことはない。
 この地域には温泉やら、なにやら色々あるらしく、観光自体はそれほど大きな影響は受けていないようだ。考えてみれば、原文を読むと、庵はかたはらの方丈。現在のように寺の主体ではなかった可能性もある。
 建礼門院観光施設に転じれば、不埒な輩の標的になるということか。

平家物語の世界の魅力に惹かれる人は多い。
 ・・・などと考えながら尼寺リストを見ていたのだが、平家物語でつい祇王を思い出した。
 そういえば、祇王寺が入っていないではないか。札所ではないということか。
 そこは楓の山だから、それこそ“秋はさぞかし”の世界で、どうせ雑踏だろうから足を伸ばしたことはないが、女性には人気があるのではないか。
 巻第一 の歌はあわれである。
    萌えいづるも 枯るるも同じ 野辺の草
     いずれか秋に あわで果つべき

 このお寺は小じんまりしていて雰囲気がありそうだ。尼寺の維持はことのほか難しそうだから、名跡を復活させたものではないかと思うが、祇王とその母、祇女の墓といわれる宝筐印塔があるそうだ。流石、京都。

 その近隣に滝口寺があるのも面白い。
 ご存知、重盛の家臣 斉藤時頼(滝口入道)が出家したところ。中宮建礼門院の侍女 横笛を愛してしまうが、身分が違いすぎると引き裂かれた結果。横笛はあくまでも慕うが、叶わず、出家の後に入水。巻第十 横笛嵯峨の往生院(滝口寺)である。
    そるまでは うらみしかども あづさ弓
     まことの道に いるぞうれしき  入道
    そるとても なにかうらみむ あづさ弓
     ひきとどむべき こころならねば 横笛
 駆け落ちする勇気もなく、誠の道などと格好つける入道を馬鹿にしたくなる話だが、そこをじっとこらえ、一途にただただ愛し続ける横笛の姿が心に染みるということか。
  [平家物語を今すぐ思いだしたい方]→ 「平家物語全文現代語訳」 (C) 風の音

 小生には、横笛を偲んで、乙女が旧跡を散策するシーンは考えにくいが。
 しいて言えば、とはずがたり 巻一的な気分か。
    常よりも ものがなしくて、あるじの前にゐたれば、
    「かくほどのどかなること、またはいつかは」などいひて、
    心ばかりは つれづれをも慰めんなど 思ひたるけしきにて、物語して、
    年よりたる尼たち呼びあつめて、過ぎにし方の物語などするに、
    前なる槽に入る懸樋の水も、凍りとぢつつ ものがなしきに、
    むかひの山に薪こる斧の音の聞ゆるも、昔物語の心地してあはれなるに、
    暮れはてぬれば、御あかしの光どももめむめむに見ゆ。

女性人気の地は、なんといっても嵯峨野か。
 こんな気分で散策するなら、嵯峨野ということになりそうだ。

 平家物語で一番ピッタリなのは巻六 小督となろう。
 建礼門院徳子の侍女で、宮中一の美人、かつ琴の名手の小督を高倉天皇が寵愛するようになったお話。恋人だった冷泉大納言隆房は、手紙さえ受け取ってもらえないので落胆。
    たまづさを 今は手にだに とらじとや
     さこそ心に おもひすつとも   隆房
 中宮も、隆房の妻も、平清盛の娘。ただ事で済まされる筈がないから、小督は行方を眩ます。しかし、恋に生きる天皇は落胆の境地。どうしても合いたいと、笛の名手に琴の音を追わせて発見。初秋の嵯峨の月夜に琴曲“想夫恋”が流れていたのである。叙情の極致。
 連れ戻して、宮中で匿ったが、娘が生まれて清盛に知られる。当然、追放され尼に。(その後、徳子は安徳天皇を生むことになる。)
 その後、高倉天皇は病に陥り若くして崩御。清盛と覇権を争う後白河法皇は、周囲の人々に次々と先立たたれて、悲しみに暮れる。
 ・・・という有名な話を記念して、渡月橋の上流畔に川でもないのに、探していた馬を止めたとされる「琴聴橋」(車折神社嵐山頓宮前)が作られている。伝小督隠棲の地には、お墓でもないのに石塔もある。まあ、平家物語観光コースといったところか。
 尚、お墓は清水寺から奥に入った清閑寺ではないかとされている。小生は行ったことはないが、寺名からして情緒的。ここには高倉天皇の御陵があり、傍らに小督の供養塔があるそうだ。お寺が勝手にそんなことができるとは思えないから遺言では。

 残念ながら、嵯峨野は、小生にとっては余り知識がない地域。大沢池は北嵯峨というし、どこからどこまでが該当するのかよくわからない。尼寺(第31回)で取り上げた曇華院は嵐山駅二ッ前の鹿王院駅下車だが、住所は嵯峨北堀町だから入るのだろうが、奥嵯峨まで入れるとずいぶん広い。
 まあ、素人的には、渡月橋から北の山麓側という感じ。文字が山並みの感じだし、この辺りが主と考えるべきか。
 もともと、嵐山・渡月橋は(第14回)関西の一大観光地。行楽シーズンはとんでもなくごったがえす。その時期を外して、山麓側の小径に入れば比較的静かということでもなさそうな気がするので避けてきたこともあり、まあ、ほとんど素人。

 ガイドブック的に考えれば、以下のようなコースからお好きなところをピックアップというところだろうか。再建したお寺が多い感じがするが、これだけ揃えば壮観。
 渡月橋→
 [東側]→臨川寺(夢窓疎石入寂)→
 [西側]→天竜寺とその塔頭(妙智院、慈済院、宝厳院)→
 →野宮神社(斎王の神社)→竹林の小径→大河内山荘(大河内傳次郎の別荘)→
 →常寂光寺→落柿社(向井去来の庵)→
 [山麓]→二尊院→
 [東側折れる]→宝筐院→清涼寺(嵯峨釈迦堂)→厭離庵[尼寺]→
 →滝口寺→祇王寺[尼寺]→壇林寺門跡(壇林皇后のお寺の再建)→鳥居元町→化野念仏寺→嵯峨鳥居本→
 →愛宕念仏寺

 小生は昔行ったきりご無沙汰だし、そもそも入った箇所の方が少ない。覚えているところといえば、常寂光寺の山門。角柱の格子塀と一体化しており、余りみかけないタイプだったから。
 ついでといってはなんだが、境内図を見ていたら“女の碑”があるのに気付いた。
  → 「境内のご案内」 (C) 常寂光寺

 調べると、故市川房枝女史と独身婦人連盟が常寂光寺の支援のものに建立したものだった。・・・「女ひとり 生き ここに 平和を 希う」(1979年)
 共同納骨堂があるようだ。
 このお寺には時雨亭跡(藤原定家卿山荘跡)もあるし、小倉山の魅力ということだろうか。あるいは、塀が無いお寺という、しがらみの無さからか。

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