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2010年4月9日
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【古都散策方法 京都-その34】
体質を見抜く。[土着感覚濃厚な祭]

何故、京都に行くのか、たまには考えよう。
 京都散策シリーズも34回目になってしまった。閉塞感溢れる時代になると、皆、古き日本が気になり始めるが、よりどころになる文化を求めることになるが、そうなると京都以外に思いつかないだろうから、なんとなく京都という流れが生まれるのは致し方ない。
 それはそれで結構なことかも知れぬが、こうした流れに乗り、“古都”気分を味わうのはお気楽で楽しいかも知れぬが、それでよいのかね。
 頑張れば成果が得られる時代の、多忙のなかから時間を見つけて、生活を振り返るとか、リラックスのための散策ならよいが、そうでなくなってしまってはいないか。
 まあ、そう言われるのがお嫌いな人だらけだから、たいていは自分探しの旅と称する訳だが、それなら何故京都なのということである。

 小生は、散策を通じて自分の感性を磨くとか、“古都”の本質を抉り出すべく頭を使うといった、知的活動を高める散策をお勧めしたくて書いているのだが、少しはお役に立っているだろうか。

 京都の素晴らしさを語る人はいくらでもいるが、京都駅と京都タワーが嬉しい訳ではなかろう。寺社や庭園など、全国どこにでもあるのであり、特に京都の寺が古い訳ではない。
 本山や家元の地ではあるが、メンバーでないのに嬉しさを味わえるものかな。工芸にしたところで、地方の生産地の方が盛んで技術が残っているかも知れないのだ。古い町並みにしたところで、京都以外にもある。食に至っては、東京ならほとんどなんでもある状況。

三大祭の意味を考えてみると面白い。
 とはいうものの、京都のお祭りは確かに信仰そのもの。

 三大祭といわれる、葵祭、祇園祭、時代祭を見ると面白いことに気付く。まあ、常識的には、日本の祭りといえば氏神様というか鎮守様と呼んだらよいのか、氏子として参加するということになるが、錯綜して映るのが面白いところ。

 特筆すべきは時代祭。これは、平安遷都1100年記念行事が発祥。信仰とは無縁の市民行事で済ますだけでもよかったと思うが、それではすまない土地柄なのだ。
 よくある観光地の集客用イベントの風俗行列となんらかわりは無いのだが、そのような姿勢でお祭りを開催するなどプライドが許さないということでは。
 なにせ、集客には効果がありそうな新撰組登場でさえ、ひと悶着。経緯の文書が公開されているのでご紹介しておこう。自己主張が強い人々の集まりであることがよくわかる。
  → 「時代祭参加への初動(2)」 京都新選組同好会史

 この体質、東京とは好対照。
 京都では、高円寺阿波踊りのような、土着感が湧かないものは嫌がられるのは間違いなさそうである。表参道のセントパトリック・デー・パレード(3月17日)やスーパーよさこい祭などもっての他では。浅草寺近辺でのサンバカーニバルなど唾棄すべきものとされかねまい。

 桓武天皇による遷都の日(10月22日)に挙行されるのだが、カレンダーで見ると鞍馬の火祭りの当日でもある。これは、都の平安を願い、御所から由岐神社を移したことの記念行事である。要するに、京都に逆らう異人(鬼)退治を都をあげて行った訳で、これを歴史に残すための儀式である。
 時代祭に、朱雀天皇の頃と全く同じ感覚が埋め込まれているような気になるから不思議。

 そして、もう一つ注目すべきは、誰が見てもわかる、葵祭と祇園祭のセンスの違い。
 前者は公家の格調を重んじるタイプ。確かに、生活感は薄い。
 一方、後者は町衆の意気を感じさせるもの。

 確かに、それはその通りだが、分裂している訳ではなく、本質的に違う祭を分担しているだけでは。
 葵祭とは、あくまでも加茂神社の祭。だが、この神が遷都前から京都全体の地鎮を担ってきたと見なされているだけのこと。その祭祀を公家がまかされるのは至極当然。
 これに対して、祇園祭は全く違うもの。だいたい、名前が釈迦の祇園精舎だし、もともとの信仰対象は仏教に絡む外来の疫神。加茂とは違い、神社と呼べるものかよくわからぬ。
 両者は全く異なる由緒である。(第15回)

 ともあれ、祇園祭は、疫病退散のために、練り歩いた伝統からきたもの。公家である必要は無いというより、その方が適切。と言うのは、悪さの元凶とは怨霊で、その発端は為政者の悪行だからだ。・・・京都の街を怨霊だらけにしておいて、もっぱら町衆がその被害をこうむるのはたまらぬ。町衆の力でなんとかせねばというのは理屈。

 問題は、怨霊に対処する方法が厄介なこと。丑寅(角と虎のパンツ)の方向に出没しがちな酒が弱い(赤顔)荒っぽい所業の異人達(鬼)を退治するなら、都外だから追い払えばよいのであり、そう難しくはないが、なにせ、怨念はこの地で生まれたのである。地にいついているから退散させることはできぬ。
 従って、悪霊を喜ばして、悪さをしないようにするしかあるまい。町衆主体で大騒ぎというのは、ある意味当然。
 この手のお祭りは、おそらく京都ならでは。
 神輿を繰り出して、神に感謝するような類とは違うのである。

 ただ、気になる点が一つある。
 京都全体の鎮守様なら、遷都前からありそうな加茂か松尾となるのが自然である。西側は結局都の機能を果たせなかったのだから、加茂を選ぶことになるのはわかる。
 しかし、こと怨霊に関しては祇園社にこだわる必要はなさそうである。上/下御霊、今宮、天満宮も同じように怨霊に対応しているからだ。外部から見れば、本来は疫神社でしかなさおうだし、やすらぎ祭の方が原型を留めているように映ることもある。それに、氏子制度があるから、地域毎の祭礼でもよさそう。それを都全体で執り行う体制にしたのは、一重に祇園一帯の力ということかな。

 尚、葵祭の頃に行われる上御霊神社の祭祀と比べると面白い。こちらは、牛頭天王信仰はないようで、純粋なご御霊信仰のみ。霊を迎えるから、おいで祭(神幸祭)と還幸祭の宴は重要だろうし、御所車や神輿で御所を巡幸するのは自然な慣わしだったろう。貴人の霊だから、町中を神輿で練り歩いたりするものではなかろう。
 推測の域を出ないが、出雲を見習って、御霊はお社のなかで静かにしておれという神社ではないか。年に一回は、ご馳走するし、御所にも呼んであげるからといった調子。ただ、カレンダーを見ると神無月の迎え火の行事がないから邪推か。

 ということで、独断と偏見でまとめれば、・・・。
〜京都の民の体質〜
- 1 - 土着感覚  地についた伝統でなければ収まりが悪い。
- 2 - 身分峻別  分相応をわきまえない信仰は落ち着かない。
- 3 - 怨念の地  権謀術数からくる祟りなどたまったものではない。

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