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2010年4月15日
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【古都散策方法 京都-その35】
体質を見抜く。[受け継がれる縁]

京都を、格段に信仰に篤い地と見るべきではない。
〜縁日/市の類〜
-名称- -京都- -東京-
天神
[25日]
北野天満宮 湯島天満宮
亀戸天神社
辰 (竜) 貴船神社
卯 (宇佐顕現) 上賀茂神社
七福神
[10/20日,甲子,寅]
<別途検討> [各地域]
庚申 (帝釈) 金剛寺 柴又帝釈天
亥 (摩利支) 護王神社 アメ横 徳大寺
東山 三島神社 水天宮
弘法 (大師)
[21日]
東寺 西新井大師
(川崎大師)
達磨 法輪寺 深大寺
護摩 (不動)
[25日]
狸谷不動院
北向山不動院
高幡不動
目黒不動
高尾山 薬王院不動堂
閻魔 千本えんま堂 深川 法乗院
金比羅 [10日] 安井金比羅宮 虎ノ門金刀比羅宮
薬師 [8日] 因幡薬師 新井薬師
観音
[18日]
今熊野観音寺
六角堂
革堂
浅草寺
地蔵 [24日] [各地区] 巣鴨 高岩寺
酉 (日本武尊) 鷲神社
浅草 長国寺
目黒大鳥神社
新宿 花園神社
荒神 清荒神 護浄院 品川 海雲寺
八幡 石清水八幡宮 富岡八幡宮
穴八幡宮
 3大祭の話をしたが、それは特別なイベントと見ることもできる。もっと日常的なレベルで見た方が民の感覚がよくわかるという意見もあろう。と言うことで、縁日や市の類をピックアップしてみた。折角だから、東京と比較して考えてみようか。

 ご覧のように、東京も、寺社参りは結構盛んなのではないかという感じがする。
 と言っても、信仰姿勢には自ずと違いはああろう。

 東京の場合、普段の生活に寺社が絡むといった感覚を持つ人は稀ではないかと思う。それは、生活感の薄いビジネス街が余りに広いからだし、住宅地とは山の手や郊外で、そこはコミュニティの歴史が浅すぎる。
 菩提寺は田舎で、たまたま住んでいる辺りの神社を氏神様にしている人の割合が高いということ。
 一方、京都では、多少の移動はあるものの、ずっと町に住んでいる人が多かろう。
 しかも、京都は寺社だらけで、ほとんどの人は、そのただなかに住んでいる。宗教活動を無視した生活は無理である。それは信仰深いといえば、その通りだが、それを民の特徴と考えて意味があるものだろうか。

 それを前提にして、もう少し考えてみよう。
 京都の街には必ずと言ってよいほど小さな祠の地蔵堂がある。流石京都だ。  しかし、東京にも、ところどころにすぎないが、地蔵様や庚申塚を見かける。もしかすると、空襲で焼け野原になる前は同じようなものだったのではないか。
 そう思うのは、安曇野のように、街でなくても道すがらに石仏があったりするのが日本だからだ。それに、東京の古い町を歩けば、お稲荷さんの祠が建物の影に隠れたような場所に祀られていることに気付かされることは少なくない。

 京都は信仰に篤いと単純に考えるべきではないと思う。

お世話になった寺社への信仰心はずっと続くのかも。
 ただ、表を見て気付くのは、考え方が違いそうなこと。
 上御霊神社を“ご霊さん”と呼ぶそうだが、同じ言い方に“弘法さん”、“天神さん”がある。両者とも縁日の市が有名で、特に年始と年末の市が超人出。

 東京も天神、大師は有名ではあるが、そこまでとは言い難い。それは、ご利益で分散する傾向があるからではないか。
 京都も同じといえば同じかも知れぬが、この二つがスーパースター的な存在に映る。よく考えると、確かに、京都の歴史を考えると、その存在感は大きかった。  いくらご利益があるといわれても、他の信仰で代替するということはできないということではなかろうか。  それがわかるのが、“荒神さん”だ。竈の時代にお世話になった神への信仰はずっと続くわけである。  東京にもその信仰は入ったようだが、影響力はほとんど感じられない。竈の時代ではなくなったからではないか。

京都の「市」は信仰と実生活が結びついていそうだ。
 そうそう、“弘法さん”と“天神さん”の市で考えさせられる点がもう一つある。なんとなく東京の縁日とは違う感じがするのである。

 東京はどこにしても、縁日の出店にそう大きな違いがない。それは、テキヤと呼ばれる出店専門業者が縁日を回っているにすぎないからだ。30分で組み立てができる6尺のお店が並ぶのだが、流行廃りはあるものの、基本は食べ物屋とゲーム。このため、昔は、子供が縁日に遊びにいくのを嫌う家庭も少なくなかった。
 京都の“市”の雰囲気はこれとは違うのではないか。もちろん、エンタテインメント色は濃厚だが、あくまでもそこは商売の場。その辺りが生活に溶け込んだ信仰が生きていると見なされる由縁でもある。

 もちろん、東京も、江戸の風習を受け継ぐような商品を売る「市」が無い訳ではない。浅草寺の羽子板市・ほおずき市や、植木市(浅草富士浅間神社)、朝顔市(入谷鬼子母神)、べったら市(宝田恵比寿神社)がある。いずれも、ご利益を求めるための商品とは違うが、京都の「市」とは意味が異なる。

 東京であれば、江戸の情緒ある風習とされれば流行る。このことは、飽きられて廃れることもあるということ。それは当然で、有名な縁日に集まる人の大半は氏子ではないし、信仰に惹かれて来た人も少数派。ご利益半分、気晴らし半分、といった感覚だろう。
 あくまでも、個人的な期待感からの参拝にすぎない。

 京都ではこうはなるまい。
 古き時代の情緒を頭で楽しむといっても、実際、寺社だらけの町に住んでいるからだ。
 おそらく、縁日や市に行くことは、幼き日々の自分の家の姿そのもの。昔の情緒に浸ると言うより、幼かった自分と、家庭が守ってきた風習が目に浮かぶと言うべきだろう。
 つまり、自分で描いた絵巻物のワンシーンを眺めるようなもの。その絵の底流には、親が風習を通じて自分に伝えようとしていた信仰心がある筈。それを思い出してしまえば、そう簡単にこの習慣を捨てられなくなるのでは。

 推測にすぎないが、東京はあくまでも縁日でしかないが、京都は古代からの市が続いているということかも。経済学を齧ればわかるが、取引とはそう簡単なものではなく、そこには互いの信用の絆が必要である。
 日本の場合、信用を担保するものは神仏に対する“誓願”だったのは間違いない。神に誓って紛い物ではないと表明して初めて取引が成り立つのである。護符とは、その商行為に絡んだ印紙のようなものだった可能性も捨てきれない。
 その習慣を今に伝えているのが、“弘法さん”と“天神さん”の市ではなかろうか。

 もちろん、京都は身分制社会であり、慣習と一言で言っても、育ってきた環境で千差万別な筈。しかし、共通項はあるだろう。それが、“荒神さん”だったり、“終い弘法”では。
 京都に住み続けるつもりなら、公家だろうが町衆だろうが、親が培ってきた「縁」を、自分が勝手に切ったりする訳にいかないから、こうした慣習は続くということ。
 それが京都の民の信仰の本質ではないだろうか。

 ということで、独断と偏見でまとめれば、・・・。
〜京都の民の体質〜
- 1 - 土着感覚  地についた伝統でなければ収まりが悪い。
- 2 - 身分峻別  分相応をわきまえない信仰は落ち着かない。
- 3 - 怨念の地  権謀術数からくる祟りなどたまったものではない。
- 4 - 縁の伝承  親の習慣を粗末に扱う訳にはいくまい。

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