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2010年6月3日
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【古都散策方法 京都-その40】
体質を見抜く。[口外無用]

鴨一族の扱い方を眺めると色々とわかるかも知れぬ。
 京都の人達は古事記にこだわっているのではとの勝手な主張をしてみた。(第39回)
 これが、当たっているのかはわからぬが、部外者が葵祭を眺めているとそんな気になってくるのは確か。ここは、わかりにくいので、もう少し説明しておこう。

 葵祭のご祭神は鴨一族の祖先の神々。もちろん、御所の北東部を流れる川の一帯を開拓していたということで、遷都に当たって功績があったのはわかる。
 しかし、それだけ。祭祀以外に特別な活動をしていないのだから、鴨氏の祖霊だけは特別扱いということになる。その理由は一体なんなのか、大いに気になるではないか。 なにせ、斉王を出した上、大々的な勅使の行列まで行なうのだ。そこまで必要ということ。

京都全体で葵祭を行う理由が見えた気がする。
 もちろん、鴨一族が京都の開拓をいち早く行っていたという点で、尊崇するという話はわからないでもない。しかし、それは京都盆地全体の話ではなかろう。それに大土木工事は、多分、秦一族が請けた筈。嵐山に大堰を作ったほどの技術力を持ち合わせていたのだから。

 にもかかわらず、源氏物語のシーンで有名なように、都全体が葵祭を重視していた。
 だが、少し調べると、理由は単純そのもの。
 鴨氏は極めて重要な役割を果たしていたからだ。下鴨神社の境内に湧く水が都の水の源だという。地下水を取り仕切る神ということ。
  → 尾池和夫: “京都の地球科学(一一四)巨大な水がめ” 俳誌「氷室」 (2003年10月)
 鴨脚氏の庭には御所につながる井戸があるそうで、要するに、その井戸の水位の変動が、御所の井戸と連動しているのだろう。もしそうなら、京都は盆地だから、それこそ全域の井戸や池の水位と連動している可能性もある。
[ご注意: 鴨脚家庭園は私邸内にあり名勝に指定されているが, 観光地ではない.]

 今でも京都盆地の魅力は井戸水と言われているくらいだ。琵琶湖の水の水道水なと比較すべくもないのは当たり前だが、確かに京都の井戸水は美味しいと思う。当然ながら、昔から住んでいる人は百も承知だから、井戸だらけで、おそらく何本あるのか誰も知るまい。(産業用は下水道料金算定上全数捕捉しているだろうが、家庭がすべて申告しているとは思えないという推測に過ぎないが。)
 この状況で、井戸の神様を粗末に扱える訳がない。盛大に祀るのは当たり前。

 ちなみに、こんなことさえ、部外者が知るのは大変なのである。
 下鴨神社の「水」と言えば、禊と御手洗団子の話ばかり。何れかの本には書いてあるのだろうが、そんなものをじっくり探していられる訳がない。
 ここら辺りも、京都の一大特徴。本当か聞いてみれば、うん、そんな説もあるといった返事で終わること必定。色々と知っていても、肯定も否定もしないし、絶対に余計なことは言わないのである。

鴨脚家のことは余り書かないのが礼儀のようだが。
 実は、井戸のことを知ったのは、たまたま。鴨氏の祖霊の祭祀を担う社家の情報を眺めてみたくなって検索したから。
 その家系の古さはピカ一とは昔から聞いていたし、亡くなった先代のお写真だけでも、特別な家系の雰囲気は感じる。だが、興味はその程度だった。
 そうなるのは、方丈記を学ぶせいでもある。下鴨神社の社家に生まれた鴨長明は、処世術が下手なのか、出世できず、出家遁世。しかし、俗念は捨てられないと吐露する告白記を読まされても、それほど面白いものではない。・・・
しづかなる曉、このことわりを思ひつゞけて、みづから心に問ひていはく、世をのがれて山林にまじはるは、心ををさめて道を行はむがためなり。然るを汝が姿はひじりに似て、心はにごりにしめり。

 その社家が、地下水を司る神職だったとは今の今まで知らなかった。
 ただ、そんな重要な役割を担う神社というだけで、鴨脚家が大切にされているというのも、どうも解せぬ。

 と考えて、家名を調べると、それ自体にも意味があるのだ。
 出征にあたって立ち寄ったお庭で詠まれた御製から賜ったものだったのである。どうりで、イチョウと変わった読み方になる訳だ。・・・
[歌を意訳してみた.] 銀杏(公孫樹)の高木を仰ぎ見ると、黄葉(加反殿:カエデ)した葉はまるで、港に集まる鴨の足(脚)のようだし、風でそよぐ音は馬の声のごとし。庭を雲のように覆う膨大な数の銀杏葉は、沢の楓そっくり。苔むす沢のように繁栄しているこの木のように、“ことほぎ”の鴨家にも栄えあれ。

 政治的に重要な地位を占めているのでもない、神職一途の家に天皇家がどうしてここまで入れ込むのか気になるではないか。
 そう、この理由もどこにも書かれていないのである。せいぜいが断片的な歴史の記載だけ。色々な推定があってもよさそうなものだが、そういうことはおそらく下世話。

Implication
 と言うか、余計なことは言わないのが狭い社会で生きていくための最善策とされているのだと思われる。東京のセンスからすれば、都会なら、思ったことを発言したところでたいした影響などなかろうと勝手に思うが、そうではないのだ。
 京都は都会だが、土着タイプの人々が住んでいるということだと思われる。そこで生きる知恵は摩擦をできる限り避けること。百万都市だが、そこらじゅう知り合いだらけという感覚が抜けないのではないか。
 例えば、社家といっても、その知り合いは様々な家々。職業も、思想信条も雑多だろう。100人とお付き合いがあるとしたら、・・・。100人x100人x100人=百万人だ。見ず知らずの人でも、それは知り合いの知り合いの知り合いとも言える。下手なことを言って心を傷つけたら、それは回りまわって自分に降りかかってかると考えるのは自然なこと。
 万葉集を読めばわかるように、古代から、人々の交流は身分を越えていた。京都もおそらくそうだろう。天皇家より広大なお屋敷に住む人もいれば、京職人の長屋で暮らす方もいても、土着感覚を共有しているから、紐帯があるのではないか。
 葵祭はその臍ということでは。

 ということで、独断と偏見でまとめれば、・・・。
〜京都の民の体質〜
- 1 - 土着感覚  地についた伝統でなければ収まりが悪い。
- 2 - 身分峻別  分相応をわきまえない信仰は落ち着かない。
- 3 - 怨念の地  権謀術数からくる祟りなどたまったものではない。
- 4 - 縁の伝承  親の信仰を粗末には扱う訳にはいくまい。
- 5 - 混沌堅持  商売繁盛は皆で謳歌したいもの。
- 6 - 霊と共存  この地の霊と共に生きていく。
- 7 - 信心第一  信心こそ命。
- 8 - 最古との自負心  古事記の世界を護る。
- 9 - 口外無用  みだりに由緒を語らない。

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