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【古都散策方法 京都-その41】 体質を見抜く。[潤色放置]
〜 鴨神信仰は錯綜しており、調べると、頭が混乱してくる。 〜
古事記のこだわりと、口外無用体質が見える話をした。(第39/40回)
だが、正直なところ、書いていて納得感がどうも今一つ。
例えば、神饌をとっても、どうもわからず。
えらく豪勢で、供える神が重層化していそうだし、米文化とは思えないものまであることはすでに述べた。
しかし、それだけではない。
京都は山城と呼ばれている地域だし、古事記の葛城も山のなかでおよそ海とは遠い。しかも、葵祭の核は山への神の降臨。ところが、神饌の中心は魚介類で、海人の氏族の祭祀としか思えない。唯一、“山芋”だけが山の幸らしき食物。
・御箸+「御飯,御汁,御塩,御最花,御餅」+神酒+「干鯛,打鰒,鱒,塩引,鰆,海老,あゆ,ごまめ」
・御箸+「まがり,ぶと.昆布.長芋」+神酒
・「おこし,州浜,かち栗,吹上」
・「鰹,小鯛.鯖,鯵,鮒」 [國學院大學伝統文化リサーチセンター資料館蔵 加茂祭神饌模型]
それに、勅使行列とは“お祓い”を受けにいくものでもありそう。鎮護国家という訳ではなそうだ。祭の祓具には金属のヒトガタ(人形)があり、罪や穢れの類を鴨氏祖霊の神々にはらってもらう儀式なのでは。
そんなことを知ると、葵祭の開催時期も意味深。春に咲いた花が散り、花の霊力が失せたのと同じように、ヒトの生命力も弱体化してきた頃。神霊から力を頂戴するための祭祀ではないか。
そうなると、鴨氏の威力の根源とは何なのか、ますます気になってくる。
古代の葛城辺りの神の系譜に繋がる鴨氏の祖神で、京都盆地全体の水の神としても尊崇されており、それに関係する様々なご利益期待の参詣が多い神社と、まとめたいところだが、そんな単純な信仰とはとうてい思えないのである。
〜 ともあれ、古事記が気になる。 〜
ということで思い直して、古事記を再度眺めてみると、ハタと思い当たることあり。
10代崇神天皇の時代の話だ。
疫病の大流行で民が絶えかねない状況に陥る。そこに御諸山(三輪)の大物主大神が夢に現れ、原因は祟りで、鎮めるには、“意富多多泥古命”を神主にして祀らせればよいとのお告げ。この人物、河内に住んいたが、活玉依比売の子。その父親は夜通ってきた神。
帰る時に糸を結びつけておき、調べたら、その正体は三輪山の神、大物主神と判明という話。糸での探索時に、呪術的に床に赤土を撒いている。
祀った結果、国は安泰。
そう、ここに、“此意富多多泥古命者、神君、鴨君之祖”と記載されているのである。
この時、鴨一族は祭祀の家として再出発した訳なのだろうか。ともあれ、この記載にこだわれば、天皇家が鴨脚家を重視して当然といえる。
〜 京都は、古事記作成の頃を彷彿させる地でもある。 〜
しかし、京都の下鴨神社のご祭神はあくまでも鴨氏の祖霊。にもかかわらず、皇祖神を祀る伊勢神宮と同じように、斉王を出すのだ。重視するのはわかるが、どうしてそこまでという感じがする。
だが、考えてみれば、伊勢神宮の扱いも腑に落ちぬ。天皇家の正統性を示す「八咫鏡」と、お祀りしてきた天照大御神をわざわざ内裏から遠ざけるのは何故かさっぱりわからぬからだ。
なにせ、古事記では、天照大御神が高天原以降の項でさっぱり見かけないのだ。忌避しているような感じさえ受ける。
ここら辺りの事情も、京都には、どこかに口伝がありそう。ただ、前述したように、知っている人達が口外することはないと思われる。
そのため、ご都合主義的な、様々な潤色話が次々と生まれる。しかし、どうなろうと事情通は知らん顔なのでは。
それは古事記の時代も同じだったようである。 序文から想像するに、尾鰭がついた話が相当流布していたようだ。それを整理せよという天皇の命で作られたのが、ほかならぬ古事記。稗田阿礼が記憶を頼りに、足を運んで聞き取り調査した結果の書だと思われる。
現代の京都も、その時代の心根となんらかわるところはないのでは。
ということで、独断と偏見でまとめれば、・・・。
〜京都の民の体質〜 |
- 1 - |
土着感覚 |
地についた伝統でなければ収まりが悪い。 |
- 2 - |
身分峻別 |
分相応をわきまえない信仰は落ち着かない。 |
- 3 - |
怨念の地 |
権謀術数からくる祟りなどたまったものではない。 |
- 4 - |
縁の伝承 |
親の信仰を粗末には扱う訳にはいくまい。 |
- 5 - |
混沌堅持 |
商売繁盛は皆で謳歌したいもの。 |
- 6 - |
霊と共存 |
この地の霊と共に生きていく。 |
- 7 - |
信心第一 |
信心こそ命。 |
- 8 - |
最古との自負心 |
古事記の世界を護る。 |
- 9 - |
口外無用 |
みだりに由緒を語らない。 |
- 10 - |
潤色放置 |
お話を作りたい人はご勝手に。 |
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