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2010年9月30日
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【古都散策方法 京都-その49】
京都の仏像拝観 [弥勒仏]

先ずは、写実的芸術作品の観賞感覚を理解することから。
 京都の釈迦如来像拝観の仕方を書いてみたが、稚拙な文章ということもあり、主旨がおわかりになれたか心配である。
 くどくなるが、重要なので繰り返しておこう。

 ガンダーラ如来頭像、東大寺南大門仁王像、ギリシア彫刻の戦う戦士像、といった彫刻作品は写実性が高く誰でも見ればすぐわかる。現実には存在してないイマージュなのだが、眺めた瞬間に、頭のなかに実像としてくっきり浮かぶからである。・・・我々は、そんな教育を受けてきたということ。
 しかし、一般の仏像を眺め、同じように素直に作品として観賞できるものだろうか。・・・小生は無理だと思う。しかし、その一方で、仏教国の住人だから、自らそれを認めたくはないという気持ちもある。なかなか複雑なのである。

 この心の機微を理解するには、仏像拝観ブームの前は、皆がどのような状態でお寺巡りをしていたのか思い起こすのも悪くはない。
 小生が見る限り、ほとんどの人は、美術館さながらに、それこそ“こういう作品か”という態度で仏像を眺めていた。そして、見終われば次の作品に移るという姿勢。ところが不思議なことに、お庭に来ると態度は一変。しばしの時間“ゆったり”とその場ですごすのである。人工的に作られた“自然”であるにもかかわらず、そこに宗教観を見い出しているのは明らか。何故、住宅や公園の庭ではそんな感興がおきないのに、お寺だとそうなるのか不思議千万。
 庭の宗教観はわかるが、仏像になると皆目わからないいうことなのでは。それが最近突然わかるようになったらしい。常識ではあり得ない話。

 流行の巡礼にしてから、傍から見れば異様。団体で大騒ぎしているのを見たこともあるからだが、愛を確かめたいのかカップルも少なくない。しかも、必ず“ご朱印”コレクションに精を出す。これが「信仰」の実態。
 もっとも、こうした姿勢こそが、日本の宗教文化の特徴でもあるのだが。

 従って、流行にあわせた大騒ぎを好まないなら、仏像拝観のスキルを身につけておいた方がよい。特に、京都の場合。
 と言うことで、釈迦如来像の見方を書いてみた次第。そのハイライトは運慶一門作釈迦如来ということをご理解頂ければ十分。

 法隆寺の釈迦三尊像はいかにも堅く生真面目だし、それ以後は、次第に柔らかく穏やかな表情になり、体全体も丸みを帯びてくる。そして、ステレオタイプ化。・・・こんな流れは見れば誰でも感じること。しかし、“写実的”な仁王像を生み出した運慶一門が釈迦如来とどう取り組んだかを感じ取ることは結構難しい。しかし、それを感じ取ることができたなら、仏像の見方が一変する筈。

情緒論的仏像観賞話にのせられないように。
 少々理屈っぽくなったが、これだけはお伝えしておきたかった。と言うのは、京都の仏像拝観となると、いの一番に登場するのはたいていは弥勒仏だからだ。
 小生は、この仏像拝観から始めると、目が曇ってしまいかねないと考えている。微笑みの仏像というキャッチフレーズにのせられ、情緒的に眺めるしかなくなるからである。それは仁王像と同じでわかり易いが、仏像とはそういうものか考えて見たら如何かな。

 そんなことが気になり始めたのは、小生にとっては、高校一年生の頃で、実に古い。別に、仏像ファンだった訳ではなく、大学受験必読書とされていた亀井勝一郎の本を読んだだけにすぎない。
 その本で、亀井は、中宮寺の像を弥勒仏ではなく、観音像に“したい”と語ったのである。自分が大好きな観音イメージに合致するからと言うのである。
 写真を見る限り、この像は広隆寺の弥勒菩薩と瓜二つであり、その逆ならわかるが、この主張には心底驚いた。情緒論で平然と黒を白とみなしかねない人達がいることを、この時初めて知らされたのである。
 そこで、弥勒仏は注意してかかる必要があると悟った。

 実は、そんなことを意識させてくれたのは和辻哲郎の著作。(1)内容は今となっては余り思い出せないが、弥勒菩薩の仏像は東アジア全域での基本形が存在しており、日本の像はその1バージョンにすぎないと喝破していたからだ。高校生にとっては、目からウロコ。

 情緒論を排除した和辻には学ぶところは多かった。今でも感謝である。
 --- 参照 ---
(1) 和辻哲郎の作品は青空文庫が作成中。

ミロクは日本以外では信仰が根付いている。
 和辻の指摘を突然持ち出されても、なんのことやらかも。
 小生にしても、実は、そんなことは忘れていたのである。それを頭の片隅から引きずりだしたくれたのが、薬師寺さん。
 2003年のことである。
 突然、大講堂の白鳳期の薬師三尊像を弥勒三尊像としたのである。(2)講話を聞いた人なら、よく考えれば、さもありなん。このお寺に弥勒仏が無い方が不思議だからだ。
[なにせ、偶像崇拝は不味いと考えられていた頃の信仰対象だった、仏足跡(石)があるお寺なのだから。]

 長々と話してきたが、こここそ、今回の弥勒仏拝観の肝である。
 弥勒仏を拝観するつもりなら、その前に“ミロク”とはどういう位置付けか、思いめぐらすことをお勧めしたいのである。これ無しに、微笑みの弥勒仏を拝観に行こうというのはお勧めできないということ。

 薬師寺の例が端的に示すように、日本では弥勒信仰対は定着しなかった。
 但し、沖縄は例外。旧盆のお祭の仮装行列に仮面をつけた“神”(ミルクさん=弥勒)が登場する位で、その救世主的な信仰は篤いものがある。しかも、これはベトナム渡来神らしい。
   →  “ミルク面とミロク信仰” 波照間島あれこれ (C) HONDA, So

 そして、なによりも知っておくべきは、朝鮮半島の状況。と言っても、亀井や和辻が議論した、広隆寺・中宮寺の像と韓国中央博物館所蔵の作品の比較の話ではない。仏教国でないとはいえ、韓国の仏教寺院には弥勒信仰が残っているという点。弥勒殿はあって当たり前のようでで、釈迦に次ぐ重要な仏様扱いということ。(タリバンが磨崖仏の顔を爆薬で吹き飛ばしたことから見ても、大陸では、弥勒仏が仏像信仰の核とされているのは間違いあるまい。)日本ではとても考えられまい。
 7世紀に百済の武汪が全羅南道益山に建立した弥勒寺は址でしかないが、忠清南道論山の灌燭寺には巨大な恩津弥勒石像(1006年)(3)がある。この像の写真も見ておいた方がよい。二重の冠を被っていることもあり、異様に頭が大きい上、顔の表情は大柄なのだ。日本人だと違和感を覚えるお姿。だが、よく考えれば、五体投地礼拝であるから、写真のアングルでは信仰対象のお顔はわからないのである。
 こうした弥勒信仰を見ると、日本が大陸の仏教文化と大きく分かれてしまったことが実感できよう。
 --- 参照 ---
(2) http://www.nara-yakushiji.com/guide/hotoke/hotoke_daikodo.html
(3) http://sculpture.buddhism.org/daesung/culture/budston/trasure/images/b0218.jpg
  http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f1/Mireuk-bosal.jpg/304px-Mireuk-bosal.jpg

運慶か快慶の手による弥勒如来像拝観はお勧め。
 長々と話をしてしまったが、これを踏まえて、弥勒仏拝観はどうしたらよいか考えた方がよいということ。
 小生は、釈迦如来拝観同様、まず最初に、武士の世になった頃の仏師の手の仏像、次に古代の仏像という流れでの拝観をお勧めしたい。これだけで何か感ずるものがあると考えるからである。

 運慶一門の作があるが、それは奈良の興福寺北円堂安置。菩薩ではなく、如来の坐像である。(4)弥勒堂なのだが、ご本尊より高僧の無著像と世親像で知られているのも面白い。弥勒信仰の浅さを物語るといえそう。さらに、驚きは、旧興福寺蔵とされる立像(1189年)が人手に渡っている事実。今や、Museum of Fine Arts, Bostonでしか見られないのである。(5)

 運慶でなく、快慶作にするという手もある。そうなると、醍醐寺三宝院護摩堂。木造坐像(1192年)である。(6)宗祖弘法大師像と開祖理源大師像が脇待だそうである。機会があったら、一度拝見したいものである。

日本の半跏思惟像(椅像)は弥勒と見るべきでは。
 次は、古代の仏像となるのだが、所蔵のお寺は二上山近辺で便利な地ではない。おそらく、弥勒仏拝観のために行く人は稀では。小生が、当麻寺を訪れた時は伽藍全体がガランとしていた。
 一つは、石光寺の大きく欠損している凝灰岩の石仏。(7)
 もう一つは、当麻寺金堂にあるずんぐりとした塑造の坐像。(8)痛みはかなり激しいので、姿がよくわからないのが実情。
 残念ながら、こんなところ。
 ただ、法隆寺献納宝物の“高屋大夫が亡き韓夫人のために発願造立した”金銅造菩薩半跏像(東京国立博物館収蔵156番)(9)がある。どうみても、宝冠弥勒仏である。(素晴らしい美術品と言ったらお叱りを受けるかもしれぬが、実に素敵。)

 まあ、ともあれ、広隆寺にある超有名な2つの“半跏思惟像(椅像)”を拝観するしかないのが現実。(宝冠弥勒菩薩像宝髷弥勒菩薩像) 尚、奈良の中宮寺の木造菩薩像は如意輪観音とされている。(小生は弥勒と見ているが。)

 おわかりだと思うが、如来坐像と、菩薩半跏思惟像の対比が重要なのである。これは釈迦牟尼(釈迦族王子の出家修行者)像と釈迦如来のようなもの。
 つまり、彌勒は実在した可能性が高いのである。弟子として圧倒的な力量があったが、釈迦牟尼入滅のはるか前に早世したと考えるのが自然。そうでなければ、思惟像を作る理由がわからないではないか。もちろん、素人推量ではあるが。

 そう考えると、大原野南春日町にある仏華林山 宝菩提院 願徳寺(10)の“ 伝如意輪観世音菩薩半跏像”(11)は、本当は弥勒菩薩ではないか。写真でそう感じただけだが。
 平安初期の作とされる一木造(推定:榧)で素地の像。頭髪があり、額に垂れている上、耳も覆っている。そのため、実在のヒトというか、若き釈迦の面影を感じてしまうのである。

 --- 参照 ---
(4) http://www.kohfukuji.com/property/cultural/110.html
(5) [20.723a] http://72.5.117.144/fif=fpx/sc1/SC169915.fpx&obj=iip,1.0&wid=400&cvt=jpeg
(6) http://www.asahi.com/travel/hotoke/OSK200605300009.html
(7) “白鳳の弥勒石仏を特別公開 石光寺”なにわ老歩人  http://ameblo.jp/rallygrass/entry-10542064447.html
(8) “当麻寺の塑像弥勒仏坐像”当麻寺の塑像弥勒仏坐像  http://narabungei.blog4.fc2.com/blog-entry-38.html
(9) http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?processId=00&ref=2&Q1=&Q2=&Q3=&Q4=________3_1__&Q5=&F1=&F2=&pageId=E15&colid=N156
(10) http://www.gantoku.or.jp/
(11) http://event.yomiuri.co.jp/2006/butsuzo/win/05.htm
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