|
【古都散策方法 京都-その50】 京都の仏像拝観 [阿弥陀如来]
〜 京都の仏像拝観なら、なんといっても阿弥陀仏。 〜
“ガンダーラ石仏頭部像→運慶作釈迦如来→広隆寺宝冠弥勒菩薩半跏像”という筋で京都の仏像拝観のお話をしてきた。こう並べると、広隆寺の弥勒仏を究極美と絶賛するストーリー展開と受け取られかねないが、真意はその逆。
小生は、京都の仏像拝観なら、阿弥陀仏と考えているのである。と言うのは、阿弥陀如来像は、全国津々浦々まで広がっており、その信仰は京都から始まったと見ているからである。要するに、宗教史を頭に描いて京都の仏像を拝観しようという訳。そうしないと、仏像のよさがわからないのではないかと思うからでもある。
と言う事で、今回は阿弥陀如来像。
〜 弥勒より阿弥陀信仰が広がったのは流れからみて自然だ。 〜
宗教史と言うと、大仰な話に聞こえるかも知れぬが、素人の見方で十分であり、難しい勉強が必要な訳ではない。
すでにお話したような流れを、ご自分で作ってみればよいだけのこと。・・・“釈迦牟尼(釈迦族王子の出家修行者)→釈迦如来(解脱者)→盧舎那仏(釈迦如来を含む仏の代表=「法」の象徴)→大日如来[摩訶毘盧遮那仏](全ての信仰世界を統括する宇宙の中心)”といった調子。
この手の見方、よく考えると、まさしく日本的。 宗教史と言いながら、経典(論理)がどう展開したという見方ではなく、崇拝対象の仏像変遷を示すだけで、なんとなく宗教史がわかった気になるということ。例えば、密教についても、大日経(胎蔵界)と金剛頂経曼荼羅については何も知らないが、その視覚表現の絵や仏像群を眺めると、なんとなくわかった気にさせられるのである。文字のなかった頃の信仰を受け継いでいるような気がしないでもない。
〜 代表的な仏様と素人の解釈 〜 |
- 仏像 - |
- 経 - |
- 世界観 - |
釈迦 |
涅槃経 |
仏国土/娑婆 【現世】 |
薬師 |
薬師本願経 |
東方瑠璃光浄土 【悔過】 |
阿弥陀 |
阿弥陀経 |
西方極楽浄土 【来世】 |
弥勒 |
弥勒三部経 |
釈迦の後継 【将来】 兜率浄土 |
多宝 |
法華経 |
宝浄国 【過去】 |
観音 |
観音経 |
補陀落浄土 |
毘盧舎那 |
華厳経 |
蓮華蔵荘厳世界海 |
大日 (摩訶毘盧遮那) |
大日経 |
胎蔵界、金剛界 両界曼荼羅 【宇宙】 |
そんな目で阿弥陀仏を眺めるなら、右図のようにまとめると分かりやすい。
遠い将来のために、兜率浄土で弥勒菩薩の下で修行するか、死後すぐに阿弥陀如来の極楽浄土で慈悲深い観音菩薩の指導に従って修行するか、二者択一を迫られたと考えれば合点がいくからだ。
つまり、阿弥陀仏信仰の本質は来迎信仰ということ。それを感じるためには、来迎図拝見は必須。“・・・→隆寺宝冠弥勒菩薩半跏像→来迎図→阿弥陀如来像”と進みたいのである。ただ、来迎図拝観の場合、いかにも日本的な観念を感じさせる作品がお勧め。まあ、いかにもせっかちな来迎期待感が溢れているのが秀逸。
→ “阿弥陀二十五菩薩来迎図” (C) 知恩院
→ “国宝 山越阿弥陀図” (C) 京都国立博物館
〜 天台宗3寺院の阿弥陀仏を眺めると当時の信仰感が伝わってくる。 〜
阿弥陀信仰が広がったのは、学校で習った歴史では為政者への末法思想の広がりが大きかったとされる。しかし、それに対応する仏像は意外なほど残っていない。戦乱で焼失したにしても、膨大な数の仏像があったのに、それほど大切にされていなかった可能性は否定できまい。
ところが、その一方で、阿弥陀如来像はdこにでもあるという印象。徳川家康が浄土宗徒であったことも効いていそうだが、浄土真宗の布教力が大きかったということではないか。
これを踏まえて、阿弥陀如来像を拝観するなら、先ずは天台宗のお寺の阿弥陀像から。といえば、これはもう定番中の定番。
・宇治の平等院 鳳凰堂[天台宗/浄土宗系] (第3回でとりあげた.)
・大原の三千院 往生極楽院[天台宗] (第31回でとりあげた.)
・黒谷の真正極楽寺(真如堂)[天台宗] (第2回でとりあげた.)
鳳凰堂は仏像そのものより、建物・庭・本尊/仏像群・室内画が一体化し浄土イメージを生んだ点が秀逸。ただ、仏像も定朝(不明〜1057年)作であり、標準といえそう。
往生極楽院の三尊像(1)は傑作である。本尊はごく平凡な坐像だが、右手を上げて左手を下げ、共に掌が前向きで、ご挨拶されている感じがする。脇待は立像でなく坐像で、正座している。それこそ、雲に乗って、お迎えにあがりましたという姿。現代人にも来迎感が生まれるのだから、ご挨拶の基本形が伝承されてきたということか。
真正極楽寺のご本尊は秘仏である慈覚大師作の立像。(2)(「お十夜」には開扉)じっくり座っていられず、立って救いに動くということか。如来でありながら、そんな姿勢を見せているということは、他力本願化の流れが生まれたことを示しているのではなかろうか。
ただ、古刹である一乗寺の曼殊院[天台宗]は本尊が阿弥陀如来立像だし、お庭も美しいから含めたくなるが、上記とは雰囲気が異なり極楽イメージは浮かんでこないので、そのつもりで。
この辺りがわかってくると、京都外のお寺の拝観も有意義。
・平泉の中尊寺 金色堂[天台宗]と、毛越寺 常行堂[天台宗]
・東京の深大寺[天台宗]
金色堂はお墓でもあるから特殊ではあるが、浄土観を現したものであるのは間違いなかろう。(3)
常行堂は修行施設。90日間阿弥陀如来の周囲を念仏を唱え歩き続ける。このため、お堂は真四角。そして、如来にもかかわらず宝冠を被る。脇待も四菩薩体制。尚、毛越寺は庭園が浄土を模してたお寺で、復元が進んでいる。
深大寺のご本尊は阿弥陀如来。恵心僧都作の坐像。宝髻・宝冠(4)があり、行を行うお寺だったということだろう。すでの述べたが、このお寺には椅像の釈迦如来が安置されている。尚、京都と違い気軽に拝観できる。
そうそう、天台宗ではないが、蓮花もあって浄土庭園の雰囲気を残している上、鳳凰堂の仏像的な、伝院覚作 阿弥陀如来像(5)があるお寺もある。
・花園の法金剛院[律宗]
--- 参照 ---
(1) http://www.sanzenin.or.jp/bunkazai/bunkazai_02.html
(2) http://shin-nyo-do.jp/img/honzon.jpg
(3) http://www.chusonji.or.jp/guide/precincts/konjikido.html
(4) http://jindaijigama.com/jindaiji/jindaiji201.html
(5) http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=4&ManageCode=1000062
〜 密教の行の仏像は特殊である。 〜
天台宗だけとりあげ、密教の真言宗を外す訳にもいくまい。
一応、有名な仏像を所蔵するお寺をご紹介しておこうか。
・御室の仁和寺 霊宝館[真言宗] (仁和寺の雰囲気は、第9回でとりあげた.)
・日野の法界寺 阿弥陀堂[真言宗]
・太秦の広隆寺 講堂[真言宗]
・東山泉涌寺山内の即成院[真言宗]
・兵庫県小野市の極楽山浄土寺 浄土堂[真言宗]
御室は御所の雰囲気濃厚だが、仁和寺は浄土思想普及を担っていたと見ることもできよう。もともとは金堂安置仏だった檜の一木彫の三尊像(1103年)が霊宝館に収められ、金堂には別途三尊像(1644年)がある。(6)
法界寺は親鸞誕生の地。国宝建築物なので、建物の写真ばかり矢鱈に目につく。鳳凰堂のように外から仏像を眺めるものと考えてしまうのだろう。扉を確かに開け放てば、そうともとれるのかも。だが、形から考えれば密教の行のための建築物以外のなにものでもなかろう。意外と、当時の普通のお堂風に見えるように作った建物かも知れぬ。肝は、あくまでも、阿弥陀如来根本陀羅尼や真言を唱える室内。坐像の中尊、脇仏、周囲の壁や天井の絵画や装飾も含め、全てが揃って初めて意味がある。従って、浄土感を味わえる仕掛けをじっくり拝観できるなら、訪れる価値は極めて高い。
広隆寺は大きな坐像。脇待は地蔵菩薩と虚空蔵菩薩。仏教は嘘は大罪だから、阿弥陀仏というのは確かなのだろうが、素人には理解し難い組み合わせである。
即成院は“現世極楽浄土”ということで、木造阿弥陀如来坐像の周囲を二十五菩薩像が取り囲む。“オーケストラを奏でながらお迎えに来られる様子が圧巻”(7)ということのようだ。
浄土寺は拝観したことはないので知識はゼロだが、巨大像らしい。快慶作というから納得感あり。都から離れた地だから、浄土としての霊地ということだろうか。建築家必見と聞いた覚えがあるので、おそらく、見所は庭と建物の調和ではなく、仏像を際立たせる建築設計。玄人好みの、色彩と光線の加減の秀逸な工夫がされているのかも。
ただ、こうした密教仏を拝観しても、なかなか当時の熱狂的な信仰感覚が伝わってこないのが現実。例えば、御室で言えば、間違いなく、阿弥陀像だらけだった筈だが、そんな風情は全く感じられない。法界寺の阿弥陀堂にしても、日野の土着一族の阿弥陀信仰の名残りという印象は否めまい。
ただ、そうなるのは止むを得ない。なにせ、九体仏など都のそこここにあったといわれているのに、今や一箇所しかなく、それもほとんど奈良に近い場所なのだ。宗派も真言律宗。しかし、そこが一大観光地なのである。失礼ながら、それは“寂れた”風情が愛されたからだろう。
貴族が一心不乱に来迎信仰に走った風情は今何処である。
・木津川市の浄瑠璃寺[真言律宗] (第8回でとりあげた.)
・東京の九品仏浄真寺[浄土宗]
【 3 x 3 の来迎印 】 |
輪の指 |
上品 中品 下品 |
親指・人差指 親指・中指 親指・薬指 |
手の位置 |
上生 中生 下生 |
膝上 胸 右が胸・左が膝 |
【定印】両方の親指をつけて膝上で円をつくる。 |
九品仏(8)は江戸期だが、浄瑠璃寺とは違い完全に揃っている。ただ、扉の隙間から除くしかないので、像の姿はよく見えない。ただ、浄土宗であるが、拝観できる本尊は釈迦如来。総門には「般舟場」と書かれた額があり、閻魔堂も揃っているなど、浄土信仰がどのようなものか感じることはできる。
上品上生から下品下生までの、阿弥陀如来来迎の9つの“印相”がわかるという点に興味を覚える人はここでしか見ることができないのかも。上品上生は坐像の基本形で、上品下生は立像の基本形のようである。この他にもあるようだ。
尚、密教系の阿弥陀如来の“印相”はこうした来迎印ではなく、両手で丸を作っている瞑想状態(座禅)の釈迦如来や胎蔵界大日如来でよく見かける定印の方だ。
手の形で意思疎通する文化が日本の日常生活にあったとは思えないが、三千院 往生極楽院の来迎印から伝わってくるものがあるのは確か。それは、皇族方の見慣れたご挨拶の形からくる印象とダブルだけなのも知れないが。
しかし、浄瑠璃寺を見ていると、都の仏像を匿った感じがしないでもない。近くの当尾の岩船寺[真言律宗]の阿弥陀仏(9)も同じことが言えるのかも。
--- 参照 ---
(6) http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=4&ManageCode=1000130
(7) http://www.gokurakujyoudo.org/
(8) http://justinfo.web.infoseek.co.jp/noyaki/seazon/spring/kuhonbutsu/kuhonbutsu.html
(9) http://www.city.kizugawa.lg.jp/article.php?id=559&f=275&t=cat
さて、東京の九品仏浄真寺でようやく浄土宗のお寺が登場した。その辺りがどうなっているか続いて検討してみよう。
<<< 前回 次回 >>>
「観光業を考える」の目次へ>>>
トップ頁へ>>>
|
|