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【古都散策方法 京都-その54】 京都の仏像拝観 [不動明王<<続>>]
〜 ちょっと寄り道: 現代の呪術について。 〜
お不動さん/弘法大師信仰について一寸触れたので、少々脱線して現代の話をしておこう。
突然で恐縮だが、2010年4月の読売新聞書評欄で、ポップ美術評論家、椹木野衣氏が「呪術意識と現代社会―東京都二十三区民調査の社会学的分析」[竹内郁郎/都宮京子著 青弓社 2010年2月 \8,400]を取上げた。よく覚えていないので多少違うかも知れぬが、要旨は以下のようなものだったか。(ウエブ版のキャッシュは残っていないようだ。)
本の内容を簡単にまとめれば、・・・
・立小便被害防止用に描く鳥居に効果あり。
・お守りを貰うと、たいてい捨てられない。
・こうした風習は近代化が進めば消滅する筈だったのではなかろうか。
・これだけではない。季節の宗教的行事や方位/占/厄除の類は色々とある。
・TV観戦応援やてるてる坊主もそういった範疇に入るだろう。 ・普通は風習で片付けるが、呪術と見ることもできる。
どう考えるべきか、・・・
・実情はその通り。
・呪術と共存する近代概念を構築する必要があろう。
・この本は考え始める切欠になる。
高価な書籍なので買う気はないが、なるほど、そういう本か。
一応、気になった由縁を書いておこう。
もちろん、“呪術”意識についての調査結果だから気になったのだが、調査対象を東京都に絞った点が面白いと思った。その点を評者が触れたかは失念したが。
前回指摘したのでお気づきになったかも知れないが、初詣の人出の数を見る限り、首都圏での不動尊信仰はすさまじい。密教宗派を菩提寺としている人は少ない筈だから、どう考えてもこの動きはご利益期待から。これが、日本の実像である。
これはどうでもよいのだが、つい書評に目を通したくなった原因は、評者が歴史観を持ち込んだポップ美術評論家だったから。
小生の感覚では、いわゆる文芸路線には全く興味がない方である。そのせいか、本質をついた見方を提起しているので、書評が気になったという訳。ちなみに、小生の考えるこの方の見方とは・・・。
・日本のポップ美術は、日本画・洋画に対抗するようなものになっていない。
・なぜなら、対抗すべき既存美術とは、市場が大きいだけでしかないから。
- 日本の既存美術には
よって立つ精神的基盤が欠落している。 - 精神・歴史から作られるジャンル感は皆無だ。
- その結果、様々な思想がグチャグチャ絡み合う代物になっている。
わかり易く言えば 日本では、工芸と芸術の間に線が引けないという指摘に近い。美術が大衆のものである訳がないのに、日本では、端から精神上大衆化しているという主張に近い。まあ、ここだけ取り出せば当たっているのではないか。
それでは、何故、そうなったか。ここは仮説で語るしかない。
小生は、そんな風土を作り上げた大元は“呪術”の塊でもある不動尊信仰と見ている。
〜 不動尊像が日本での大衆信仰を生み出したのではないか。 〜
素人の仮説はどうでもよいのだが、少なくとも、日本の美術を考えるなら、不動明王像拝観はを避けて通れないのでは。
そう考える理由は二つある。
一つは、日本美術の底流を流れる精神構造に触れることができそうという点。
ともかく画期的な仏像である。様々な信仰の習合と言えそうだし、“静粛”とか、“沈思黙考”的な雰囲気とは対極的な姿だからだ。
しかも、現世的なご利益を実現させるための「加持祈祷」の中核的役割を担うのである。日本仏教のコペルニクス的転回と言うと大袈裟すぎるかも知れぬが、日本型仏教が誕生したとは言えそう。
それまでの宗教は、祈念の対象が、一家、一族、貴人、国家といった違いはあるが、“他人”の平穏な生活を願うことに重点があった。選良として、自己犠牲的な“慈悲”の心を持とうとの精神が底流にあったのだと思われる。それあってこその“仏法僧”。ただ、現実には、僧侶の政治的関与が進み、乱費も重なった上、疾病蔓延や自然災害などで政治・経済的にひどい状態に陥ってしまい、そこからの脱出が急務になっていた訳だ。
その光明が不動明王だったとはいえまいか。おそらく、聖徳太子の四天王崇拝同様に、敵対者の降伏を実現する力を為政者に与えることができるとしたら、跳び付かざるを得まい。。その結果、祈願の対象が“他人”から“本人”へと変わってしまったのだと思う。病気平癒だったり、お役目成就、はたまた権力闘争勝利、と期待する内容は違えども自己のご利益のための信仰へと重心が移行してしまったのは間違いないところ。貴族階層の宗教であったにもかかわらず、選良としての独自性は消え、大衆的な信仰に変わってしまったということ。
それをつくづく感じてしまうような像もある。大衆的な動きを感じさせる憤怒像とは一風異なる、貴族層好みと思われる像があるからだ。火焔がなければ、お下げ髪で八重歯の小太りの下層階級の小間使いといった風情が漂う。見慣れた憤怒像の眼鏡で見れば、表現様式の違いでしかないが。(薬師寺を拝観すると、如来坐像の台座の四神と葡萄のお話を伺うことになるが、よく見ると鬼のレリーフもある。このイメージに近いものがある。)
〜 不動明王像が、日本の最初の宗教芸術作品では。 〜
■ 京都近辺の不動尊像/画幅所蔵の寺院例 ■ | 〜 天台宗系 〜 | ・比叡山延暦寺 無動寺明王堂千日回峰行
・三千院 金色不動堂
・曼殊院---絹本黄色画
・東山の妙法院
・青蓮院---絹本青色画
・北向山不動院
・法住寺---身代不動明王
・般船院
【大津地区】
・園城寺(三井寺)---絹本黄色画
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〜 修験道系 〜 | ・聖護院
・峰定寺
| 〜 真言宗系 〜 | ・教王護国寺(東寺)
講堂[五大明王]
師堂[坐像]
神泉苑
・仁和寺, 遍照寺, 蓮華寺
・智積院 旧本堂
・広隆寺
・高山寺
・大覚寺
・醍醐寺 霊宝館
【高野山地区】
・金剛峯寺 霊宝館[不動堂旧在坐像/立像]
・高野山 南院---波切不動
・高野山 明王院---絹本赤色画
・高野山 正智院---赤不動
【大津地区】
・石山寺
【北法相宗】
・清水寺 宝蔵殿
| 〜 他の宗派 〜 |
【臨済宗系】
・東福寺 同聚院 五大堂
・大徳寺
・鹿苑寺金閣 石造
【曹洞宗】
・岩屋寺
【西山浄土宗】
・京都駅近の明王院不動堂 石像
・新京極の永福寺(蛸薬師堂)
【真言律宗】
・浄瑠璃寺 本堂
・宇治の放生院
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[参考] 近畿三十六不動尊霊場会
http://www.kinki36fudo.org/01.html |
これを踏まえた上で、もう一つ。これが肝心なのだが、不動明王造りが芸術活動として認識されていた点。
と言えばおわかりだろう。今昔物語・宇治拾遺物語をタネにした、芥川龍之介の「地獄変」でご存知の通り。・・・
画師良秀曰く、“不動明王を描く時は、無頼の放免の姿を像りましたり、いろ/\の勿体ない真似を致しました”。“不動の火焔を描きましたのも、実はあの火事[自宅炎上]に遇つたからでございます。”
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芥川龍之介: 「地獄変」
1918年 (青空文庫)
この良秀画だが、醍醐寺に2本、東京芸大に1本あるらしい。どうせ伝承だろうから、当てにはならないだろううが、見てみたいものである。
ともあれ、宗教指導者の指示に従い、経典の著述に合わせるだけの形式主義的な像造りからの脱皮が始まったのである。芸術家としての仏絵師誕生と言ってよいのでは。・・・思うに、如来や菩薩とは違い、不動明王像には自由度が高かったということもあろう。
そんな観点から、不動明王拝観というのが今回のお勧め。ただ、自由に作れるからといって、素晴らしい作品ができる訳ではないので、そこはご注意のほど。
〜 貴族的な不動尊像拝観はどうか。 〜
まあ、そういう観点に立つと、なにも京都で拝観する必要もないし、現代でも。
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澤田政廣: 不動明王 (C) 東京藝術大学大学美術館
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狩野芳崖: 不動明王[画] (C) 東京藝術大学大学美術館
しかし、歴史を感じさせられるという点ではやはり京都ではないか。その場合、最初に天台宗系のお寺に立ち寄るのがよいと思う。
真言宗系に比べると新しい像が多いようだが、おだやかな表情の作風のものを拝観できる可能性が高いからである。 空海の布教はあくまでも大日如来の世界のなかでの明王だが、最澄の直弟子 円仁は不動尊にこだわった筈。なにせ、唐で遭遇したのは、皇帝(840〜846年)武宗の容赦なき廃仏と、道教への傾斜だった。最澄・空海の時代と様変わりである。
日本にそんな流れを持ちこませないためには、空海の“道教・儒教より優越”理論では不十分と考えるのは自然なこと。
・宗教的鎖国。(日本独自の崇拝尊)
・古代の非仏教的信仰との習合を図る。
・唐の経済疲弊の原因となっら銅像鋳造は避ける。
・道教の呪術に対抗できる仕組み完備する。
- 為政者の人気を集めることができる新しい仏
- 護摩行の整備
- ご利益実現
これに適合したのが不動明王だったとはいえまいか。ただ、あくまでも貴族対象であるから、当初のコンセプトは、品格がありながら、従来の仏とは一線を画す姿になって当然では。
そんな貴族が好みそうな不動明王像拝観も楽しそうである。例えば、禅寺である東福寺の塔頭 同聚院の本尊。藤原道長が旧法性寺に建立した五大堂の中尊とされている。1尊のみしか残っていない位だから、相当に修復された像だろうから、もともとの像とは違う可能性もありそう。
山懐にある、鳥羽上皇勅願の峰定寺での拝観もしたいものである。不動明王像は千手観音の脇待。
まあ、“繊細な作風”の京都国立博物館所蔵の像[12世紀]を鑑賞するだけでも感覚はつかめるかも。[http://www.kyohaku.go.jp/knm/pict/c001110.jpg]
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