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2009年12月10日
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【古都散策方法 奈良-その4】
東大寺拝観に際して…

拝観した仏像を振り返ってみよう。
 奈良の散策コースについて、3回に渡ってご提案してきたが、つけたしとして、東大寺拝観の要点をまとめておこう。ここはなんといっても、仏像のお寺。その観点で・・・。
 お読み頂いた方はおわかりのように、この散策は仏像をじっくり眺めるように設定されてはいない。しかし、お寺に入れば仏像参拝をすることになる。どのように拝見するとよいか予め考えておくことは悪くない。

 多少の予備知識は持っているにこしたことはないが、観光案内の個々の仏像の解説を読んでも役に立つとも思えない。ご自分の頭で少しお考えになるとよいのではないか。

 別に難しい話ではない。お寺を一通り回った後、お茶でも飲みながら、入場時に配布されたパンフレットを見直して、拝観した仏像を順次思い出してみるだけのこと。どんな印象だったか振り返り、記憶に残したいものと、そうでないものを、篩いにかけるだけのこと。

大仏の特徴は巨大だけではない。
 と言うことで、仏像拝観のポイントを書き留めておこう。
 奈良といえば大仏(盧舎那仏)だから、先ずはここから。

 良く知られているように、大仏造りの総責任者は 国中連公麻呂(774年没)。百済人3世と言われている。しかし、それにたいした意味はなかろう。火災にあっており、焼け残ったのは、土台に線刻されている蓮弁だけらしいのだから。頭部は江戸期だ。
 しかし、公麻呂作仏像の傑作として、その鑑賞のツボを語る人は多いらしい。
 小生はとてもそんな気になれない。再建品だからではなく、余りに巨大で、どうしても部分を見てしまうからだ。残念ながら、作品全体がよくわからないのである。
 “世界最大の金銅仏”実現で威信発揮を狙った当時の意気は伝わってくるが、そこまでなのだ。金銅にこだわったのは、大陸の「石仏」文化は受け入れがたかったこともありそうだが。
 そんな気分だから、仏像としてより、鋳造技術への驚嘆が先に来てしまう。美術館でよく見かける西洋ブロンズ像の超大型をよく作ったものだとなる。見慣れた素材に意識が引きづられてしまうのだ。

 これは実にまずい。従って、平城京の頃の大仏を想像しながら鑑賞しないと。ブロンズではなく、全面金色に輝く像を想像すべきだろう。そう考えて、できる限り引いて全身を眺めるとよい。そうすると、違った印象が生まれるかも。
 ともかく、多少、時間をとって全方向から眺めることをお勧めしたい。そうすれば、だんだんに全体像が見えてくる。そして、特徴がわかってくる。

 そうすれば、新しい感想が生まれるものだ。
 多分、誰でも気付くのは、これだけ巨大なのに畏怖感が無いこと。どっしりした力は感じるが、無理強いはしないといった風情だろうか。言ってみれば、頼りになるといったところ。実に、安心感を与える仏像である。
 それこそが当初の目論見だったのか、見る方が勝手みそう感じているのか、わからないが。

東大寺は密教仏のお寺である。
 仏像なら、大仏殿の次は二月堂ということになるが、ここは秘仏。2体あり、十一面観音だそうである。そのお隣の三月堂(法華堂)の本尊は不空羂索観音[乾漆 奈良時代]。四月堂(三昧堂)の本尊は作られた時代が違うが、千手観音と観音が続く。
 大仏殿の脇待も如意輪観音[木造 江戸時代]。
〜六道の観音〜
[注意: 正しいかわからない.]
天道 如意輪観音
人間道 不空羂索観音
阿修羅道 十一面観音
畜生道 馬頭観音
餓鬼道 千手観音
地獄道 聖観世音
 圧倒的に観音信仰に傾いたお寺ということになる。しかも、お姿が多頭、多目、多手といった超人型ご本尊が並ぶ。大仏は大きさで超人的だが、こちらはあり得ない体で超人的ということか。
 言うまでもないが、二月堂のお水とりは密儀そのもの。天台(比叡山)や真言(高野山)の山岳修行と火を交えた呪術の世界は、すでにここ東大寺で生まれていたということ。
 天台密教で考えれば、二月堂は「阿修羅道」で救うための仏様が祀られていることになろうか。三月堂は「人間道」、大仏殿は「天道」。
 観音信仰は33変化とされているから、ご利益期待にあわせた様々な観音様があるようだ。現代の観音様は、多頭、多目、多手型ではなく、宝冠か衣被りの女性人型が多い気がする。東大寺の仏像とはだいぶ違う。

 そんな感覚を持ちながら、不空羂索観音を拝観されるとよいのでは。
 ただ、残念なことに、この仏様、あまりに黒ずんでいるため、よく見えない。しかし、しばらく少し目を凝らしていると、次第に暗さに慣れてきて、形がわかってくる。
 すると、恐ろしいほど細部まで造りこんであることに気付く。その心配りたるや大変なもの。おそらく、繊細な工芸品的な作りである。博物館の展示でないと、ここら辺りはわからない。
 宝冠になると遠目には何がなんだかさっぱりわからない。貴重な珠/石で飾られているそうである。寶のような仏像であることは間違いない。
 燦々と輝くような仏像という点では大仏と同じだが、随分印象が違う。こういってはなんだが、展示場で見てしまうと、お顔より、光背とお体のバランス、手の配置が秀逸な芸術品と感じるのではないか。光背の作り込みに気をとられがちということかも。全体像が、強く焼き付けられる仏様である。大仏様は大陸的だが、日本人好みの木目細かさが心を揺さぶるのかも知れぬ。
 ちなみに、弥勒菩薩半跏像で有名な広隆寺には、3mもの不空羂索観音がある。818年の火災以前からのもの。真言宗のお寺だが、聖徳太子信仰濃厚。そこでも、密教的な信仰が強かったということ。

 千手観音は新しい作品なので、仏像拝観話には余り取り上げられないようだ。しかし、思わず、天台密教寺院の三十三間堂(1165年完成)とのつながりを考えてしまう仏像である。あちらは、本尊が千手観音というだけでなく、他に1,000体も千手観音が並ぶのだから恐れ入る。貪欲な生活のしすぎで、死後陥るとされる餓鬼道から救ってもらうためには、信仰あるのみという、京都の貴族の悩みを感じるお寺だが、実は奈良の貴族もすでに同じ状況だったかも。
 千手観音は唐招提寺では盧舎那仏の脇待だから、鑑真和尚の指導もあったのだろうか。

 こんなことを考えながら、仏様を眺めていると、当時の貴族感覚が移入されてくるかも。仏様とは、如来と修業中とされる菩薩である。現世から離れたら、できれば、どこかの仏様のお側にいたいと考えるのは自然なことだが、腰を下ろしている仏様ではなく、行動的で救ってくれそうなお姿の仏様とお近づきになりたいと考えるのは自然なことかも。
 超人的な姿とは、悟りをひらき浄土に落ち着いてしまうことを拒否し、永久に人々を救うことに注力する決意そのものに映ったのだろう。

 現代の仏像巡りも、自分好みの仏様探しということかも知れぬ。この時代の精神が今も流れているということか。

由緒が定かでないが、静かな仏像に親しみを感じる。
 それはそうと、多頭、多目、多手という密教型仏像を眺めていると、それが平城京の姿なのか疑問を感じないでもない。他の仏像には、その手の超人的表現が全く感じられないからだ。
 例えば、不空羂索観音の脇待、日光・月光菩薩。実に親しみが湧くお姿である。多分、日本人には人気の仏像の筈。合掌している形が素直で、清潔感溢れるからだ。眺めていると静謐感が染み出してくるから、古都の心象風情にぴったりあうということ。
 どっしり感からくる安心感を与える大仏と同じ雰囲気を感じるということもあろう。そんなこともあるのか、この菩薩像は塑像にもかかわらず、鋳造大仏造りの責任者の公麻呂作との説があるそうだ。
 そんなものかと思いがちだが、こうした審美眼は歪んでいる可能性もある。前述したように、大仏も、不空羂索観音も、輝くようなお姿だったからだ。華やかさを抑制する禅宗感覚とは逆。
 まあ、そんなことはわかっていても、この好みだけはどうにもなるまい。
 東大寺はそうした日本人の感覚を十分理解してきたお寺ではなかろうか。だからこそ、不空羂索観音の脇待の位置に、薬師如来の日光・月光菩薩を移設したのでは。小生は唐招提寺の薬師如来の脇待だったと睨んでいるが、素人の説はたいてい当たらない。

仏様以外には、作家の表現欲を感じさせられるものが多い。
 お寺では、ご本尊を中心に、如来・菩薩像を拝観するのが基本だが、東大寺の場合、それ以外の像も多い。
 しかも、様々な像がある。個々の像の解説は読めばわかるが、それが全体のなかでどう繋がるのかは何も書かれていないので、ふ〜んで終わるだけ。素人が安直に理解できる限度を越えている。
 曼荼羅の世界であり、仏様の数は数えられないほど多いのだから致し方ない。

〜四方感覚〜
[注意: 正確ではない.]
-方角- -四神- -如来- -明王- -天- -四天王-
中央 大日 不動
青竜 阿しゅく 降三世 帝釈 持国
西 白虎 阿弥陀 大威徳 広目
朱雀 宝生 軍荼利 炎魔 増長
玄武 不空成就 金剛夜叉 多聞
毘沙門+吉祥
日,月,地,火
 ただ、その後に山岳密教が整理して説明してくれたので、なんとなくはわからないでもないが、それでもなんのことやら感は残る。
 素人にわかり易いのは、四方、八方、十二方といった整理方法だろう。四方感覚は平城京の時代にすでに定着していたようだから、この見方で眺めるがよいかも知れぬ。右表のようなものか。(釈迦牟尼仏/盧舎那仏を発展させた大日如来と、力で折伏させるような明王は、山岳密教時代のもの。)
 高松塚や薬師寺本尊台座から四神信仰があったのは間違いなく、それが尊像と関係し始めていた筈である。

 ただ、こうした整理は、たいした意味を持つものではなかろう。これが日本の特徴でもある。
 現実に、真言・天台の密教寺院でも、大日如来以外のご本尊であることは珍しくない。要するに、変身した姿と解釈するのだ。
 このことは、仏像は人気で選ばれることを意味していそうだ。人気を左右する評価軸はよくわからないが、ご利益があったとの口承や、あの世でこの仏様とご一緒頂きたいという肌感覚かな。今は、タレントご推奨の有無らしい。

 そう考えると、仏様ではない、尊像人気もわかる気がする。芸術性豊かな像であると、人は惹かれてしまうからだ。それが昂じ過ぎると新しい宗教分派が生まれたりするものだ。それが、恐ろしい明王を中心とする密教に繋がったとも思えてくる。
 ともあれ、東大寺は尊像の宝庫である。流石に、千手観音の眷属とされる、武人、王、天女、鬼が入り乱れる感がある二十八部衆が並ぶということはないが、四天王(持国、広目、増長、多聞)、梵天、帝釈天と代表的武人が勢揃いし、武人の妃である吉祥天や弁才天も。
 言うまでもなく、これれの神々は釈迦生誕前から存在したバラモンの多神教信仰からきたもの。それが、仏法に帰依して守護の役割を果たすとされたのだから、像の表現自由度は高かったに違いない。如来・菩薩と違い、作者の意志がそのまま現れておかしくないと思う。その点では現代の芸術とかなりつながる。展示場での拝観が向いているということでもある。
 その観点なら、実に見所多しである。全身全霊で悪を叩き潰しに動かさんばかりの躍動感表現技術は超一流。そして、憤怒の形相も。
 しかも、怒りとは何かを考えさせられる像が多い。「悪」を凝視する目の表情と、そこから生まれる口の格好から、心の持ちようが感じとれるから驚きである。

平城京時代でない作品にも傑作あり。
 東大寺には多くの素晴らしい仏像があるので、新しいものには知らん顔となりがちだが、これだけはじっくり眺めたいのが、運慶・快慶一門が作った南大門の金剛力士像(仁王)。
 極めて現代的なものと言ってよいのではないか。木製は、普通は一木造りとなる。木霊を感じるからだと思う。しかし、これだけ巨大な門であるから、それでは小さな像で不釣合い。寄木細工になるのは当然である。
 短期間で完成させたとされるが、それは運慶・快慶一門が全身全霊をかけたことを意味していそうである。仁王命の集団だったのではないかとさえ思わせる出来栄え。この像から感じる凄みは、巨大さだけではないと思う。
 尚、この一門の作品を愛する方は、興福寺を博物館展示場的に眺めることをお勧めしたい。平城京の文化とは言い難いし、平安京とはなおさら遠く、鎌倉仏教の息吹が流れていると見るべきものだが。

 それはともかく、残念な点がある。両像が向かい合っており、金網が張ってあるのだ。門の正面遠くから、そのまま見れたら、全体がわかって嬉しいのだが。門の中からみるしかないので、当初は足の指ばかり気になってしまう。それはそれで、造形美が味わえるので悪くはないのだが。
 できるだけ離れて、じっくり見ていると、両像は同じ雰囲気とは言いがたいことがわかってくる。昔、運慶作v.s.快慶作とされていたのも道理だ。口を開けた形相は現代的で表現豊かだが、閉じた方は逆。心の奥底に秘めた意志を感じさせる。こちらは日本人好みか。西洋美術と比較したい人は逆がよかろう。

 仁王様はどこのお寺にもある門番的な裸像と考えてしまいがちだが、薬師寺の復興伽藍の中門を思い出していただければわかるが、甲冑で武装しているものもある。東大寺を見ていると静的に映るので、おそらく惹かれる人は少ない。だが、本当は、そちらの方が平城京時代の表現形式の可能性が高い。それに、三月堂の仁王像も甲冑をつけていることでもわかるが、肉体の躍動感を出すことに重点があった訳ではないだろう。

 しかし同じ裸でも、法隆寺の仁王様はどうも今一歩。迫力が弱い理由は、よくわからないが、体型のような気がする。少し脂肪がつきすぎているように見えるのだ。思うに、修理の結果では。
 そうそう、東大寺とは大きく違う点がある。網を張らず、風雨に直接晒される南面向きに設置されているのだ。仁王様はやはりこれでなくては。文化財保護も確かに重要だが、レプリカは勘弁して欲しいし、博物館で仁王様を拝見するのもどうも気分がのらぬ。守護の像を、人間が手厚く守護することになるからだ。

現代の書も楽しいかも。
 さらに付け加えるなら、歴史的なものではなく、現代の作品を楽しむのもよいかも。ただ、仏像ではない。ついでといっては何だが、興味がある方は眺めるとよいだろう。
 先ず南大門に入る前。どこにでもある世界遺産表示の石碑。実につまらぬものだが、東大寺の文字書体が愉快。通りがかりに、一瞥しておこう。
 そして、二月堂の額と石碑。「百華百香」と「西国三十三所巡拝道」。実に、味のある文字だ。ご存知、榊莫山氏の作。顔真卿(709〜785年)なら、「東京二月堂感応」と楷書で書き記したかも。
 法隆寺の「大寶蔵」額もご覧あれ。現代のお洒落感覚あり。宗教施設というより、博物館だから秀逸。
 これと比較すると、南大門の扁額「大華厳寺」は、どうも風情を欠く。真新しさが気になってしまうし、余りに真っ当な字体だから。もっとも、それこそが当時の状況そのものともいえそう。

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