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2004.4.3
 
 


弥縫策ばかり…

 コラム記事のタイトルに、「Bond Girls」「Bond Boys」が登場したので、なんのことかと思って読んでみたら、個人向け国債の販売促進用広告に登場するタレントのことだった。(1)
 前者は小雪、後者は松本幸四郎である。

 日本政府は、国債発行を抑制するどころか、さらに国債を販売したいらしい。
 箪笥預金が国債に変わるとえも言うのだろうか、そうでなければ、国内の保有者が金融機関から個人に移転するだけのことである。
  → 「日銀の輪転機頼み」 (2003年12月3日)
このような宣伝をして何を実現したいのか、さっぱりわからない。

 そもそも、一体、何時まで、国民の貯蓄で国債ばかり買わせるつもりなのだろう。

 貯蓄が民間投資に回らず、国の借金につかわれ続ければ、生産性は長期に渡って低落することになる。
 しかも、国債消化が上手くいかなくなったり、景気が本格的に回復して金利が上昇すれば、国債の暴落が待っている。

 せいぜいの対応といえば、機関投資家向け物価連動債の販売位だ。2004年3月の初値は好調だったらしいが、年金基金・保険会社は黙っていても低利回りの国債を購入してくれるし、郵貯や日銀という大口顧客が支え続けるのだから、このような施策にたいした意味は無い。
 そもそも、市場に資金を流すと称して、日銀が国債を買い続けることを、賞賛する人ばかりなのだから、債務削減ができる訳がない。国家財政が破綻し超インフレが発生するまで、当座の問題隠蔽策で繋ぐつもりなのである。

 これを見てわかるのは、日本の政策の特徴とは、「何が何だかさっぱりわからない」点と言えそうだ。
 すべてが、どうにでも解釈できる。つまり、ご都合主義的な政策運営ばかりで、方針や原則は皆無なのである。
 要するに、見た目に新しい施策を小出しにすることで、根本問題から目をそらすことに注力しているのだ。
 斬新な政策を立案できる人材が枯渇していることは間違いない。

 実際、為替介入のいい加減さは酷かった。ともかく3月31日に105円程度に抑えるために、延々とカネを垂れ流したのである。後は野となれ山となれだ。知らん顔していれば皆が忘れると踏んでいる訳だ。
 その通り、今や、話題は年金一色で、為替に関心は集まらない。
 お蔭で、貿易黒字と円高問題が再燃しても、為替政策は政治問題化しない。
 そして、1ドル100円に向かうことになる。カネが外に流れないのだから、円高になるのは経済原則であり、今のままなら手のうちようがあるまい。
  → 「冒険主義的為替政策」 (2003年10月13日)
  → 「ドル高維持政策の空しさ」 (2004年1月6日)

 論議が集中している年金はさらに呆れる。論議と解説が氾濫しているが、結局のところ、根本問題には触れない形で決着させることになる。とりあえず弥縫策で誤魔化せばよいのだ。

 圧巻は、税制問題だ。すでに、ニュースにもならなくなった。

 国にぶる下がるしか生き延びる道が無い人々と結託した政治が続く。
 そして、ここから抜け出ようと考える官僚もいない。

 --- 参照 ---
(1) William Pesek Jr.「Bond Girls and Bond Boys Plug Japan's Debt」 (2004.3.22)
  http://quote.bloomberg.com/apps/news?pid=10000039&sid=aR7mGyay.wlg&refer=columnist_pesek


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