表紙 目次 | 🐍 2016年1月26日
蛇信仰風土を考える (極東での洗練化)「極東/Far east」という言葉は、いかにも西欧中心主義の言葉なので、お嫌いの人は多かろう。小生もそうだったが、日本列島だけを指す用語とみなせば、結構本質をとらえていそう。
日本列島の位置付けは地理的には東アジアだ。しかも、漢字を用いているから中華帝国影響下と言える。さらに、和辻的にはモンスーン文化圏ということになろう。だが、一番妥当な言い方は、「極東」文化の地ではなかろうか。
マ、そんな感覚をご理解いただくために蛇論を持ち出したということでもある。はたして、その真意がおわかり頂けるかはなんとも。 → 「蛇信仰風土を考える(古語名の分類整理)」[2016年1月11日] → 「蛇信仰風土を考える(先ずは折口/吉野論から)」[2015年12月17日]
要するに、「極東の地」で雑種民族としてまとまって生きていこうと自覚した上で培った文化の地が日本列島ということ。そこは、生活に向く場所は僅少。しかも、その環境はバラエティに富んでいるとくるから、一律的統治がしにくいとくる。本来的には辺境で文化交流が乏しく、バラバラな状態になりそうなものだが、逆なのである。
和辻風土論が対象としている、ユーラシア〜北アフリカ全域でマクロ的に眺めてみるとそれがよくわかる。日本列島は、この全域の文化を積極的に受け入れて来たのである。多くの場合、それは社会に大変革を強いるから、内部対立を招いたりすることになる。日本だけは例外という訳にはいかないのだが、その姿勢が独特なので、なんとかまとまってきたということ。
こんな具合に。・・・
まず、海外文化導入に当たっては、大きな摩擦を生むような、信仰の根幹に触る部分を捨て去る。勝手に解釈する訳である。それは換骨奪胎になりかねないが気にしない。 そして差し障りなきものなら、徹底的な真似で迅速導入を図る。その過程で魅力を感じたなら、導入先に引けをとらぬレベルを目指すことになる。 しかし、だからと言って、従来の文化をすべて捨てて、新文化に移行するとは限らない。ここが肝。
今迄大切にしていた文化もできる限り残そうと努力し、新文化一色に染め上げることはできる限り避ける。そのような体質が染みついていると見てよいのでは。 それは、旧文化が新文化に吸収されながらも、その残滓が残るというどこでもみられる現象を指しているのではない。日本の場合は、土着文化が絡んだ変種ではなく、モロ習合がほとんどということ。従来文化にお飾り的に新文化を載せたものになりがち。表面上は、新しい文化に衣替えしたように見えるが、初めは表層的な「お飾り」にすぎない。時間をかけて、それが身に着いていくと、ようやく新たな雑種文化が完成することになる。
簡単に言えば、ユーラシア〜北アフリカ全域で生まれた新文化を日本的フィルターを通して積極的に取り入れてきたということ。そして、それをいったん受容すると捨てたりしない。 つまり、極東の地に辿り着いた文化はそこで大切に保存され続けるのである。地理的には、広大な大陸から海を隔てた辺境だが、隔絶しているのではなく、逆に交流が盛ん。始終、最新文化が流入して来た地。そのため、栄枯盛衰を繰り返す大陸では消滅してしまった"過去"がそのまま残されていたりする。ある意味、人工的な文化のガラパゴスとも言えよう。実にユニークな文化と言わざるを得まい。
蛇信仰の形態はそれを如実に示していると言えよう。
吉野裕子説の土台は、ユーラシア大陸〜北アフリカ全域で蛇信仰が普遍的に存在したというもの。 それは先ず間違いないだろう。 だが、それを一様なものと見ては拙い。聖書の民族では、蛇信仰は唾棄すべきものになっているというだけの話ではないからだ。蛇論では、ココを忘れるとのっぺらぼうな蛇信仰観になりかねないので要注意である。
先ず、反蛇信仰土壌だが、糸杉や無花果[→]が代表する聖樹に巻き付きかねない蛇への嫌悪感から生まれたのではなかろうか。足無しで移動でき、猛毒で敵を倒す力を持つ上に、脱皮(=再生)可能な神的な存在であるから、まさに超能力者なのだが、樹木に寄り添うヒトに対して危害を与える邪悪な存在ということで。つまり、ヒトの守護神たる全知全能の神に敵対する悪魔と見なされたのだろう。
それでは、親蛇信仰地域ではそうした蛇の超能力を完璧なものとして崇拝していたかといえば、そんなことは無い。エジプト〜アラブ〜ペルシア〜インドは、明らかにコブラ崇拝地域だが、最高神扱いだった訳ではない。One of themの扱い。 この地域では、蛇 v.s. 鳥(孔雀 or 猛禽)という相克ありき。同時に、鳥も信仰対象であったことを忘れるべきではなかろう。さらに、草食獣を喰う虎のような肉食獣や、巨大獣の象をも尊崇対象としていたのだ。森がヒトの生活域に含まれていた時代のことだと思う。 その後、湿地穀物農業主体の社会が生まれ、蛇と鳥それぞれが水と太陽の表象となったのだろう。一方、草原牧畜社会の場合は、地下の暗黒と天の光の二元思想へと向かう訳だ。
一方、中華帝国における蛇の扱いはこの流れとは全く異なる。人頭の雄雌2体の絡み合う姿を、民族の表象としての祖先としているからだ。それは交合讃歌であり、一族繁栄願望そのもの。従って、蛇が聖樹に係ることはない。このヒトの祖先神は洪水を乗り切って残って結婚した兄妹でもあろうから、水神として扱われる訳がないし、冥界の主とされる筈もない。ただ、女系社会から、男系になると、両性ではなくなりもっぱら男根の象徴とされてしまったようだが。
こうした、ユーラシア大陸〜北アフリカ全域の蛇信仰の全体像を踏まえて、日本の蛇信仰を考えるべきだと思う。
そんな視点で眺めると、そこここにそのような古代信仰が残っていることがわかる。その一方で、日本列島全般では「標準的」な信仰形態も存在。それは大陸の信仰とは随分と違うことも見えてこよう。
つまり、渡来蛇信仰が日本なりのフィルターを通して、肌に合わない部分は捨て去られ、現実の生活感に適合するように磨き抜かれ、日本的信仰形式が出来上がったように見える。
一番近くの中華型の人頭蛇身は伝来した筈だが、キメラ像は体質的に合わなかったようで、唯一残っているのは弁天様と習合して頭の上に乗る宇賀神だけ。その像は小さい上に祠のなかに入っているのでお姿はよく見えないようになっている。 → 「習合の頂点たる弁財天」[2015.10.20] 蛇像も表だって出ることは滅多にないが、諏訪大社のご神体としてその存在が知られている。それに、蛇による妊娠物語も有名だ。但し、古事記では、蛇ではなく矢。コレこそ、いかにも日本的なモチーフといえよう。
直截的な表現たる蛇像を避け、代わりに交合する蛇姿の表象として神聖な場所に注連縄を飾ることにしたのである。冥界の主として、墳墓の戸口に蛇像を設置する形で伝わったのではないかと推測するが、それを表象化し、結界表示用としたのだと思われる。極めてあいまいな形で蛇を祀ることにしたのである。 蛇 v.s. 鳥を両立させる信仰も同様に伝来しており、それも日本的変態をとげている。お神輿の飾りものに受け継がれているのだ。屋根の御中狆柱頂点には鳳凰がとまっているだけで、見かけ蛇は存在していない。ところが、いざ、練り歩く段になると、美しく太い撚り合わせ紐が鳳凰から四方に張られる。力学的にはなんの意味もないから、間違いなく蛇の表象。こうした、隠れた蛇の姿は色々な箇所で見つけることができるようである。その辺りは、吉野裕子論が詳しい。
このように考えてくると、注連縄と鳥居が、ご神体たる神籬たる常盤木に寄り添う形式のルーツが見えてくるではないか。それは、ペルシア〜インドの古代信仰の日本版そのもの。
・・・このように、日本の信仰をじっくり探ると、ユーラシア大陸〜北アフリカ全域の古代信仰に出会えたりするのである。しかも、それは遺跡としてではなく、多少変質はしているものの、生きた信仰として現代の世代が受け継いでいるのである。 (C) 2016 RandDManagement.com |
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