表紙 目次 | ■■■ 日本の基底文化を考える [2016.1.5] ■■■ 日本の色彩感覚の原点(白に黒) 四方の色彩感の話[→]から始まって、日本人の概念とは明暗顕漠との見方もある[→]といった話をしてきた。 おそらく、そんな話にピンとくる人は少数派。「概念的把握」と「分析的見方」の違いに無頓着だと、どうしてもそうなる。 マ、そんなこともあって、こんな与太話を続けている。もう少し「色彩感覚」を考えてみよう。 格好をつけて言えば、日本人は色の識別能力が高いと昔から語られ続けているが、その本質探求を試みてみようとなろうか。と言うか、倭人は抽象的な色概念を嫌っていた可能性が高いから、そこら辺りを眺めて見ようということ。 皆が知る具体的なモノを色彩表現に用いるので、日本では、「色」の種類が膨大になったと考える訳だ。それこそ、花弁の色彩を愛しているなら、自動的に植物の種類に見合った数の色の種類が生まれることになる。 ただ、その例外をあげるとしたら、「白」。 ここは極めて重要な見方なので、少し詳しく書いておこう。 白は無彩なので、先ずは、同じく無彩の「黒」の話から。 常識的には黒色とは墨色を指す。つまり、文字の利用が始まってからの色といえるのでは。文字同様に、「色」概念が輸入されたのではなかろうか。 もちろんこれは概念上の話で、「黒」色自体はとてつもなく古い時代から使われていたのは間違いない。 倭人は「男子皆黥面文身」[魏志倭人伝]だったからだ。煤あるいは酸化鉄含有土を利用した刺青が古くから行われていたのである。その後、蛮族と見られるのを嫌ったせいか、刺青は止めたようだが、違った形で貴族の習慣に残したようである。形式を重んじる人々なので、当初の意義は忘れさられたようだが。 眉墨・・・当初、黒土使用 お歯黒・・当初、酸化鉄含有土使用 その後、鉄漿や空五倍子に。 こんな話を持ち出すのは、黒色は、光 v.s. 闇が発祥とは限らないということに、ご注意いただきたいから。黥面文身風習に、闇の発想が潜んでいる筈がないからだ。どう考えても、危険な生物を避けるべく、顔と全身に模様を入れ、自分も海の仲間であることを意思表示しただけ。そこに、「黒色」概念があったとは思えまい。 この、アナロジーでしかないが、衣服染色も危害回避信仰が第一義だった能性は高かろう。実際、近世になっても、藍色は蝮避けになると信じられていた位だ。染色はされていても、そこに「色」概念が存在しているとは思えまい。 同様に、超古代から、衣類染めにも類似の発想があったと考えるのが自然。例えば、「葦」の生命力崇拝が存在していたなら、その汁を身に纏う布に含ませ、蘆の生命の源たる霊力を頂戴する風習があっておかしくない。 つまり、衣類の色とは、現代人から見ればカラーだが、古代人は霊力のエッセンスと感じていたということ。当然、そうした靈力はその依代たるモノの名前で表現するしかない。それは、一見色名に映るが、抽象的な「色名」とは似て非なるもの。 中間色概念などあり得まい。というか、当初は混合色を避けた筈である。 日本の「色」とはここらが原点だと考えれば、染色材である植物や顔料材の土や鉱物の名称が色の名前となるのは当然の流れ。 「色」概念は輸入されても、頭のなかで混合させたような概念的な色名は苦手なのである。つまり、グレーはあくまでも灰色とか鼠色。ピンクは桃色。具体的なモノに見立てないと心地が悪いということを意味していよう。 ここらは、英語表現とは全く違うので注意すべきだろう。 まずは色の概念ありきの社会では、具体的なモノで細かい差違を示すことになるからだ。あくまでも「言葉ありき」であり、それは「色ありき」でもある。・・・「Moss Green, Sky Blue, Water Blue, Brick Red, Lemon Yellow」てな具合。どれもあくまでも基本色の一種という位置付け。永久不変な貴石の色を除けば、この発想は極めて強い。無彩とされる白にしても、以下のようになる。・・・Ivory white/象牙色_ Snow white/雪色_ Frosty white_ Mist white_ Pearl white/真珠色_ 氷色_ Milky white/乳白色_ 卯の花色_ Eggshell white/鳥の子色_ White porcelain color/白磁色_ Oyster white/牡蠣色_ Orchid white_ Silver white/銀白色_ これらの日本語の色名は翻訳語や、近代に生まれた表現ではなかろうか。日本の色はあくまでもモノだからだ。・・・素色_ 生成り色_ 白練_。 英語では、これらは「off-white/オフホワイト」とされよう。 しかし、日本では逆に、これこそが唯一の色概念とも言えるかも。つまり、そこに、「純白_」概念がありそうだから。白は無色ではなく、染められる"抽象的な"「色」なのだ。 つまり、日本では、ベースたるべき色概念名は「白」以外に無いということ。 繰り返すが、どの色を指定するにしても、五万とあるモノ名で現すしかないからこうなるのである。「苔, 空, 水, 煉瓦, 檸檬」といった、直接的な具象名称が色名。繊細な神経で「色」を眺めていると見なすこともできるが、それはこの認識の仕方から考え当然の結果であろう。五万とある具象的なものの色の差を想い浮かべることができないと、コミュニケーション能力不足とみなされる社会ということ。つまり、普段から様々な対象物の「色彩」をよく観察し、頭にその映像を沢山収めておく必要がある訳だ。 このように考えると、クロは色概念ではなく、渡来の「黒」という色概念をそう呼ぶことにしたと考えざるを得まい。日本の色名とは、炭、消炭、煤と墨、といった事物名称なのだ。・・・墨[煤]_ 消炭_ 灰汁_。 染色という観点なら黒土を用いれば、涅[くり](水底土)_になろう。 色は、一種の顔料名称の世界でもある。・・・埴[はに]染(泥染)土_ 黄土_ 青土/青丹[あおに]_ 丹[に]/赤土[はに]_ 白土=胡粉_。さらに、技術の発展とともに、産業化される訳だ。・・・空五倍子色_ 鉄黒錆_ 鉄漿(お歯黒用)_ 胡粉_ 鉛白,亜鉛華,牡蠣殻,蛤殻_。 染料や顔料によって「白色」を変化させたものが、日本流色彩表現。例えば「墨染め衣」といった名前で色の変化を表現することになる。さらに、深浅や濃薄で微妙な差を示す訳だ。 ただ、染色技術が発達すれば、渡来品の色を出したくもなろうし、場合によっては見慣れない色も生まれたりする。そうなると、それに対応した色概念も必要になる。従って、現代では、渡来の「色概念」になんの違和感もないが、倭の時代はそうはいかなかったということ。 ─・─・─・─・─ 参考 ─・─・─・─・─ 【「黒」と「白」の漢字の成り立ち】 "「白」の漢字の成り立ちを調べていた産経新聞の論説委員長などを務めた作家、八木荘司氏は、同じ説明が一つもないことを知り、「みんな勝手きままに、思いつきや想像で説を立てているにちがいない。あぜんとする思いだった」と、『古代天皇はなぜ殺されたのか』(角川書店)に書いている。" [「杉村一郎の漢字考(21)「白」の成り立ち、白黒決着つきません」 産経WEST 2014.2.2] 「黒」はこんなところ。 K=𪐗 (炎の上に煤集め袋)・・・ 煤=火+某(木+甘) 炭=山+灰(厂+火) 墨=K+土 筆=竹+肀 硯=石+見・・・泥硯も存在 唐末山水画家の有名な画論[荊浩:「筆法記」]によれば、一に気、二に韵、三に思、四に景、五に筆、六に墨。 筆者,雖依法則,運轉變通,不質不形,如飛如動。 墨者,高低暈淡,品物淺深,文采自然,似非因筆。 そして、「用墨独得玄門」。 一般には、墨の色は“玄”総ての色の根源の黒に迫るものとされる。 【白黒紋】 日本の家紋は黒白の簡素なシンボル表現。 比較的新しい習慣のようだが、いかにも日本的という印象を与える。しかし、同時に、古代感覚を受け継いでいそうとも感じさせる「色」感覚である。 工芸的には、家紋は白地にクロ染めが基本。しかし、染め色たる黒色は五万とある色のなかの1つにすぎず、代替可能な筈。そうならないのは、白地に一番映えて目立つからでは。つまり、視認性からそうなっていると見がち。 しかし、抽象的なイロとしての背景のシロを重視した結果と見ることもできるのではないか。つまり、実際の地色が白でなかろうが、それをシロと見なすという精神文化が基底にあると見なす訳である。換言すれば、日本の紋章は黒白2色ではなく、白のモノトーンかも。 尚、白地に黒の紋章は海外には存在しないようだ。(そもそも、厳密な意味では、紋章は欧州と日本にしかないそうだ。)ソリャ、当然かも。色概念が生まれれば、黒白だけの、現代のロゴマークのような表現が喜ばれる訳が無く、有彩の「絵柄」にしたくなると思うから。 日本社会がそうならないのは、シロにしか色概念がないせいもありそう。それに、視認性という点ではなかなか優れているし。 【喪服色について】 倭の喪服は白かった。[隋書倭国伝]これは、白「色」が神靈の象徴だったからとされる。(古事記では、倭建命は死後白鳥となるし、死の切欠となった山の神は白猪だからだ。) 中国では、礼記喪服小記から発展した五服で規定されているが、このうちの斬衰裳は縫製していない最粗的生麻布。当然ながら生成り_。白という「色」より、「素」という意味のように思える。この唐の制度に倣い、天皇は律令制度の下、直系二親等以上の喪には「錫紵」着用とした。[養老喪葬令@718年]ところが、どういう訳か、中国の文字表現をそのままが錫色と解釈し、染色したグレー系の衣類を着用することになる。いわく、鈍[にび]色_。 その後、室町時代になると、海外事情が判明したせいか、宮中を除いて白復活とか。 おそらく、満洲系清王朝の頃は、白色が基本とされた筈。 それが、孝明天皇皇后大喪1897年では、正式に黒色とのお達し。近親者だけでなく、葬儀参列者も礼服着用する時代の到来である。西洋列強の国賓(タキシード+ブラックタイ)と揃える必要からの改訂と言われている。とはいえ、世間一般で見れば、女性は白無垢で嫁ぎ、白喪服で告別という習慣が続いていたようである。 西欧にしても、古くから黒一色が規定されていたついうことでもないようだ。 [増田美子,他.:「葬送の装いからみる文化比較」服飾文化共同研究最終報告2011 2012年] (参照) 色名一覧 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%B2%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7 色の名前とweb色見本 http://irononamae.web.fc2.com/colorlist/index.html 本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX> 表紙> (C) 2016 RandDManagement.com |