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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.6.5] ■■■
蜘蛛をこよなく愛した人々[11]

そもそも、蜘蛛はヒトに害を与えないし田圃の生態系のなかでは害虫の主要な捕食者でもある。従って、稲作が始まった頃、蜘蛛に対する感謝の念が湧かない筈がなかろう。
ただ、無文字時代であるから、その証拠は残っていないと考えがちだが、そうとも言いきれない。

江戸時代に讃岐から出土した、前2〜前1世紀に鋳造されたと推定されている銅鐸に、中央が「○」で、四放射状に二重線の足が伸びている線画が描かれている。小生には水黽[アメンボ]としか見えないが[→]、8脚だから蜘蛛と見られているのだ。
「袈裟襷文銅鐸」(C)東京国立博物館

全体を眺めると、水田農耕に関係するシーンと考えることができるから、アメンボではなく蜘蛛と言うのは確かに一理あるが、狩猟シーンもあるのでなんとも言い難し。・・・
 【表面】
 右上段 蜻蛉
 右中段 鹿を射る人
 右下段 高床切妻の建物
 左上段 井守
 左中段 工字型の道具(糸紬用)を持つ人
 左下段 竪杵で臼をつく人
 【裏面】
 右上段 蟷螂 蜘蛛
 右中段 魚を銜えた鷺
 右下段 猪と狩人と猟犬
 左上段 蜻蛉
 左中段 魚を食べる鼈
 左下段 鼈 蜥蜴


実は、中国の情報を読むようになって、このアメンボ型紋様こそ蜘蛛であると思うようになった。

倭人とは、越の人々であるとの見方が大陸にあることは知られているが、俗に言う"百越"系少数民族の文化に関する記述を読んでいて、蜘蛛崇拝の原点はココかと納得させられたからである。

その民族とは、[トン]族。(無文字だったので口承しか記録は辿れない。)
[何星亮:「中国少数民族图腾崇拜」中信出版社 2006年
 閔慶文,張丹:"族禁忌文化的生態学解読"地理研究27, 2008]

(族以外・・・広西壮族自治区の瑶族系白瑶族[3万人]に、自蜘蛛信奉穴居教団的反朝廷勢力が存在しているようだ。彝族系撒尼人のトーテムも蜘蛛である。)

タイ系とされているが[→]、もともとは広東〜広西の民で、北方からの侵略によって貴州等の南方への移住を余儀なくされたと言われている。
トーテム的には龍・蛇の部族だが、用いている紋様的にはそこに拘っているようには思えない。山野の花や樹木(竹, 杉が多い。)が多用されているし、魚も吉祥と見なされている。
要するに、龍鳳花鳥、山川河流、古樹巨石、橋水井のすべてが霊験あらたかと見ている訳だ。研究者はアニミズム的宗教観が存在しているということで意見が一致しているようだ。
それはともかく、木造高床式の住居である点も含め、日本文化の源流の可能性を感じさせる風俗である。

しかしながら、これらはあくまでも表象。信仰の主対象は光輝く太陽では。稲作民族なのだから。どういうことでそれがわかるかと言えば、創世神話。(アニミズムということで隠れてしまっていそう。)

原初は昏暗無光の世界だったが、そこに傘状の金色火球が生まれて命が宿ったというのである。
蜘蛛はその太陽と同じく“薩天巴”と呼ばれており、ほぼ同一視されている。西洋的に言えば造物主にあたろう。知恵と力を与えてくれるのである。「蜘」という文字の発祥はここらかも知れぬ。
この蜘蛛神は天上に居るが、地上に現れる時は金斑大蜘蛛となる。
従って、地上でのその存在は崇高なものとされ、蜘蛛は魂魄そのものと信じられており、決して傷つけたりしてはならないのだ。

当然ながら、祭祀で奉納される舞踏では、神話を表現することになる。金糸の格子模様のベールを被り、顔には蜘蛛の彩色絵の面を着用し花傘を持つ。4人で放射状になって光線の形をつくる。

つまり、中央が「○」で、四放射状に対の足が伸びている形になるのである。銅鐸の絵と同じである。

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